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短編小説

言葉の裏が怖すぎる!

作者: 東稔 雨紗霧

やはり眼鏡、眼鏡は全てを救う。

 「で、できた……!」


 ブルータスは漸く完成した物を両手で高く掲げた。

 苦節一ヶ月、改良に改良を重ねて漸く求める性能を持った魔導具が完成した。

 心血を注いで作り上げた魔導具、それもこれも全ては三ヶ月前のあの日から始まった。


・・・・・・


 「おほほほほ、まあ、ブルータス様本日のお召し物は一段と素晴らしいですわね」

 「ええ、本当に。私たち生粋の貴族では全く思いもよらない着こなしですな」

 「いやぁ、それほどでも」


 一組の男女にそう言われたブルータスはテレテレと頭を掻いた。

 今回の夜会服は自分でも似合っているんじゃないかと思っていた着こなしであったが故に人に褒められると尚嬉しい


 「私たちでは到底その様に着こなす事などとてもとても。ブルータス様だからこそ着こなせる服ですな」

 「その通りですわ」

 「いやいや」

 「お話し中失礼いたしますわ」

 「ああ、クローディア」

 「クローディア嬢、ごきげんよう」

 「いい夜だね、クローディア嬢」

 「ごきげんよう、セルウィリウス伯爵夫妻、お二人の仲睦まじさは本日も健在ですのね。わたくし達も見習いたいものですわ」

 「まあ、そんな」


 気分良く笑うセルウィリウス婦人にクローディアはブルータスに大事な話があるからと二人に断ってその場を後にし、バルコニーへと向かう。

 はて、こんな他人に話が聞かれない場所でする程の大事な話とはなんだろう?とブルータスは首を傾げる。


 「どうしたんだい? クローディア」

 「どうしたもこうしたもありませんわ」


 振り返ったクローディアは眉を吊り上げてブルータスに詰め寄る。


 「一体なんなのです、その服装は?」

 「え?これかい?良いだろう、さっきセルウィリウス夫婦にも褒められたんだよ」


 夜会用の燕尾服の中に着るベストを一般的に白や無地が選ばれる中であえて派手な柄物にし、下に来ているシャツの襟には自作した銀細工の襟カバーを付けて華やかさを出してみた。

 常々から無地だけのベストだけでは物足りなさを感じていたブルータスは今日の自分の恰好に大満足している。


 「それですわ」

 「へ?」


 クローディアは大きくため息を吐いた。


 「セルウィリウス夫婦の先程の言葉は貴方の服装を褒めた訳ではなく、むしろ逆ですわ」

 「え?」

 「貴方風に言うと貴族言葉と言う物です。分かり易く言うとあれは『庶民上がりが無様な恰好をして、私達ではそんな恰好恥ずかしくてとてもじゃないができない。庶民から成りあがったお前に相応しい格好だな』と言う意味ですわ」

 「またそれか……」


 ブルータスは貴族言葉が分からぬ。

 ブルータスは生粋の貴族ではなく、つい一年と少し前に侯爵家に養子入りした平民産まれ平民育ちの一般庶民男だ。

 ブルータスは優れた容姿も豊富な魔力も持ち合わせてはいなかったが、魔導具の作成能力だけはピカイチだった。

 ブルータスは目が悪い。

 ブルータスは細かい作業がやり辛い己の視界の悪さを何とかしたいとある日に思い立ち、そして彼がその腕を振るって作った物は視力補助用魔導具、通称『眼鏡』だった。


 この眼鏡はたちまち市井のみならず貴族階級にまで広がっていき、ブルータスと同じ生産職に就く者達は勿論の事、国家公務員には特に喜ばれた。

 元々、城壁からの監視等視力を必要とする仕事は適性として人柄は勿論の事、身の回り及び人間関係の調査結果がクリーンな者である事と生来の視力が高い者しか務める事が出来ず、人事は採用人員の確保に毎年粉骨してきたがこの眼鏡のお陰で裸眼が悪かろうが眼鏡さえあれば採用できるようになったためより良い人材を確保できる余裕が生まれ、国防能力が向上した。


 他にも、事務員は普段の事務作業の影響からか目の悪い者が多く、それによって書類をしっかりと見る為にと机に前かがみになって作業する者も多々いるために無理な姿勢からくる慢性的な肩こりや身体のコリから発生する体調不良を抱える者が多くいた。

 だが、この眼鏡のお陰でそんな無理な姿勢から解放されたため体のコリが改善され体調が劇的に良くなったどころか、目を凝らして見る必要性から解放されたため目の疲れや霞目も改善され、事務処理能力が格段に向上した。


 魔導車という魔力を原動力にして動く馬車がある。

 これが社会に普及し始めてまだ十年程しか経ってはいないが、毎年魔導車と歩行者、もしくは魔導車同士の事故が発生しており、魔導車の普及が広まる毎に事故件数も上昇しているため、関係職員はなんとかして事故を減らそうと尽力していたが気を付けていても急な人の飛び出しや細い道や見通しの悪い道などありとあらゆる場所で事故が発生していた。

 それまでは平民が貴族の乗る魔導車に轢かれる事故が多数であったがある日、とうとう貴族が魔導車に轢かれ命を落とすという事故が発生してしまった。

 しかもその亡くなった貴族が降嫁した王家の血を引く者な上に現王族とも交友の深い人物であった事から、国王は事態を重く見て魔導車関連専門の部署を新設した。

 困ったのは新設された部署に配属された文官達だ。

 事故を減らすために何とかしろと詳細を組まれた訳ではなくただ漠然と問題を投げ出された面々は頭を抱えた。

 気を付けて運転をしろと言っても別に事故を起こしている者達も起こしたくてやっている訳ではない。

 対策課も事故が起こり易い場所を現地に赴いて調査し、見通しの悪い曲がり角や道に鏡を付けるなど案を提出し随時設置していっているが、魔導車の普及率の高い都市部だけでもそんな場所は複数個あり、鏡も安い物ではないことから、予算も人も足りず、かと言って事故はそんな事情も関係なく起こるし、国王は急かすしと対策班は途方に暮れていた。

 そんな中、ブルータスが発明した眼鏡はまさに前途に光明を見出す糸口であった。

 眼鏡の普及に伴い、魔導車での事故件数もあら不思議、比例して下がっていくではないか。

 「そうか、今までの事故は運転者や歩行者の視力の悪さが原因だったのか!」

 そう気付いた対策課は直ぐに魔導車免許の許可項目に『裸眼、もしくは眼鏡をつけて一定以上の視力を保持すること』を付き足し、その為の『眼鏡補助金制度』を設立。

 そうするとどうだろう!

 当初の事故発生件数からなんと、年間事故発生件数が八割近くも下がったではないか!

 これには対策課長も喜びのあまり裸で踊り出し、国王も国民への威光を示す事に成功してにっこり、条件に組み込まれた事により眼鏡の売り上げも留まる事を知らずブルータスもウハウハとみんなが幸せになった。


 最近では海での漁を生業としている者達から水の中でもつけられる眼鏡を作って欲しいと注文を受け、食指を動かされたブルータスは早速開発に取り掛かった。

 その結果、水の中専用眼鏡、その名も『水中眼鏡』が新しく発明された。

 水中眼鏡作成の副産物としてできた箱にガラスを嵌めて作った『水視箱』は簡単な作りだが眼鏡より大きなガラスを使っているため眼鏡ほどではないが少々値が張る物となっている。

 だが、舟の上から水中を覗いて獲物を探す事ができると意外にもこれも好評を期し、関係者によく売れた。

 眼鏡には無限の可能性が秘められている。

 ブルータスは己の才能に震えた。


 眼鏡と言う魔導具から生じる経済効果は発明したブルータスが考えていた以上に凄まじく、王国のGDPの向上は留まるところを知らない。

 ブルータスの名は国内だけではなく他国にまで轟き、彼の働く魔導具屋の客足及び彼自身の年収も増加した。

 その内に彼の魔導具作成能力に目を付け、養子に迎え入れたいと貴族が次々と名を上げる事となった。

 何なら他国からも養子に来ないかと声をかけられたり、はたまた是非とも我が国の魔導具作成の講師に来て欲しいと打診が来る程だ。

 子供であればともかく、25歳ととっくに成人した身で貴族社会に馴染めるとはとてもではないが思えなかった為、最初は断っていたブルータスであったが、その内に彼程の魔導具作成能力の持ち主が貴族階級にない一国民であるが故に、簡単に国外へと流れる可能性がある事に危機感を覚えた国が王命をもって『爵位を授けられるか既存貴族に養子入りするかのどちらかを必ずを選ぶように』と命じてきた為に泣く泣く後者を選択し貴族社会へとその身を投じる事となる。

 爵位を授けられるだけであればそちらを選びたかったが、この国では爵位には必ず土地が付与されており、領地経営が義務として課される。

 領地経営の知識なんて持ち合わせていないブルータスには前者を選ぶ事など無謀にも程があり、両親も既に流行り病で亡くなっている事から実質、選択肢は一択であった。


 せめてもの抵抗として養子となった家と折り合いが悪ければ直ぐにブルータスの意思で養子先を変更できる権限とどの家でも魔導具作成及びそれらの販売の権利、特許及び収入はブルータス個人に寄与する上に、いかなる理由があろうともそれらの権利を取り上げるのは禁止する事、魔導具作成の邪魔をしない事を条件に取り付ける事になった。

 ちなみにこれらの条件を提示し告知した途端に三割程の養子が相手側から辞退されたのには流石のブルータスも笑ってしまった。


 そうして国の偉い人と相談したり面談したりして決まったのが、今現在ブルータスが籍を置いているマルクス伯爵家だ。

 「気軽に父さんと呼んで欲しいな」とピースしながら言ってくれたマルクス伯爵家現当主の人柄は勿論だが、何よりも伯爵と言う辺りが良い。

 低すぎず高すぎない中間地点、貴族でも平民を嫁に迎えてもまあ、いける感じの階級に魅力を感じたと後にブルータスは語った。

 あの眼鏡の発明者だと大看板を携え、将来的には一緒に魔導具店を開いて仲良く切り盛りできるような平民女性もしくは低位貴族と結婚したいと考えていたのだ。

 だが、養子縁組をして蓋を開けてみればカトニス侯爵家から婚約の打診がどこよりも早く来ており、格上からの誘いを断る事が出来ず、早速で悪いんだが顔を合わせるだけで良いからと心底申し訳なさそうな養父に言われて顔合わせのお茶会に行く事になった。

 そこで出会ったのがクローディアだった。


 透き通った氷の様な美しい白銀の長い髪。

 ブルーの瞳は良く晴れた蒼空のように澄み渡っており、小さな鼻とその下にあるこれまた小さくて瑞々しい苺の様に赤い唇。

 そして特筆すべき点として彼女はブルータスが作った瞳と同じ青い眼鏡をその小さな鼻にちょこんっと乗せていた。

 こんなに眼鏡が似合う可憐な女性は初めてだ。

 ブルータスは心を打たれ、彼女との婚約を受け入れた。

 まさに一目惚れ、運命の出会いであった。


 それから二人は幾度もお茶会や共に出かけたりと、順調に交友を深め親密度を上げていき互いに愛称で呼び合うようになった。

 クローディアは聡明な女性だった。

 魔導具製作には詳しくないが将来夫となる人の職業なのだからと自身も魔導具について勉強し、いずれはブルータスの手伝いができるようになりたいと公言している。

 将来はマルクス伯爵家の領地経営を主軸として担っていくクローディアが領地の運営だけでも大変なのに、自分の仕事に理解を示し更には貴族社会の事やマナーの事に不慣れなブルータスをクローディアは呆れも嘲笑もせず陰に日向にサポートしてくれている。

 彼女には感謝してもしきれず頭が上がらなかった。


 現在、眼鏡の作成はその製法を広く公開、伝授し、委託している。

 眼鏡の特許を持っているブルータスに二割程のマージンが入る様になっており、黙っていても収入が入って来る寸法だ。

 本来ならば魔導具の作成方法など魔導具師が何を置いても秘匿する方法であり、親から子、師から弟子へ継承し、販売を委託するのであれば普通だが、全く関係の無い他者へと公開する事などあり得ない事であった。

 だが眼鏡はもはや世界を担っていると言っても過言ではない程、需要が高まっていた。

 とてもではないが一個人だけで賄える量ではない。

 むしろ委託しなければ生産が圧倒的に間に合わない。

 本格的に貴族教育が始まった時には委託していて良かったと心底安堵した。

 貴族社会やマナーの勉強に時間を取られ、眼鏡を作る余裕がなかったからだ。

 自分を助けてくれるクローディアを自分も助けられるようになりたいとブルータスもストレスで痛む胃を抱えながら精力的に貴族社会に馴染むために勉強をし、人脈を広げるためにと貴族の一員となった今は眼鏡の注文を再開している。

 委託をしていても、やはり発明者本人に作って欲しいと要望する層は一定数存在するため大いに人脈作成の役に立っており、眼鏡は我が身を助く人生の宝だとブルータスは強く思った。


 一年も経てばマナーは何とか形になり、正式にお披露目される事が決まった。

 本来ならば完璧にマスターするまでは社交になど出ずに勉強に集中するところだが、あの眼鏡の発明者はまだかと周囲の人間がせっつくため止む無くこの段階で社交デビューをする事となる。

 社交デビュー前に婚約を行ったため、有望なブルータスを我が手中に収めんと肉食獣の如き独身貴族に囲まれる危機は回避する事ができたが他の問題が浮上した。

 それが、今現在ブルータスが対面している貴族言葉問題である。


 貴族言葉とは何か、一言に表すと本心をオブラートに包みこんだ喋り方だ。

 ただしオブラートの前に厳重に、だとか一部の隙も無く等が入る。

 例を挙げると、例えば「本日はお日柄も良く」なんて言う定形文に関しても、平民ではそのまま「天気が良いですね」と言う意味になるが、これが貴族言葉になると「今日は商談が上手くいく事を願っているよ」とか「今日のお茶会がとても楽しみですわ」的なその日の予定に対しての言葉として多く使われる。

 これはまだ良い、まだ理解できる。

 だが「今度お宅に伺うのを楽しみにしております」が「首を洗って待っておけよ」だとか「まあ、とても珍しい物ですわね!わたくし、感動致しましたわ!」が「よくそんな物を見せようだなんて思えたものですね!その感性、度胸に驚きましたわ!」なんて意味として使われたりするのだ。


 分かるかそんなもん。


 なんで態々そんな意味が伝わり辛い言い方にしているんだ!

 大体、本当に家に行くのを楽しみにしていたり、感動した場合はどうやって伝えるんだよ?

 そう言うブルータスに麗しい婚約者はにっこりと「その前後の会話から言葉の意味を推理するのですわ。要は慣れと直観力です。ですから、わたくしと共にもっと社交をこなしましょうね?」などと可愛らしくも鬼のような言葉を送ってきた。

 慣れと直観力、どちらも今のブルータスには無い物だ。

 貴族に生まれた者であれば生活していく上で自然と身に付いていくものなのだから、貴方も生活をしていたら段々と理解できるようになるわ、とクローディアは言う。

 だが、ブルータスは少しでも早く貴族社会に溶け込んで多忙なクローディアのお荷物から脱して、未来の夫として彼女を支えられる人間になりたかった。

 日々、勉強に次ぐ勉強、納品に次ぐ納品と忙しいブルータス。

 勉強する時間が足りないと嘆くが貴族界でのパイプ役となる眼鏡の納品を減らす訳にもいかない。

 勉強の時間も商品作成の時間も減らさずにもっと効率よく貴族言葉を覚えるにはどうすれば良いか、そう考えながら自身の眼鏡のレンズを磨いていたブルータスの頭にふと天啓が閃いた。


 そうして三ヶ月の期間を経てできたのが、この魔導具『貴族言葉専用翻訳機~キゾリンガルくん~』だ。

 このキゾリンガルくんは眼鏡の形をしており、これをかけるとあら不思議、視力の補助だけではなく貴族言葉を瞬時に翻訳して視界に出してくれるのだ!

 睡眠時間を削って作られたそれは、まさにブルータスの最高傑作と言って差し支えない出来栄えであった。


 一応、これが本当に翻訳できているのかを一緒に確かめて貰おうとクローディアの分も作成したブルータスは彼女に事情を説明し、次に行われる夜会へと共に着けて行く運びとなった。

 フレームは金を基調とし、ヨロイ部分に赤い薔薇のモチーフをあしらい、テンプルの部分は薔薇の蔦が絡まり合うようなデザインとした。

 彼女の瞳の青と髪の銀に金のフレームはよく似合い、ポイントの赤い薔薇が良いアクセントとなっており、何より髪の隙間からチラリと除く蔦で作ったテンプルが隠れたお洒落として上手く機能している。

 婚約者の眼鏡の着こなしにブルータスは大満足だ。


 「ああ、ディア!君ほど眼鏡を見事に着こなしてくれる人は居ないよ!!君は本当に素晴らしい婚約者だ!!」


 クローディアの手を握り、熱くそう語りかけるブルータスに彼女は上品に微笑む。


 「まあ、お褒めにいただき光栄ですわ。ブルータス様こそ新しい眼鏡が大変お似合いになっていますわよ」

 「ありがとう!」


 ブルータスの眼鏡はフレームを銀を基調とし、ヨロイ部分に青いヤドリギの花モチーフをあしらい、テンプルの部分はヤドリギの蔦が絡まり合うようなデザインとした。

 このお互いの眼鏡に付いているヨロイ部分の花が魔導具起動のスイッチとなっており、魔導具として使いたい時とただの眼鏡として使いたい時を使い分ける事ができる。

 見た目にも機能にも支障をきたさない様にと頭を捻って頑張って考えたデザインを褒められてブルータスは上機嫌だ。

 これで後はキゾリンガルさえ上手く作動してくれれば言う事無しと言えよう。


 「では、行こうか」

 「ええ、頑張りましょうね」


 二人揃って眼鏡のヨロイに指を当て、魔導具を起動させる。

 そうして始まった作動点検だったがここまでの状態は上々だ。


 「ごきげんよう、ブルータス様、クローディア様。本日はようこそいらっしゃいました、今夜は楽しんで行って下さいね」

 (こんばんは、ブルータス様、クローディア様。今日はよく来てくれました、今夜の交流が上手く行く事を祈っていますよ)

 「ごきげんよう、ルキウス公爵。本日はお招きいただきありがとうございます。今夜をとても楽しみにしておりました」

 (こんばんは、ルキウス様。今日は呼んでいただきありがとうございます。交流がんばりますね)


 主催者であるルキウス公爵にクローディアに合わせてブルータスも当たり障りのない定形文で挨拶をして辞した後、いつも通り挨拶に来る様々な貴族たちと交流をする。


 「! ブルータス様、あちらの方はさり気なく避けて別の方の会話へと混ざりましょう」

 (! ブルータス様、あちらの方とは関わらない方が良いです)

 「ああ、君がそう言うのなら」


 何かに気付いたかのようなクローディアの提案によりとある貴族夫婦との交流を避けようとしたが、二人が回避するよりもその夫婦が声をかけてくる方が一足早かった。


 「おや、これはこれはブルータス殿、このような場所でお会いできるとは」

 (平民風情が、その程度の作法でよくこの場に出てこれたな)

 「ええ、ここでお顔を合わせるとは思ってもおりませんでしたわ」

 (本当に、のこのこ出てきて恥ずかしくないのかしら)

 「ポンペイウスご夫妻におかれましてはご機嫌麗しゅう」

 (ポンペイウスご夫妻、こんばんは)


 ずいっとクローディアがブルータスの半歩前に出て貴族礼を行い、二人へと挨拶を交わす。

 当初キゾリンガルの翻訳に呆気にとられたブルータスであったが、その姿にハッと我に返り慌ててクローディアの後を追って二人へと貴族礼と挨拶を返す。


 「ポンペイウスご夫妻、ご機嫌麗しゅうございます」

 「ふふ、そんなに畏まらなくてもよろしくてよ? 貴方も貴族となられたのですから、ええ」

 (いくら取り繕うとも、元の平民臭さが抜けていないのだから無駄よ)

 「そうだとも、気楽に接してくれて構わないさ」

 (努力をするだけ無駄という物だよ)

 「あ、ありがとうございます」


 強張りそうな顔の筋肉を総動員して笑顔を返す。

 クローディアの言っていた貴族言葉の恐ろしさの真の意味を漸くブルータスは理解した。


 以前のブルータスであれば夫婦の言葉の額面通りに受け取り、肩の力を抜いて二人に接していただろう。

 そしてそれを受けた二人はやはり平民に貴族の真似事など無理だったのだと陰で他のブルータスを元平民と侮っている者と笑い話のタネとするのだ。

 言われているブルータスは侮られ、馬鹿にされている事にも気付かずただニコニコと阿呆の様に笑い、それをまた馬鹿にされる事を繰り返し貴族界でのブルータスの扱いの地位が落ちていく。

 そこまで安易に想像が出来たブルータスはゾッとした。

 それと同時に、今まで如何にクローディアに守られていたのかを痛感する。

 今だってそうだ。


 「ブルータス様をお気遣い頂きありがとうございます。彼も国王陛下に取り立てられ貴族となられた身、故に国王陛下の顔に泥を塗る事が無い様にと日夜、少しでも馴染めるようにと邁進なされておられる姿を存じ上げておりますので、お二人の温かいお言葉に胸が温まる想いで思わず誰かにお話ししたくなるほど嬉しいですわ」

 (お気遣いどうもありがとうございます。彼を貴族にすると決めたのは国王陛下ですので彼を侮るのは国王陛下を侮ると同じ事ですのよ? あまりにも言葉が過ぎるとお二人の言葉を必要な所へと報告させて頂きますわ)


 上手く受け答えできないブルータスの代わりに夫婦と言葉を交わし、ブルータスの盾となろうとしている。

 ポンペイウス夫人が微かに眉を顰めた。

 以前のブルータスであればその微細な表情の変化の意味には気付かなかっただろう。

 事実を知ったブルータスにはその後に浮かべた笑顔が取り繕っている様にしか見えない。


 「まあ、その様に感じられるなんてクローディア様は感情豊かでおられますのね!人を気遣うのは当たり前の事ですわ、お気になさらず」

 (陛下を侮るなんてそんなつもりは微塵もないわよ!誰かに報告なんてそんな大袈裟な)

 「ええ、妻の言う通りですよ。わたし達はただブルータス殿が少しでも貴族社会へと慣れればと思っただけですので」

 (妻の言う通りだ。彼を侮ろうだなんて微塵も思っていないさ)

 「まあ、そうなのですね。では、お二人の温かいお言葉はそっと胸にしまっておき、何か辛い事があった際の励ましの言葉とさせて頂きますわ」

 (まあ、そうなのですね。では今回の事は胸にしまっておきますが、次は無いですわよ)


 手にしている扇子で口元を隠しながらそう告げるクローディアに夫婦は退席の挨拶を行い、逃げる様にその場を後にする。


 「ありがとう、ディア」

 「礼には及びませんわ。それよりも、交友はここからですが大丈夫ですか?」

 (礼には及びませんわ。それよりも、まだ同じような方はたくさんいますが大丈夫ですか?)

 「ああ、驚きはしたけれども君が言っていたのはこう言う事だったのかと本当の意味で理解する事ができたし、キゾリンガルの試運転なのだからこれくらいでなくてはね」


 そう強がってみせたブルータスであったが、クローディアの言葉の通りこれ以降、貴族言葉の恐ろしさを幾度となく目にする事となる。


 「ふふ、ではわたくし達はこれで失礼しますわ。またどこかで」

 (いくら才があり、貴族に取り立てられたからと言ってわたくし達と親しくなれるなどと思い上がらないで下さいね)


 「ブルータス殿の委託の判断のお陰でわたし達も眼鏡を手にする事ができました。素晴らしい考えですな。ですが、やはり発案者であるブルータス殿が作られた本物の眼鏡も気になりますな」

 (ブルータス殿の眼鏡を委託すると言う考え、良い発案ですな。だが、それはそれとしてブルータス殿が作った眼鏡を購入出来るだろうか?)


 ブルータスを受け入れている者も居れば、静観する者や未だ平民がと侮る者もいる。

 選民思考の強い者は例え才覚を見初められた者であっても、その身に流れる血の尊さが違うのだと鼻を鳴らす。

 新しい力、利益に気付き、いち早くそれを取り込むもしくは取り入ろうとする者もいれば、そんな物に頼らなくても従来どおりで何も不自由も不利益も生じないとそれを拒絶する者もいる。

 そこに選民意識の有無は関係なく、むしろ取り込もうとする側に選民意識がある方が面倒だった。

 下民は自分に求める物を捧げ、尽くすのが当然とブルータスの技術や知識、物を無償で捧げさせる、もしくは奪おうとし、それが間違っているとは微塵も考えない。

 だから拒否すると無礼だぞと気分を害し、何故逆らうのかと怒る。

 そんな人間達はこちらが言葉を尽くそうとも理解しようという気が微塵も無いので当たり障りない言葉で煙に巻き、それとなく距離を置いていく。

 そうして貴族達との交流が一息ついたところで、バルコニーに出てクローディアにキゾリンガルの翻訳が上手く行っているかを聞いてみる。


 「ええ、今のところ特に大きな齟齬も無く翻訳できていると思いますわよ。ただ、長時間話されるお方ですと少し翻訳が遅れだす傾向がございますわね。それと時折、翻訳に敬語が抜けたり入ったりしておりますわ」

 (ええ、今のところ特に大きな齟齬も無く翻訳できていると思いますよ。ただ、長時間話されるお方ですと少し翻訳が遅れだす傾向がありますね。それと時折、翻訳に敬語が抜けたり入ったりしてます)

 「うん、そうだね。そこは要調整かな」

 「……ここまで言葉の裏側を明確に理解されたのは初めてでしょうが、大丈夫ですか?」

 (……ここまで言葉の裏側を明確に理解されたのは初めてでしょうが、大丈夫ですか?)


 これまで好意的だと思っていた人間が実は自分をずっと馬鹿にしていた事を知ったり、それと同じように自分を認めてくれる人が居ると知る事が出来たりと今までよりも随分と疲れる夜会ではあったがそれ以上の収穫もあった。

 言葉にしている事とキゾリンガル表示されるその内容にあまり齟齬が生じないクローディアにブルータスは彼女が自分を気遣ってこれまでも分かり易く話してくれていたんだろうなと実感して嬉しくなる。

 視界にずっと翻訳画面が表れるのも疲れるのでキゾリンガルのスイッチを切り、邪魔のない視界でクローディアに向き直って、感謝の言葉を伝える。


 「うん、確かにショックを受ける事も多かった。けれどそれよりも、君がいつもどれだけ僕の為に心を砕いて接してくれているのか、どれだけ気を張って守ろうとしてくれているのかをいつも以上に実感する事ができて、君の素晴らしさをもっと良く知る事ができたよ。

 こんな所で言うのもなんだけれども、改めて言わせて欲しい。

 いつもありがとう、ディア。君が婚約者になってくれて本当に良かった。それと、僕も君を支えることができるようにもっと頑張るね」


 誠意は目に宿る、誠実に真っ直ぐ相手に伝えたい事があるのであれば相手の目をしっかりと見なさい。

 養父に言われた事を思い出しながら少しでもこの感謝の気持ちが伝われば良いなとクローディアの目を見つめて真摯に言葉を紡ぐ。

 クローディアは頬を赤く染め、プイッと視線を逸らした。


 「わ、わたくしはブルータス様の婚約者として当然の事をしているまでですわっ!将来貴女様の妻となるのです、その、お、夫を支えるのはつ、妻の務めですのでっ!」

 「うん、君が将来僕の奥さんになってくれるのが本当に嬉しくて仕方がないよ」


 とうとう耳まで真っ赤になったクローディアにブルータスは僕の婚約者は本当に可愛いなと頬を緩める。

 可愛い婚約者をいつまでも愛でたいのは山々だが、今はキゾリンガルの試運転の話だ、脱線した話を戻す。


 「他に気になった所はあるかい?」

 「……」

 「うん? 何かあるのなら遠慮なく言って欲しいな」

 「……いえ、その、ですね」

 「うん」

 「~~っなんでもありませんわ! そろそろ戻りますわよ!」


 いつもハキハキとしている姿とは違って煮え切らない態度のクローディアにブルータスは首を傾げながらバルコニーから会場へと戻っていく婚約者の背を追った。



 事件は会場に戻ってしばらくしてから起こった。

 ブルータスがその二人に目を止めたのはほんの些細な偶然だった。

 切っ掛けはただ、その二人が身に付けている眼鏡がブルータスの作った物ではなく委託した業者が作った物で少しデザインが気になっただけだった。


 「趣味の方は最近どうですかな?」

 (例の件はどうなった?)

 「ええ、最近良い猟銃を手に入れましてな。二週間後の猟友では良い獲物が獲れそうです」

 (首尾は上々だ、あの夫婦が二週間後に遠出する情報を入手した。そこで始末しようとおもっている)

 「おや、それは良いですなぁ。最近は予定が合わず猟友も久方ぶりですし、その猟銃で良い獲物を獲れるよう祈っていますよ」

 (ほう、それは上々。あの夫婦は滅多に遠方には出かけないからな、この機会を逃さず始末し、あの夫婦の訃報が届くのを楽しみにしているよ)

 「ええ、次回お会いする時に自慢できる成果を挙げて見せましょう」

 (はい、任せて下さい)

 「猟友会では良い獲物が表れてくれるといいのですが、こればかりは運ですからなあ。追立役の者達が上手く獲物を引き込んでくれると良いのですが、どう思いますかな?」

 (あくまでも夫婦が死ぬのは事故でなくてはならない、そこらへんの首尾は上々か?)

 「ええ、良い獲物が獲れてこその狩猟会ですからね、私の追立役の者たちも気合が入っておりますよ。」

 (ええ、当然です、悲劇的な事故を起こしてみせますよ)


 端から聞いているとただ狩猟しにいく貴族男性とそれに相槌を打つ貴族男性の会話なのだが、キゾリンガルによる翻訳は誰かの暗殺を狙う恐ろしい計画が話されている。

 え、故障?

 そう思ったブルータスだったがその二人組以外の会話は平和的に行われている。

 だが、二人に向けると狙われている夫婦を暗殺した後のシナリオの打ち合わせなんていうおどろおどろしい会話内容が表示されてしまう。

 これは自分の手に余る、そう判断したブルータスは支えられるように頑張ると宣言した手前誠に遺憾だが、早々にクローディアの知恵を借りる事にした。


 「お話し中に失礼。ディア、今良いかい?」

 「どうなさいましたの?」


 他の婦人と歓談していたクローディアを婦人に断りを入れて誘い出す。

 本来ならば会話中に連れ出すなどマナー違反であるのだが今はそんな事を言っている場合ではない。

 いつもならば直ぐに窘めるクローディアであるがブルータスの様子がいつもと違うと判断し、婦人にその場を離れる挨拶を行うとブルータスの後を追った。


 「それで、あの場では言えない事なのでしょう? どうなさいましたの?」

 「説明は後で、取りあえず気付かれないようにしながら、あの二人の会話を聞いてキゾリンガルの翻訳を見てくれないかい?」

 「分かりましたわ」


 ブルータスの指示に素早く従ったクローディアは男達が話している内容に目を疑った。

 男たちは標的としている夫婦が死んだ後、如何にしてその夫婦が治めている土地を手中に収めるかの相談をしている。

 邪魔な夫婦が亡くなった後に残された息子に自分達の息の掛かった娘を嫁入りさせてその土地にある鉱山を解放するだの云々かんぬん。

 夫婦が反対をしていたせいで開拓出来なかったが、邪魔者さえ居なくなれば隣国にも横流しが可能等とあくどい事を言っているが、あくまでもそれはキゾリンガルの翻訳に表示されているだけで実際に言葉にして話しているのは狩猟で得た獲物で帽子を作りたいだとか、狩猟に行く場所の近くに景色の綺麗な場所があり、そこに妻と子を連れて行くのも良いなとか平和的な内容だ。

 話している表情も朗らかで、とてもではないが人を殺す計画を立てているとは考えられない。

 言葉の裏が怖すぎる。


 「やっぱりこのキゾリンガルの翻訳はまだ不完全だからかな? あの二人以外の翻訳は上手くいっていたと思ったんだけど、狩猟会みたいな特殊イベント系の会話文とかはそこまで詳しく入れていなかったせいでこんな物騒な会話の翻訳になってしまったとしか考えられないんだよね」


 ああ、実用段階にはまだ早かったかと肩を落として言ったブルータスに周囲を見回していたクローディアが首を横に振る。


 「いいえ、わたくしはブルータス様の魔道具開発の腕には全幅の信頼を置いております。翻訳の概要をお聞きし、先程まで試行しておりましたが、多少の間違いがあったとしても決してこのように暗殺する等の野蛮な間違いになりようはありませんわ。実際、他にも狩猟の会話をしている方を探してみましたがその方々に関しては異状無く翻訳されているようですわよ」


 クローディアが示した方向に目をやると談笑しているグループがいた。

 先日行った鹿狩りの話で盛り上がっており、その会話の翻訳は暗殺だとか物騒な会話文にはなっていない。

 という事はつまり。


 「あの二人、もしくはあの二人の所属している何らかの組織で何処かの夫婦を実際に暗殺するつもりだってことかい?」

 「現段階でははっきりとは断言できませんが、その可能性は高いかと」


 これはえらい事になった。

 表情でそう語るブルータスにクローディアは少し困り顔で首を傾げる。


 「そう嫌そうなお顔をしないでくださいまし、貴族の社会では謀殺や密殺、謀は日常茶飯事でしてよ? ですが、流石にこの件はわたくし達の手には余りますわね。一先ず、あの男性方がどちらの方なのかを調べ、お父様やマルクス伯爵にご相談致しましょう」

 「君も知らない人なのかい?」

 「わたくしも全ての貴族の名前と顔を覚えている訳ではありませんのよ? 一度ご挨拶を交わした仲であるのであればいざ知らず、あの方々はお話した事も無い方のようですし」


 周囲の会話に紛れ込み、周りの人間にそれとなく男二人の名を聞いた二人は至急クローディアの父親であるカトニス侯爵とブルータスの養父、マルクス伯爵の元へと向かう事にした。


 本来ならば結婚前の男女が一つの馬車に乗るのはよろしく無いのだが、事が事だからと他の人間に聞かれないように共に馬車へ乗り、ブルータス達の家であるのマルクス家へと向かいながら話をする。

 男二人の会話を聞いたからだけでは何の証拠にもならない。


 「そもそも、僕が作成したキゾリンガルの不具合ではないかな?」

 「ブルータス様は天才ですわ!!そんなミスあり得ません!!」

 「でも、カトニス侯爵と養父もきっとこう言うと思うよ?」


 眉を下げるブルータス。


 「確かに話だけでは少々弱いですわね、何とかあの二人を納得できる様な証拠の様な物があれば話は早いのですが……」

 「証拠、と言うとどんな物が?」

 「わたくし達以外にもあの二人の会話を聞いていた第三者、もしくはあの時のキゾリンガルの翻訳をお二人に見せる事が出来れば手っ取り早いのですが難しいですわね……」


 考え込むクローディアに「あのう」とブルータスが手を上げる。


 「一応、あの二人の会話内容を記録として紙に出す事は出来るよ?」



✻✻✻



 ブルータスは屋敷に到着するとクローディアが二人に説明をしている間にキゾリンガルで記録した映像を翻訳付きで紙に印刷した。

 帰ってから記録を使って翻訳細部の補備修正を行う為に付けた機能であったが、思わぬ形で重宝した。

 印刷した資料と共に軽く新機能の説明をしたブルータスに三人は待ったをかける。


 「ごめんね、ちょっと一回待とうかこの魔道具の衝撃が大き過ぎて話が入ってこない」

 「いやはや、婿殿は本当に驚かせてくれる」

 「天才なのも良い加減になさってくださいまし」

 「えっと、僕、何かしちゃいましたか?」


 三人の反応に何かしら不味い事をしてしまったようだと察したブルータスに優しく養父が説明をする。


 「良いかいブルータス。見た物を記録して後から好きな時に紙に起こせるなんて、そんな物が流通してしまったらこの国の重要機密案件を不埒者が簡単に盗み出すなんて事が容易になってしまう。そうなれば国の運営に大きな影響を及ぼしてしまうんだよ。悪用されれば大問題だ」

 「あ……」


 これがあれば出先の美しい景色や家族の思い出を印刷して保存する事が出来る。

 もっと彩度を上げられたらこの機能付きの眼鏡を近々新作として発表しようと思っていたブルータスであったが養父に言われた事で悪用される事に思い至り、やはり平民生まれの自分では想像が付かない事があるのだなと自らの勉強不足さを痛感した。

 落ち込むブルータスに養父は優しく微笑む。


 「君はより良い物を作って人々に幸福を与えたいと願っている人だ。これ自体はとても素晴らしい物である事は変わらないし、君の願いとは違って悪事に使おうとする者が悪いだけだからそんなに気にする事は無い」

 「……はい」

 「それにこれがあれば通常よりも早く陛下との謁見に可能になる」


 養父の言葉に知らず下がっていたブルータスの顔が上がる。


 「不確定要素が多い今、まだ陛下へ報告する事は出来ないけれども、調査が終われば直ぐにそれを陛下へ報告する必要がある以上、謁見の申請を繰り上げる為に大きな理由が必要になってくる。

 事が事なだけに申請内容をあまり公には出来ないが、陛下はこういった新しい物に目がないし、何より稀代の魔道具職人である君の発明だ。国の運営にも大きく関わっている眼鏡の新機能なんて食い付かないはずがない」

 「そうですわね、陛下は平民から貴族へと大きく立場の変わったブルータス様へ大きく関心を向けていらっしゃいます。何かあれば直ぐに相談すると良いと普段からお言葉を頂いているのですから大丈夫でしょう」

 「婿殿、これは紙以外に他の者が見る事はできるか? 例えば陛下が使用されている眼鏡に二人が見た事を映し出す等は?」

 「それは難しいですね、今のところ記録しておいて紙に出すのが精一杯です」

 「ふむ、では同じ記録機能がある物はあるか?」

 「一応予備として一つあります」

 「ではそれを手土産に実際に陛下に体験してもらうのが情報を一番信用して貰える方法だろう。陛下からの許可を頂くまではくれぐれもこの機能については口外禁止だ、いいな?」

 「はい」


 その後の話し合いの結果、申請時は表向きには眼鏡の新たな機能はキゾリンガルと言う形で報告をし、謁見を申し込む方向に決まった。


 「ブルータス様、思ったのですがこのキゾリンガルは翻訳する物を別の物に代える事は可能ですの?」


 クローディアの言葉にブルータスは頷く。

 貴族言葉を翻訳するように設定しているのだからその部分を代えればいくらでも変更は可能だ。

 応用すれば他国の言語学習にも使えるだろう。


 「それは人間限定ですの?」

 「と言うと?」

 「例えば、そう、猫とか」

 「!!」


 雷に打たれたかのような衝撃がブルータスに走った。

 猫、そうか、なにも翻訳するのを人間だけに限らなくてもいいじゃないか!

 猫や犬、馬など人間ではない相手の気持ちを知りたい存在なら誰にでもあるだろう。

 キゾリンガルならぬネコリンガル、イヌリンガル……良い、とても良い。


 「あぁ、ディア!君はやっぱり最高だよ!!」

 「きゃっ」


 自分では決して思い付かなかったアイデアに感動のあまりクローディアを抱き締めると横から大きな咳払いが聞こえた。


 「ごほんっ!婚前の男女がむやみに密着するのは感心しないな」

 「!!し、失礼しました」


 カトニス侯爵の指摘に慌てて身を離してソファに座りなおす。


 「そうだな、翻訳する内容を代えられるのであれば報告する物としては申し分ない。王妃は大変な愛猫家だと有名であるし愛猫の気持ちが分かると言われたら欲しくなるだろう。

 それに、内容を変えられるのであれば他国の言語も可能なのだろう? 王族は外交の為に多くの時間を言語習得の勉強に当てている、その補助として使えるのであれば教育が大幅に楽になるだろう」

 「決まりましたわね、後はこの不埒な計画を立てている男達と狙われている夫妻がどちらのお方なのかを調べる必要がありますわ。幸いにして今週は始まったばかり、まだ猶予はあります」

 「ふむ、では折角ブルータスが頑張ってくれたのだから今度は私が頑張るかな。この男達の調査は任せたまえ」

 「ありがたいですが大丈夫ですか?」


 心配するブルータスに養父はウインクを返す。


 「なあに、任せたまえ。私はこう言うのは得意なのだよ」



✻✻✻



 「さて、調査の結果が出揃いましたな」


 二日後、マルクス家へと訪れたカトニス侯爵とクローディアを応接間へと通し、そこでテーブルの上に出された書類には狙われているであろうと推測される夫婦の情報が記されている。


 「恐らく、相手の狙いはうちの遠縁にあたるガイウス家だろう。根拠は三つ、まず一つ目にガイウス家が治める領地で最近、貴重な鉱石が採れる鉱脈が見つかった。だが、その鉱脈のある山は貴重な山鳥や植物の群生地域であり、近くに大きな湖がある事からガイウス家当主は水質の保持及び景観や種の保護の観点と湖は領地の観光資源としても利用している事から収入面でも困っておらず、開拓はしないと決めたらしい。

 二つ目に夫婦は丁度、来週は妻の妹夫妻の家へと孫の生誕を祝いに行く予定だ。

 三つ目に我が国ではその貴重な鉱石はただの宝石として扱われるが、最近隣国で従来の倍の威力の爆弾が開発され、この鉱石はその強力な爆弾に必要な爆薬の原料の一つである事が分かった。

 二人の話ではその鉱石は隣国へ流れると言っていたね? ガイウス家の領地は比較的隣国に近い位置にあり、隣国へ密輸出する事は容易だろう。

 以上の観点から、現段階で狙われる可能性が一番高いのはこの夫婦だろうと言う結論に至った」

 「それだけの情報をよくこの短時間で集められましたね」

 「なんだ、婿殿はご自身の養父の事をご存知ないのか?」

 「え?」


 首を傾げるブルータスにカトニス侯爵は楽し気に説明する。


 「遠耳のマルクス、各地で起きた様々な情報をどこからともなく入手しているその情報網の広さで君の養父どのは知る者の間では有名なんだぞ?

 国内貴族の弱みを全て握っているとも言われ、王からの信頼も厚い。彼ならばマルクス伯爵家を今の爵位よりも上へ上げる事も可能であるのに敢えて今の地位に居るとも囁かれている。

 眼鏡の発明者とは言え、平民から貴族へ上がった君の立場は弱い。この方ほど庇護下として選ぶのに向いている人はいないだろう。」

 「はっはっは、なんの。自分はただ小耳に挟んだことをカトニス侯爵にお伝えしただけです。この短期間で裏付け調査されたカトニス侯爵には及びますまい」


 穏やかに笑い好々爺としている養父がそんな諜報活動に優れているとはとても信じられない。

 あんぐりと口を開けているブルータスにカトニス侯爵は笑いを零す。


 「何故、前回も今回も侯爵家であるこちらから家督が下に当たる君の家に足を運んでまで重要な話をしていると思う? マルクス伯爵家の方が我が家より防音及び情報漏洩防止策が勝っているからだ。世間体もある以上、それほどの重要な理由でもなければ爵位が上の家の当主が下の家へとわざわざ出向かないのだよ。

 私がマルクス伯爵を尊敬していようが貴族社会においてそれは関係ない。君がクローディアの婚約者だからだとでも思っていたか?」

 「ええ、まあ」

 「はは、てっきりマルクス伯爵の事を全て知った上で養父として選んだと思っていたが、ただの偶然だったとは……婿殿は運が良いな」

 「いやぁ……」


 爵位が中間で丁度良いと思ったから選んだ事は墓場まで持っていこう、とブルータスは心に決めた。


 「狙われている夫婦は目星が付いた。次は君たちが見つけた男二人の話だが……こちらが少々厄介でな」


 聞くと建国時代から王に仕える一族の傍系で由緒正しく、王族の覚えも良い人物であり、魔道具があってもこちらの話を信じて貰えない可能性が高い。

 だから確固たる証拠を手にする必要がある。

 実行犯を捕まえるのが一番早いが、実行日時と場所が不明瞭である以上それは現実的ではない。

 であればやはり、彼らの周囲を張り尻尾をつかむしかないが正当な理由なくして他領へ私兵を送る事はできない上に今回の件は隣国の者が関わっている可能性が高く、対応を間違えば国際問題に発展する。

 故に何としても国王に協力して貰う必要があった。



✻✻✻



 次の日、国王との謁見許可が取れたとクローディアがやってきた。


 「王族、それも国王様ともなればそうおいそれと御目通しが叶う相手ではございません。最低でも三日前に謁見申請を提出し、それにより王のスケジュールとの擦り合わせが行われて謁見可能な候補日を通達され、その日付を了承する申請を行いそれが受理されて初めて御目見えする事ができるのです」

 「なるほど」


 かなり回りくどいが要するに商業ギルドや取引先へ事前にアポを入れるのと同じかとブルータスは納得する。


 「今回はブルータス様の新機能報告があればこそ陛下の関心を惹き、謁見の約束をねじ込む事が出来ましたがこれはあくまでも例外ですので覚え間違えのないように」

 「分かったよ。いつもありがとう」


 ブルータスがそう言うとクローディアは頬を染め、そっぽを向いた。


 「こ、今回は残念ながらお父様達の同席は許されておりません。貴方の口から事の仔細を話さなければありませんが、大丈夫ですか?」

 「ぐっ、うん、ガンバリマス」


 シクシクと痛み始めた胃を抑え気合を入れたブルータスだったが、今は来たことを絶賛後悔していた。


 「其方の言う者達は建国の日より我が国、ひいては我が王家へ仕え続けてきた忠臣たる一族の者だ。根拠も、根も葉もない事実で進言し、世の愛する家臣を辱しめるのであれば余は彼らを守る為に動く。

 理解できたか? 理解できたのであれば、それ相応の覚悟を持って口を開け」


 新機能の説明前に人払いを願い、発見した二人の会話内容を簡素に報告すると制止がかかり、その言葉を投げられた。

 王の言葉に肩に途轍もない重圧を感じ、息苦しさと胃の痛みを感じる。

 震える身体でなんとか説明しようと浅く呼吸をしていると何かがブルータスの左腕に触れた。

 あまりの驚きに一瞬、呼吸が止まる。

 バクバクと脈打つ心臓を抑え、左を見ると青い瞳と目が合った。

 自分が贈った眼鏡に縁どられたその瞳に勇気づけられ、ブルータスは国王の目を見つめ口を開いた。



✻✻✻



 キゾリンガルと印刷機能に国王は食い付いた。

 それはもう見事な食い付き様とはしゃぎっぷりで掛けられた重圧は一体何だったのかと問いたくなる程の反応だった。

 国への献上品として新機能を付けた眼鏡を優先的に作るのを条件にガイウス家の警護と事件の調査の人員を出してくれる事になり、事態は大きく動いた。

 事情を知ったガイウス夫婦の協力のお陰で実行犯の全てを捕縛する事に成功し、その共犯者達も芋蔓式に逮捕する事に繋がった。

 夫婦の暗殺を企てた者達の中には夫婦の息子がおり、環境を守る事を選択した夫婦と対立して鉱山を開拓し、莫大な資産を得たい息子とその甘い汁を啜りたい者達が結託した結果、今回の夫婦暗殺事件を企てる事となったと供述し、事の詳細を知った夫人は深いため息を吐き、静かに涙した。

 隣国の新しい爆薬となる事を知った陛下は件の鉱石の輸出を速やかに規制し、得た情報を元に国内でも爆薬を開発する事に決めたらしい。

 未然に事件を解決に導いた事と鉱石の販売予定者リストから隣国への内通者を炙り出す事に繋がった功績から褒章式が行われ、その夜の王家主催の夜会でブルータスは本日の主役として紹介される事になった。


 入口の扉の前に立ち、名を告げられるのを待つ。


 「今回は本当に大変でしたわね」

 「本当だよ……君やカトニス侯爵、父さんが居なければどうなっていた事か……養子じゃなくて爵位を選ばなくて良かったと心底思ったよ」

 「ふふ、ブルータス様が爵位を授けられる方を選ばれなかったお陰でわたくしはブルータス様と婚姻を結ぶ事が出来ましたしね?

 それにブルータス様の選択に感謝すれども残念に思う事などわたくし、一切ございませんわ。爵位と土地を得るだけ得て土地の管理は専門家を雇ってご自身は引き籠る、もしくはこれまでと同じように過ごされる選択肢もあったにも関わらず、ご自身の価値を良く理解された上で慣れない貴族社会に身を投じる選択をされたその勇気をわたくしは讃えますわ!!」

 「は、ははははは、そんなに褒められるような人間ではないよ僕は」


 そう謙遜しながらブルータスは心内で頭を抱えていた。

 専門家に丸投げできるそんな方法があったのか!

 それをあの時に知っていたら躊躇無くそれを選択していただろう。

 そうしていたら今もあの頃みたいに貴族の言葉の裏を読むのに苦労したり、人付き合いで胃を痛めたりなんてせずに気楽に魔導具の事だけを考えて生きていけた。

 婚約者も得て本格的に社交を始めた現状では今更『あ、やっぱなしで爵位貰う方に代えます』なんて選べない。

 ブルータスは時を戻す伝説の魔道具が欲しいと心底から願った。


 ただ、まあ。


 ブルータスは楽しそうに微笑みながら横に立つ婚約者へと視線を落とす。

 そうなっていた場合、彼女と出会う事は無かっただろうなと考える。

 こんなに得難い素晴らしい婚約者を得る事ができたのだ、過去の自分の無知さ加減には少しは感謝してもいいだろう。

 だけど……。


 「さあ、ブルータス様、今日も社交頑張りましょうね」

 「あ、ああ、うん」


 来訪したブルータスたちの名を告げながらパーティ会場のドアが開かれる。

 一斉に向けられる視線に後ずさりしそうになるブルータスの手をエスコートされているクローディアが強く握り前へと引っ張る。

 この貴族社会に慣れるまでの心労と既にシクシクと痛みだした胃の痛みと無縁な健康な内臓を持っていたあの頃だけは心底羨ましく思うブルータスであった。



おまけ


 「大活躍だったとお聞きしましたよ、ブルータス様」


 声を掛けられ振り向くとセルウィリウス伯爵夫妻がシャンパン片手ににこやかに近付いてくる。


 「いやはや、この眼鏡を開発される技術だけではなくそれ以外の才も発揮されるとはブルータス様は多才でいらっしゃる」

 (いやはや、この眼鏡を開発される技術だけではなくそれ以外の才も発揮されるとはブルータス様は多才でいらっしゃる)

 「本当に素晴らしいわ。私達、ブルータス様が平民から貴族社会へと足を踏み入れられた事に心配しておりましたが杞憂でございましたわね」

 (本当に素晴らしいわ。私達、ブルータス様が平民から貴族社会へと足を踏み入れられた事に心配しておりましたが杞憂でございましたわね)

 「あ、ありがとうございます」


 呆気に取られていたブルータスだったが、組んでいた腕をクローディアに軽く揺らされ慌てて礼を述べる。


 「本日のお召し物も本当に素敵ですわ。その襟に付いている飾りの金細工も精工で白いだけのシャツが首元から華やいで見えますもの」

 (本日のお召し物も本当に素敵ですわ。その襟に付いている飾りの金細工も精工で白いだけのシャツが首元から華やいで見えますもの)

 「うむ、以前の銀細工も良かったが今回の金も素晴らしいな。いやはや、是非とも私にも作っていただけないだろうか?」

 (うむ、以前の銀細工も良かったが今回の金も素晴らしいな。いやはや、是非とも私にも作っていただけないだろうか?)

 「あ、はい……でしたら、近々ご自宅へ伺いましょう」

 「本当か?!であればご足労頂かずにこちらから伺いましょう……それとこれは忠告なのだが」

 (本当か?!であればご足労頂かずにこちらから伺いましょう……それとこれは忠告なのだが)


 声を潜めてセルウィリウス伯爵がブルータスに囁く。


 「ブルータス様は平民であった故に注文された家に赴くのは理解しているが、今は伯爵家の者であるのだから家格が下の者から注文されだ場合は相手に自分の家へ足を運ばせる様にした方が良いでしょう。侮る者はそんな些細な事からでも貴方を侮るのですから」

 (ブルータス様は平民であった故に注文された家に赴くのは理解しているが、今は伯爵家の者であるのだから家格が下の者から注文されだ場合は相手に自分の家へ足を運ばせる様にした方が良いでしょう。侮る者はそんな些細な事からでも貴方を侮るのですから)

 「……分かりました、ご忠告感謝します」

 「はは、いやなに、ただのお節介ですのでお気になさらず。ではまた後日お伺いする日取りを手紙で決めましょう」

 (はは、いやなに、ただのお節介ですのでお気になさらず。ではまた後日お伺いする日取りを手紙で決めましょう)

 「はい、ありがとうございます」


 セルウィリウス伯爵夫妻と別れた二人はバルコニーへ向かう。


 「そのままだったね」

 「そのままでしたわね」


 顔を見合わせ、お互いのキゾリンガルで翻訳された内容を確認する。


 「わたくし、あのご夫婦を勘違いしておりましたわ。まさかブルータス様に合わせてあそこまで直球でお話下さっていたとは……」

 「僕の服装も毎回本気で褒めてくれていたんだね、嬉しいな」


 セルウィリウス夫婦は別に貴族言葉での嫌味ではなく本当にそう思って言っていたと発覚した。


 「わたくしとした事が、先入観から言葉の裏を読み取れておりませんでした。まだまだですわね」

 「まあ、読み取れない僕が言うのもなんだけど、今回はその言葉の裏が無かったんだから読み取れなくて当たり前なんじゃないかな?」


 肩を落とすクローディアを慰めながら、これからもキゾリンガルは手放せないなと確信したブルータスだった。

ブルータス、お前もか!を言わせたくて書いたのですが力不足で入れられなかったです。

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