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十四話 もう誰も死なせない

 陽だまりの洞窟――

 超初心者向けだとも言えそうな程に優しそうな名前だが、大きく口を開けた入口からは重く湿った空気が流れ出ていた。


 リノアはその闇を見つめ、小さな肩を震わせる。

 隣でカイナが気丈に笑い、緊張をごまかすように地図を広げた。


「ほら、ここが一階層の道順! キャンプまで行けば合格!」


 二人は明るく声を交わし、それが辺りの不安を少しだけ和らげていた。


 だが、少し離れた場所に立つグレンの表情は固いままだった。


 始めて出会った時の、ルリの弱々しい声が何度もはっきりと思い起こされる。

 魔物がなぜ人の道具を落とすのか。

 そして実際にシャドウハウルが落とした少しくすんだ金貨。

 魔物は元は人かもしれない、という残酷な可能性。

 過去に敵を倒すたびに、これが当たり前だと思っていたが、思い返すと次々に出てくる違和感。


 倒した時に肉体を残さず完全に霧散するのは魂が具現化しているから?

 過去に文献で見たことがある、喋るモンスターとやらも、精神障害等からくる幻覚ではなく、本当のこと?

 最初に見た、人を殺し、お前はいいや、といった風にグレンだけ残して去っていった敵も、生きている人間を非捕食者側ではなく、それ以外の何かだとしているから?

 誰がしもが、それらについて疑問に思わないのは何故……?


 誰とも話さず、グレンはしばらく拳を握り締めていた。


 迷いが胸の底に重く沈み、それでも誰にも気づかれまいと、呼吸だけを整えようとする。


 遠くでカイナの笑い声が響いた。

 リノアも不安を押し殺して地図を覗き込み、二人は互いに励まし合っている。


 その様子を見たとき、グレンの中でゆっくりと何かが定まった。


 自分が抱える疑念がどうであれ、

 目の前にいる二人は――今、絶対に守るべき仲間だ。


 震えていた拳に、確かな力がこもる。

 逃げることも、立ち止まることも許されない。

 今はただ、決めた目的を達成するためにも、前へ進むしかなかった。


 ちょうどそのとき、カイナが振り返った。


「おーい! グレンも早く来なってば!」


 リノアも心配そうに小さく手を振る。


「……グレンくん?」


 グレンは迷いを押し隠し、いつものように微笑んだ。


「うん。行こう」


 声は静かだったが、心の揺らぎは落ち着いていた。


 三人は並んで歩き出す。

 冷たい風が吹き抜けても、グレンの足取りは一度も止まらなかった。


 覚悟はもう決まっている。

 闇の向こうに何が待つとしても――仲間を守るという決意だけは、ゆるがない。


 そして三つの影は、静かな洞窟の闇へと吸い込まれていった――



 洞窟の内壁は湿って光を弾き、ぽちゃん、と小さく水滴が落ちる。

 足を踏み入れて数分後――生温い気配が、床の影から持ち上がった。


 青緑の半液体が震え、形を整える。

 弱い魔物スライム。それでも、初めての戦闘には十分な相手だろう。


 リノアはひくっと肩を震わせた。「うぁ……敵が……」


「だいじょーぶ、こんなぬるぬるしただけのやつ! まず止めれば勝ち確だよ!」


 カイナは笑っているが、その笑顔の奥に興奮と緊張が混じっている。


 三人が無意識に陣形を取ろうとする。

 グレンは自然な足運びで少し前へ出る。


 グレンとカイナは剣を、リノアは杖を構え、相手の出方を見る。


 洞窟の空気を吸い、吐き、剣の柄を軽く握り直す。

 心は静かだった。


 リノアが杖を上げる。

 指先が震えるたびに、水の粒がこぼれては揺れた。


 でも――


「……いくよ。水よ絡みつけ、アクア!」


 唱えた瞬間、声の震えが消えていた。


 杖の先端で水が膨らみ、するすると帯状に伸びる。

 思った以上に美しく、そして速い。

 水帯は滑らかにスライムへ絡みつき、ぎゅっと束ねるように締まった。


「と、とまった……! ほんとに……!」


「ナイスリノア! じゃあ私も行くよ!」

 カイナが笑い、その足は軽やかだった。


「衝よ放て、ソニク!」


 パンッ、と空気が弾けるような鋭音。

 剣の先から小型の衝撃弾が水の帯をすり抜け、スライム内部に突き刺さる。


 内部が一瞬だけ膨張し、弾けた。


「いったーーー!!」


 破裂の中心、スライムの核が見える。

 その瞬間――


「危ない。」


 グレンの影が一瞬で跳ねた。

 剣が月光のように滑らかに動き、核を正確に両断する。


 ブシュッ、と消える音。

 戦闘は、一瞬で終わった。


「やった! 私たち強くない!?」


 カイナは跳ねながらスライムの残骸を覗き込み、


「リノアもすごかった……! 最初に止めたの、あれなかったら無理だったよ……!」


 とリノアの手を握った。


 リノアは恥ずかしそうに俯きながらも、嬉しそうに笑っている。


 そんな二人のすぐ横で――

 グレンは、静かに洞窟の奥へ視線を向けていた。


 剣は既に納めている。

 だが視線は鋭く、まるで別の魔物の気配を探るように洞窟全体を読む。


 天井から落ちる水滴の位置、足元の石の割れ方、風の流れる向き、光の反射、奥からくる湿気の濃さ――

 全てを短時間で整理していた。


 見回す限りだと恐怖となる対象は見当たらなかったのか、グレンは一息付いて、筋肉を弛緩させる。


 グレンは無言で洞窟の奥へ数歩進み、

 ふと振り返る。


 その横顔は、どこか戦場で慣れた者の目だった。


「……あれ?」

 カイナが口を開けたまま固まる。


「グ、グレンくん……なんか……落ち着きすぎじゃない……?」


 リノアは少し怯えすら感じている。


「え? 普通だよ。次に備えて周囲確認してただけ。」


 グレンはいつも通りの声で言った。


 けれどその普通が、二人には全然普通じゃない。


 カイナは小声で囁く。


「ねぇ……今の動き……なんか慣れてるって感じだったよね……?」


「う、うん……スライムを斬った時も……迷いが全くなかった……」


 二人の中で、同じ考えが浮かんで、同時に鳥肌が立つ。


 目の前にいる彼は、もしかしたらすごく出来る人なのでは……


 その予感は、確信に変わりかけていた。



 探索を開始してから約一時間。

 この階層で遭遇する魔物は弱いスライムばかりで、三人は順調に進んでいた。


 とくにカイナのテンションは右肩上がりだった。


 何度も撃破を重ねるごとに余裕が出てきたらしく


「ねえねえ、私たち、案外いけるんじゃない?」


 と笑っては、軽く跳ねるように先を歩いていた。


 そんな時だ。


 やや開けた通路に、弱りきったスライムがひとつ、ぽつんと揺れていた。体全体が半透明で、今にも崩れ落ちそうなほど弱っている。


「よっし! とどめは私がもらうね!」


 カイナが勢いよく走り出した。


「待てッッ!カイナ」


 グレンが咄嗟に止めるも、彼女の足取りは軽く、迷いがない——

 そして彼女は、知らず知らずのうちに 地図に存在しない脇道 へと進み込んでいた。


 本来の通路はまっすぐ続いているはずなのに、カイナは弱ったスライムを追う勢いのまま、自然をえぐったような、地形の歪んだ細道へ飛び込んでしまったのだ。


 グレンはその異変に気づき、来た道を記憶しながら追尾する。


 カイナは振り返りもしない。きっと彼女はダンジョンの恐ろしさをまだ知らない。どこに危険が待ち受けているのか、わからないというのに。

 そのままグレンの視界から消えてしまう。


「ど、どうしよう……! グレンくん……カイナちゃん、あんなに先へ……!」


 リノアは青ざめ、胸を押さえながらあたふたする。

 その足は震え、今にも折れそうだった。


 グレンは深く息を吸い、周囲の地形と足跡を一瞬で確認する。

 その目は鋭く、しかし冷静だった。


「……追うぞ。まだ少ししか離れていないはずだ。」


 その落ち着いた声に、リノアの震えがわずかに収まる。

「守られている」と思わせる、経験者特有の安定した響きがあった。


 二人は駆け出した。


 しかし、走り始めて間もなくのことだった


「きゃあああああああああああっ!!」


 洞窟中に響き渡る叫び。

 ただの驚きではなく、明らかに何かトラブルが発生したときの悲鳴。


 二人は速度を上げ、地図にない道を走り抜ける。

 曲がり角も、壁の亀裂も、覚えのない景色ばかりだ。


 やがて、ぽっかりと地面が陥没した広い穴の縁へとたどりついた。


 黒い暗闇が口を開き、底はまったく見えない。


 グレンはすぐに膝をつき、崩れた地面と足跡を調べる。

 落下の跡——滑り落ちた擦り跡、砕けた苔、焦った動き。


「……カイナは、ここからだ。」


 リノアは唇を噛み、震える声でつぶやく。


「そんな……下に……?」


 グレンは立ち上がり、リノアの方へ振り返った。

 目の奥は強く、迷いがなかった。


「リノア。俺がカイナを助けに行く」


「え……?」


「君は入口まで戻って、先生を呼んできてほしい」


 短く、しかしはっきりとした指示。

 そこには逃げろではなく、任務を託すという信頼があった。


「こ、こんな……地図にもない道なのに、わ、わたし……」


「大丈夫だ。こう見えてそう入り組んだ道じゃない。ここからなら走って二十分ほどで洞窟の入口につくし、途中で別の班にも会える。この辺りは魔物もほとんど出ない。君なら安全に戻れる」


 リノアは胸の前で杖を握りしめ、震える瞳で彼を見つめる。


「……グレンくんは? グレンくんはどうするの……?」


「俺は下へ行く。カイナは怪我をして動けない可能性が高い。もしそんな中でモンスターにでも出会ったら……時間がない。」


 それは覚悟を決めた者の声だった。


 リノアの目に涙が浮かぶ。


「で、でも……危ないよ……!下に何があるかも分からないし……グレンくんまで落ちたら……!」


「誰も死なせない。そのために、俺が行く。」


 その静かな声の強さに、リノアは息を呑む。


 リノアの胸は恐怖でいっぱいだった。

 脚も震えている。

 それでも……グレンの言葉には逆らえなかった。


 逃げるのではなく、生き残るための役割がそこにあった。


 リノアは涙を拭い、震える唇で、それでもまっすぐに言った。


「……わたし……行く。先生、絶対に連れてくるから……!」


 グレンは指示を出す。培われた経験から基づかれたマッピング能力で、最短で、なおかつ簡単に帰れる道筋を指し示す。


 彼女は振り返り、走り出す。

 暗い通路を――来た道を、必死に。


「気をつけて。ゆっくりでいい、落ち着いて走れ!」


 背後からグレンの声が届く。


 リノアはただひたすらに、任された役目を果たすために洞窟の奥へ駆け戻っていった。


 その姿を見送り、グレンは静かに、黒い穴の底へと視線を落とした。


 覚悟は、すでに決まっている。


 カイナを助ける。

 誰一人、死なせない。


 そして——彼は闇へと足を踏み入れた。


 視界が闇に慣れるまで、数秒の静寂があった。


 落下の衝撃で巻き上がった粉塵がゆっくりと沈み、洞窟の空気はひんやりと湿っている。


 グレンは全身で衝撃を受け、ほぼノーダメージのままにゆっくり起き上がった。

 幸い小さな怪我もない。

 問題は——


「……カイナ!」


 少し離れた場所で、岩壁にもたれるように倒れている。


 グレンは急いで駆け寄り、膝をついて揺り動かした。


「カイナ、聞こえるか……?おい、しっかりしろ!」


 薄暗がりの中で、彼女のまぶたがわずかに震えた。


「……ん、んん……?グ……レン……くん……?」


 焦点の合わない瞳で見上げてきたカイナは、顔色が悪く、腕や足に擦り傷をいくつも作っていた。


 それでも意識が戻ったと確認すると、グレンはほんの少し安堵の息を漏らす。


「良かった……生きてるな。動けるか?」


「……わかん、ない……。あ、足痛い……」


 彼女は触れた足首をかばうように身体を丸め、痛みに眉を寄せた。


 傷の具合を簡単に確認しながら、グレンは低く静かな声で言う。


「骨は折れてなさそうだ、ひねっただけだ。動けなくても大丈夫……もう少し我慢しろ。」


 すると、カイナの表情が突然くしゃりと歪んだ。


「……ごめ、……ごめん……っ……グレンくん……っ」


 涙が滲みはじめている。

 普段あれほど元気で明るくて、まっすぐ突っ走る彼女が——

 今はただ、震える少女だった。


「わたし……勝手に前に行っちゃって……地図にもない道に入って……グレンくんの言うこと、きかなかったから……っ……お、落ちて……こんな……迷惑かけて……っ」


 ぽたぽたと涙が落ちる。


「ごめん……ほんとに……ごめん……っ

 わたし……バカだ……っ……!」


 謝罪というより、自己否定だった。

 自分の愚かさを責める言葉が、止めどなくあふれる。


 その姿はいつもの快活さとは真逆だった。


 グレンは一度だけ強く息を吐き、彼女の肩に手を置いた。


「カイナ、落ち着け。」


 その声は怒こるわけでもなく。また責めるような声色でもない。

 ただ、まっすぐで、揺らぎのない声。


「悪いのは焦ったことだけで、お前が弱いわけじゃない。誰だって調子に乗る時はあるし、判断を間違える時もある。」


 カイナは泣きながら首を振る。


「で、でも……っ。グレンくんまで落ちて……わたしのせいで……!」


「違う」


 きっぱりと言い切った。


「俺はお前を助けに来た。それだけの話だ。

 それに——」


 軽く微笑むように、グレンは言葉を続けた。


「上ではリノアが戻って先生を呼びに行ってくれてる。すぐに助けが来るさ。」


 その言葉に、カイナの呼吸がゆっくりと落ち着きはじめる。


「……ほ、ほんと……? 来て、くれる……?」


「ああ、必ず来る。リノアなら迷わない。ちゃんと戻れてる。」


「……っ……うぅ……」


 涙はまだ止まらないが——

 恐怖の色は薄れ、代わりに安心の影が宿りはじめた。


 グレンはそっと彼女の体を支え、壁際へ移動させる。


「座ってろ。無理に動くな……大丈夫だ。お前は一人じゃない。」


 カイナは涙で濡れた瞳でグレンを見つめ、

 かすかな声で絞り出すように言った。


「……グレンくん……ありがと……」


 暗い下層の静寂の中、その言葉だけが微かに響いた。


 そして、グレンは妙な気配を感じていた。洞窟の奥底なのに、さらに深くから生温かいマナの流動を感じることに……

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