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一話 死よ、弄ぶなかれ

 石壁は、まるで血潮を吸って腐った布のように黒く濁った色をしていた。

 聖教騎士団第一隊プリムスの精鋭六名は、足を踏み入れた瞬間に悟る。


 このSクラスダンジョンエラーは()()()()()()()()()()と。


 人類が未踏破のまま長年放置した理由が、重く湿った空気だけで理解できた。


 この国で最も勇敢なもの、勇者の称号を弱冠十六で我が物としたグレン・アステラフレアもまた、その異質な静けさに息を止めた。

 ここは、死の底だ。匂いで分かる。


 しかし、その予感はあまりにも遅すぎた。


 先頭を歩いていた生命属性治癒士 グレイプニルがふと振り返ろうとした、その刹那だった。


 音もなく、彼女の身体が上下に裂けた。

 切断されたのではない。

 空間そのものが、乱暴にねじ曲がったように。


 腰から上が一歩ぶん前へ滑り落ち、下半身が遅れて倒れ込む。

 血が雨のように降りそそぎ、グレンの頬を赤く染めた。


「嘘……だろ……?」


 衝撃属性の前衛 バルランドが絶句した瞬間、横穴の闇から黒い腕が伸びた。

 盾ごと胴を瞬時に握りつぶす。


 ドンッ。


 肉と鉄板が同時に折り畳まれ、臓物が鎧の隙間という隙間からぶちゃりと零れ落ちる。


 聖教騎士団でも随一の防御力を誇る男が、一撃で死んだ。


 火属性名家の生まれで、何度も窮地に立たされてきたグレンでさえ、喉が詰まり、判断が鈍る。


 後方で詠唱を始めた天才魔導士 オリヴィエは、叫ぶ暇すらあたえられない。

 黒い触手の束が絡みつき、きりきりと絞り上げ――


 パキパキ……と骨が砕ける音だけが響き渡った。


 次の瞬間、壁に叩きつけられ、真っ赤な花が一つ咲いた。


 霊属性祈祷士 エルドは震える手で瞬時に霊障壁を張るが


「ひ、ひい……な、なんで、俺の障壁が無くなって!」


 障壁そのものがいつの間にかなかったことにされ体の内側から牙が突き出た。


 その後メキッ、とさらに深く牙は食い込み、彼は力なく崩れ落ちた。


 最後に残ったのは、プリムス隊隊長の剣士 グランツ。

 長年グレンの兄貴分だった男だ。


「グレン……早く逃げろッ!!」


 どす黒い影へ大剣を振り下ろした瞬間。

 彼の背から、心臓が抜き出された。


 黒い指がそれを握りつぶし、

 ぐしゃりと洞窟にこだまする音が響いた。


 血が、静かに壁に散った。


 その中心に――

 ただ一人、生き残ったグレンだけが立っていた。


 闇の奥に佇む黒い影。

 その姿は輪郭が揺らぎ、獣とも人ともつかず、形容しようがない。


 それは、瞳というものが見えなかったが、たしかにその瞬間グレンを見た。


 瞳など無いのにも関わらず、どこからか視られているという感覚に、心臓が掴まれたような凍てつきが走る。


 だが――奇妙だった。


 その化け物は、近づいてこない。

 狙える距離にいるのに、まるで観察するように立ち尽くしている。


 そしてそれは、ゆっくりと、頭に見える部位を傾けた。


「……………………」


 言葉かどうかすら分からない響きが、洞窟全体を震わせる。


 そこに敵意は感じられず、ただいたずらに時間のみが過ぎていった。


 次の瞬間、黒い影はふっと霧散するように消えた。


 グレンは、その場に膝をつく。


 なぜ、自分だけが生きているのか。

 理由は分からない。だが――


 ()()()()()()()のではない。

 なぜかは皆目見当つかないが

 ()()()()()


 その冷たい事実のみがこの場に残った。


 仲間の死骸と、血と、声にならない絶望の中で、

 グレンは震える手で剣を拾い上げた。


 これは勇者だからでも、火属性最強と謳われた才能ゆえでもない。


 ただ残酷に()()()()()()()()()()だ。


「……行くしか、ない」


 自分を奮い立たせるためだけの言葉をつぶやき、階下へ下る。


 上を振り返れば、仲間の死が胸を焼く。

 だからとにかく、前へ進むしかなかった。


 階段を一段下りるごとに、そこへ行くなと言わんばかりの何かが足に纏わりつく。

 霊も、マナも、地獄に垂らされた一本の糸のごとく、足の周りにひっきりなしに張り付いてくる。


 しかし突然、空気が変わった。


 冷たい水の中に飛び込んだかのような静けさ。

 血も腐臭も、亡霊の声もない。

 ただ、まっさらな清浄。


 その中心に――


 ひとりの少女が、膝を抱いて眠っていた。


 血も肉片も存在し得ぬまっさらな床。

 その中心で薄汚れたローブを纏った青髪の少女は、まるでこの空間の唯一の生命のようだった。


 瘴気を一切吸っていない。

 存在そのものが異質だった。


 少女はその存在に気づいたのか、ゆっくりと瞼を開け、グレンを見た。


「……む。お主は……だれじゃ?」


 どこか古びた響きをまとった澄んだ声色。


 グレンは言葉を失ったまま、何が起きているのか理解出来ずに立ち尽くした。


 少女は首をかしげ、静かに口を開く。


「なにゆえ、そんな……全部を失ったような顔をしておるのじゃ」


 魂は泣き、返事は震えた。


「失ったよ……全部だ」


 少女は立ち上がろうとしたが、足がふらりと揺れ、グレンの胸に倒れ込む。


 冷たく、倒したら陶磁器のように壊れてしまいそうな軽い身体。


「ここより上は……悪しき怨霊のマナが満ちていてな……われは長く地上に触れてなかったがゆえ……身体が……」


 荒い息をつきながら、少女は問いかける。


「お主、名は……?」


 グレンの心を射抜くような、澄んだ瞳だった。


「……グレン。聖教騎士団第一隊プリムスの副隊長、グレンだ」


 少女はふわりと微笑む。


「よい名じゃ、グレンよ。まだ死ぬでない。外の景色を……わらわにも見せてくれぬか」


 色素の薄い指が、彼の胸元をつまむ。


「一つ言うておくが、わしは神じゃ。わしの記憶が戻れば、おぬしに新たな道を提示できるかもしれぬの」


 少女は表情を崩し、初めて笑顔を見せた。それはこの地の底で見せるにはあまりにも惜しいほど儚く、美しい笑顔。


「のうお主、わしに名をつけてはくれんか?恥ずかしながら、自分の名も忘れてしまったようでの」


 その髪が揺れた時、淡い青の光が舞う。

 グレンの口は、自然と動いていた。まるで、似たような事が百度あっても、全て同じ結末に収束するかのように。


「……瑠璃色の髪だ。なら……ルリ、はどうだ」


 少女は瞳を見開き――やがて微笑んだ。


「……ルリ。うむ、よい名じゃ。わらわは、ルリと名乗ろう」


 その笑顔は。

 地獄の底で初めて見た、救いの光だった。


 血と死と絶望しかなかった最深部で。


 仲間をすべて失い、心が折れかけ、

 それでも歩き続けたその先で――


 グレンは、後に世界を変える少女と出会った。


 歯車は動き出し、世界は再度動き始める。


 これは、グレンとルリの終わりと始まりの物語。

作者です。一応書き溜めが15万文字くらいあるので校正しながら毎日投稿していこうとは思ってます。

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