十一話 なるようになるさ
翌朝。
昨日よりも少し落ち着いた気持ちで教室に入ったグレンは、いつも通りひっそり端の席へ座った。
ほどなくして、イェルン・グレイモンドが教室に入ってくる。
「席につけ。今日は王国の基礎、特に王都の構造についてだ」
黒板には、大きな半円を階段状に区切った図が描かれていく。
「まず——この学園の名前は アストラル・オルディア魔法学園。アストラルは星霊の血を意味し、オルディアは古語で光を指す。王城の名前はアストラル・アルトリウス城だ。
アストラルはさっき説明した通りで、アルトリウスは高貴なものだとか守護者みたいなニュアンスを持っているみたいだ。星に選ばれし守護者の城ってとこか……ちなみに王都オルディアは光を抱く都という意味だぞ」
淡々とした説明だが、その声には不思議な重みがある。
「王都は六つの環区に分かれている。段々畑状の地形で、高いほど重要度が増す。覚えておけ」
チョークが走る。
第一環区:王城「アストラル・アルトリウス城」
第二環区:聖教会、聖教騎士団本部、上級貴族街
第三環区:中級貴族街、王立魔法学園
第四環区:冒険者ギルド、商業区
第五環区:庶民街
第六環区:農業区
「覚えておくと迷わん。地形そのものが階段状だからな。上り坂が多いのは覚悟しておけ」
最後にイェルンは、軽くため息をついて付け加える。
「……特にお前ら影星は、大抵のやつが三環区の学園まで毎朝登るんだ。足腰だけは強くなるだろうな」
教室が小さく笑いに包まれた。
グレンは、ノートに必死で書きながら、ルリがいる東棟がある方向に目を傾けた。
まるで正反対の場所にいることが、ふと胸を締めつけた。
その夕方。
影星クラスの廊下を出ると、昨日と同じ場所に影ができていた——
「……おぬし、遅いのじゃ!」
東側廊下の角から、ルリがぴょこっと顔を出す。
髪を揺らし、腕を組んでふんすと仁王立ちしているが、
その足元はまたしてもそわそわ動いている。
「……待ってたのか?」
「む、むろんじゃ!帰り道、迷ったら困るじゃろ? だからじゃ!」
「もう困ることはないだろうけど、二人いたら心強いしね」
グレンは溢れ出す言葉をそのままに紡ぎ出す。
「今日は授業、どうだった?」
「王都の地形の話じゃろ? わしは……まあまあ楽しかったのじゃ!おぬしはどうじゃ?」
「まぁ、俺はここ出身だからな……」
ふたりは話しながらルーフェンの家へ向かう。
帰宅すると、先に帰っていたルーフェンがちらりと目を向けてくる。
「……お前ら、今日は帰りが遅かったな」
その視線は、じっと二人の表情を見比べる。
「ふむ……顔つきが昨日より軽い。授業も……うまくいったみたいだな?」
「う、うむ! わしは、なかなかやるのじゃ!」
ルリが胸を張ると、ルーフェンは口元をわずかにほぐした。
「よし。なら、週末には約束通りローブを買いに行くぞ。新品のをな。始星クラスにいるならなおさらちゃんとしたのを選ばないと」
「おおっ、楽しみじゃ!」
グレンも自然と笑みがこぼれる。
しかしその後、台拭きを手にしたルーフェンが、ふと真顔でルリに尋ねた。
「……そういえば、お前。始星クラスなら専用の寮があるだろう。本来はそっちに入るのが普通だが……」
「……」
ルリは一瞬、まばたきをした。
ルーフェンは続ける。
「この家は仮の宿だ。何か理由がなければ、寮ぐらしをしてもらうことになるが?」
その問いに、ルリは胸の前で両手をぎゅっと握った。
そして——
「……わし、この家……落ち着くのじゃ」
ぽつり、ぽつりと言葉をこぼす。
「それに……わしは……おぬしと帰りたいのじゃ」
グレンが驚く。
「ルリ……?」
「寮に行ったら……帰り道も、夜も……
おぬしと別々になるじゃろ……」
その声は、いつもよりずっと小さくて、震えていて。
「……それは……いや、なのじゃ」
ルーフェンは、しばらく黙ってルリを見つめ——
やがて、大きく息を吐いた。
「……はぁ。まったく……子どもは素直でいいな」
そしてゆるく笑う。
「わかった。寮には家庭の事情につき通い希望と申請しておく。お前がここにいたいなら、止めはしないさ」
「……ルーフェン……!」
ルリはぱぁっと顔を明るくした。
「よいのか!? 本当に良いのか!?」
「ただし、家事は分担だ。あと、帰りが遅い日は事前に連絡を入れること。……それが条件だ」
「うむっ!! 任せるのじゃ!!」
ルリが思い切り笑うと、グレンの胸の奥で、小さな火が灯った。
「まだ、この三人でいられるんだな」
心のよりどころが崩れる心配がなくなって、ほんの少しだけ、今日も救われた――
翌朝。
ほんの少しだけ慣れた通学路にほんの少しだけ慣れた校内。そんな道をルリと歩み、学園へとたどり着く。
昨日よりも少しだけ落ち着いた表情で、影星クラスの教室へ向かうグレン。
教室の扉を開けると、すでに何人かが席に着いて談笑しているが、彼に向けられる視線は昨日ほど刺々しくない。
「……おはよ」
誰に向けたわけでもない小さな挨拶。
返事はないが、無視されるのにも慣れてきた。
それもそうだろう。だれも目をつけられてイジメられたくはない。グレンと関わると、イジメられる可能性がある。そんな空気感が四日目にしてすでに出来上がってしまっていた。
ただ、今日はあの三人組ははまだ来ていないようだ。
数分後、扉が勢いよく開く。
「席につけ。授業を始めるぞ」
イェルン・グレイモンドが入室した。
長身で灰髪、眼鏡の奥の瞳は冷静そのもの。
昨日の魔法構造の講義で、生徒たちに強烈な知性と威圧感を植えつけた男だ。
イェルンは板書はせずに口を開く。
「昨日は魔法の構造を教えた。本日は、この王国の土台となる歴史と組織についてだ」
生徒たちの集中が高まる。
どの科目より世界のルールに関わる重要授業だからだ。
「王国オルディアは約千年前、人類が魔法を得た直後に成立した」
グレンは不服そうな顔をしながらも、表向きはちゃんと授業をしてる風にメモを取る。
「魔法は神からの啓示として突如人に宿った。同時に、世界には魔獣と呼ばれる脅威が生まれた。王はそれらに対処するため、勇者制度を作り、歴史的役割を担わせた」
グレンは眉をひそめる。頭を抱えて、ルリとの会話で思考した情報の整合性を確認し続ける。
一人の男子が手を挙げる。
「先生、魔獣って……その、どこから来たんですか?」
イェルンは短く答えた。
「起源についての確たる記録は残っていない。だが諸説ある中で最も広く支持されているのは——魔法により歪んだ生態系の副産物だ」
グレンは何も質問はしない。したって無駄だということがわかりきっているからだ。彼の脳内では、様々な思考が飛び交っていた。
イェルンは構造図を黒板に貼り出す。
「魔獣という脅威は、一般市民にも降りかかる。それに対応するため民間組織として生まれたのが、冒険者ギルドだ」
「王都の第四環区には星降る小道亭というギルドがある。依頼の仲介、魔獣討伐、護衛や雑務など……いわば国の秩序維持を担っている。民間であり、王城直属ではない」
生徒たちは興味津々だ。
ギルドは若者にとって夢のある場所だから。
イェルンが次に掲げたのは七つの隊が描かれた用紙。
「対して、王城直属で最強の武力を持つのが
聖教騎士団(七星剣)だ」
黒板に七つの名前が順に描かれる。
プリムス隊
セクンドゥス隊
テルティウス隊
クァルトゥス隊
クィントゥス隊
ヘックス隊
セプテム隊
「各団は十名前後の精鋭。魔法と武術の頂点を極めた者たちが属し、大規模災害、国家防衛、対魔獣戦線、高難易度ダンジョンの攻略を担う。民間のギルドとは立場も任務も全く違う」
そしてイェルンは、ほんの一瞬だけ声を落とした。
「つい先日、勇者の称号を持つグレン・アステラフレアが殉職したのは知っているな。彼はプリムス隊に所属していた」
ざわっ……
教室の空気が揺れる。
グレンは俯いた。
それは、過去の記憶に対してか、はたまた単純な同意か……
「今日の講義は以上だ。復習しておけ」
イェルンが退室すると、生徒たちは緊張が解けたように一斉に騒ぎ出した。
グレンは荷物をまとめ、静かに教室を出る。
校舎を出ると、夕日が落ちかけている。
この世界での魔物の認識、そして、この国の誤っているであろう歴史の数々を整理しながら歩く。
気づけば、いつもの場所に来ていた。
きっともういるであろうとグレンは目線をずらす。すると門の近くに彼女がいた
「グレーン! こっちじゃこっちじゃっ!」
両手をぶんぶん振るルリが、一足先に待っていた。
今日も元気いっぱいで、何も変わらない彼女がそこにいた。
「今日もよく頑張ったのじゃ!ルリは寂しかったのじゃ、帰るの遅いのじゃ!」
「……そんなに遅くないと思うけど」
「遅いのじゃっ!」
ぷくっとほっぺを膨らませる。
その様子に、グレンの表情が思わず緩む。
「帰ろっか、ルリ」
「うむ!一緒に帰るのじゃ!」
二人は王都の坂道を下って行く。
段々畑のように連なる環区を歩きながら授業内容を話し合う。これも少しづつ慣れてきたいつもの光景、になりつつある。
「魔獣に関しては噴出孔があるわけじゃから調べればわかりそうなものじゃけどな」
「俺も実はよくわからないんだ……でも、魔法の副産物で魔獣が出来るって説明は雑に感じたな。動物に行ってきた魔法実験とかが元でモンスターが産まれるようになってしまったって認識なのかな?」
「……むぅ……なら、なぜあやつらは殺した時にアイテムを落とすんじゃ。死んだ時に霧散するのも、説明がつかんじゃろ」
ルリは不服そうにふるふると首を振る。
グレンはその真剣な眼差しを見て今一度服のよれを正した。
夕日に照らされた二人の影は長く伸び、道の先でルーフェンが腕組みして待っているのが見えた。
「おかえり……今日も二人とも元気そうだな」
ルリは真剣そうな表情を崩し、満面の笑みを浮かべる。
「ただいまなのじゃ、ルーフェン!」
グレンも小さく笑う。
「ただいま」
その瞬間、ルーフェンの家が帰る場所として少しだけ深く感じられた。




