第一話 日が差す日常
魔が差した。もう、3年が経ったのか、と。流れるそうめんよりも速かったのかもしれなくもなくもない、わけでもない。ナイナイナイ!(合いの手。皆様は喝采の準備を)ああ、酸楚なものだ。
カノジョ(なんこれー笑)など要らないとなってしまえば無敵なのだが、かえって出任せを吐いているだけだ。
次こそは、なんて常套句も鼻につく。
——俺には新しい恋が必要だ。たらふく愛を食べたい。せめて、この3年くらいで。
桜が散ってゴールデンウィークが迫る今日この頃。夏のように暑く、制服を邪魔に思う今日この頃。新緑の生き生きとした今日この頃。
暑く、怠く、眠い。とても。程度をゆうに越えている。
「よ!しけた面してんなぁ」
机に伏せた俺に話しかけたのは枯野だった。
コイツはクラスのお調子者確定で、クラス結成も間もないときの自己紹介で最初にボケやがった程救いようのない人物だ。エキセントリックな性格、としておこう。
「顔見ないでしけた面なんて言うなよ」
顔を伏せたままなので、声が籠った。
「本日のお空は綺麗ですぞ~。それか、トイレでも行くかね。一緒に」
「女子じゃあるまいし」
とりあえず、枯野が暇だということを認めた。
左の窓から日が差す。あたたかく、暑い。地球温暖化なんて言葉がなかった頃はもっとマシだったんだろうな、と思いつつ、彼と話し続ける。
「昼休みというより、昼寝休みじゃんか。保育園児はウチの高校にお呼びじゃないぞ」
「うるせぇ、裏口入学!」
いよいよ頭のトークボタンが押されてしまったので睡眠姿勢を壊し、学生服のベージュ色のブレザー、魔法陣のような左胸にある校章の順に視線を変えて、とうとう枯野と目が合った。
「俺、そんなバカじゃねぇよ!ちょっくら誤解しすぎじゃねえか!」
「いや、矛盾してるから」
『ちょっくら~しすぎている。』というちょっとなのか、いっぱいなのか、程度が分からん。自己紹介をしてくれるなんて。いらないけど。
「そいえばさ~黒鯉」
急なヒ素ヒ素ばなし、じゃないひそひそ話を始めた枯野は気味が悪かった。ヒ素くらい体に悪い。
「隣のクラスにやっぱ美女いたぞ!ちゃんとこの目で見てきたんだぞ!」
隣ってどっちのほう、四組それとも六組?と訊き返すと枯野は右手で「四」を示した。
「それでさ——」
「なんか楽しそうだね。」
そう言ってこちらに来たのは俺や枯野とは比べ物にならないくらいに優秀な文月。
清潔感のある身だしなみで、大体読書ないしは勉強で昼休みを過ごしている印象があったため、わざわざここに吸い寄せられたのは意外だった。
「おっ、文月氏。ちょうどいいところに来たね。話していかないかい?」
枯野は勝手に会場を俺の席にしやがった。
結局、三人集まって少し賑やかになった。と、いうより賑やかになりやがった。
「四組の百合花ちゃん、とっても美人だったよ」
どうしても伝えたい枯野。またかい、と眉をひそめる文月。
「また美女狩りですか、」
どうやら枯野の行為は日常的なものであるらしい。常習犯はさっさと逮捕してくれ。お巡りさん、こいつです。
「綺麗だったよ~」
お前、よく四組に入れたな。どうやって他クラスに入ったんだよ。
「何故、見る機会があったのですか?」
やっぱ、文月も同じ感想を持ったのか。俺が言わなかったから言ってくれたのか。文月は優秀だな~。
「早稲酒に教科書返しに行ったついでに」
早稲酒は枯野と同じ中学校で盟友である、と言っていた。俺、枯野、文月はそれぞれ別の中学校なので詳細は知らないが。
「どうせ、グルだろ?」
「正解~」
俺と文月は互いに見つめ、心のテレパシーで「コイツ、ヤバい奴だ!」と、認識を共有した。
「でね~百合花ちゃんを——」
「お前ら、何喋ってんのか!!オルルァァァ!」
さすがに驚愕した。急にクラスの女子が取り調べ中の刑事みたいになったもんだから。
ずっと同じ教室という空間にいたのに、叫び声のせいで一瞬にして大型台風が来日したかのようだった。
「お~合歓ちゃ~ん。ショートカットが似合ってるぅ~」
コイツをぶん殴ってほしい。そして、察しの良い文月が逃げやがった。俺も逃げたい。が、なにせ、会場が俺の席だからな。
結局、枯野は怒鳴られた上に追い出された。かける言葉が見当たらない。
「盛り上がってる中、申し訳なかったわね」
思いの外、俺は怒られずに済んだが、トーク会場になっていることには変わりなかった。
「なんでキレたんだ、白鷺?」
白鷺 合歓。背がすうっと伸びていて、足が長いので身長が高い。ベージュのブレザーと膝が隠れないほどの長さの紺色のスカートに身を包まれている。凛とした雰囲気と暗澹としたヤバい空気が彼女から同時に放たれている。要するに異彩な空気。暗澹とした空気は中学時代から女番長を務めているせいであろう。言わずもがな、めっぽう喧嘩に強いらしい。俺らの在籍した銀竹中学校から一番近い霧笛中学校で大活躍していたため、隣の俺の中学校でも白鷺の噂が流れていた。実は、我らのスーパーマッチョ生徒会長すら怯えていたほどである。
ちなみに、情報は「情報屋」と呼ばれる組織から提供された。組織の人間が部活の交流試合の際に霧笛中の生徒から情報を仕入れて俺らに発信した。
「百合花とは、幼稚園からの付き合いでね」
一瞬で肩の荷が下りた。なぜなら、女番長なる人物が高校に合格できるなんておかしい、裏口入学だ、と囁かれていたからである。枯野に向けて言った「うるせぇ、裏口入学!」がセンサーに反応したのではないか、と思っていた。
「まあ、枯野はロクな人間じゃないし、わざわざつっかかる必要もないと思うけど……」
四月にして裏切り。これで枯野は居場所がなくなったに違いない。
「そういえばさ——」
キーンコーンカーンコーン。昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴る。
「もし暇があったら、枯野をよろしく」
もしかして、夜露死苦のほうが適していたか?
「あんな奴に構っている暇はないわ」
「存在が憎たらしいと思わないか?」
これ、枯野が聞いたら絶交だろうな。
「黒鯉、蚊を全滅させたいと思ったことある?」
「知り合ってから一か月も経てないのにクラスメイトに無視されるとは……」
「枯野は私に勝てない。未来永劫に」
「ま、いいわ。私はこれで失礼する」
白鷺はクラスの角の掃除用具入れにヤモリの如くへばりついている枯野(なにやってんの、お前)を一瞥し、調子よさげに席へと戻った。
——ようやく嵐が去った。
放課後になった。
そういえば、俺は本を返さないと、と思い図書室へ行った。文月が読書家でよく「これは読んで価値があったよ」と、本を薦めてくる。案の定、ニッコニコで。
試しに一冊読んでみると、かなり面白かったため定期的に薦めてくる、いわゆる文月セレクトを借りるようになった。
だいたい、放課後の図書室は(というか、昼休みも同様であると思うが)秘境と化していて本だけが棚にずらりと並んでいるので、飾り気のない特質のある雰囲気を催す。
そんな図書室に着いて、カウンターに座っている図書委員にはい、と手渡すと図書委員がレジのアレでピッとしてくれて、ささっと返せたのだが、帰ろうとすると
「この本、面白いですよね」
あ、話しかけられた。しかも、図書委員なる女の子がわざわざ積極的に話しかけてくれることに仰天。
肩に髪がかかる程度の髪の長さで、小柄な女子高校生。たぶん、俺と同じ一年生だろう。
「私もこの本を読んだことがありましてね」
白鷺の男気溢れる声とは対照的で、彼女は雨音のように落ち着いた口調であった。
「友人に薦められて読んだんです」
「文月君にですか?」
一瞬で答えが返ってきたので驚いた。
「なぜ、分かったんですか?」
「私は文月君と同じ中学校でしたから。中学のときもよく本を薦めてくれていたんですよ」
中学の時も。つまり、まだ俺のように彼女に定期的に本を薦めているとみた。季節の野菜が届く野菜のサブスクかなんかかな?
「実は、その本続編が出たんですよ」
「そうなんですか、詳しいですね」
俺がこう発言するや否やすっとカウンターの下から本を出し、「これです。」と言った。
「丁度、入荷したばかりで。図書委員の権限で一番最初に借りることができたんですよ」
「読書好きには天職なんですね」
「結構天職ですよ」
「文月も図書委員になればよかったのに」
「図書委員ですよ。文月君」
びっくらこいだ。勿論、委員会決めのときは出席していたのだが、そのときは文月とは話したことなかったから、完全に忘れてた、というより知らなかった。
「そういえば、明後日からゴールデンウィークですよね。だから、上限の貸出冊数が3冊増えて5冊になったんです」
「明日、文月にまたオススメを聞いてみようかな」
「あの……」
「ん?」
なんか、空気が変わった気がした。勿論、彼女の言うことは洞見することができた。
「この本……面白いですよ」
彼女は少し恥じらいながらもう一冊、カウンターの下から本を出した。
「是非、読んでみてください!これ、作者が有名な人で、ほら」
彼女は表紙の作者名を指さした。
「あ~この人の作品読んだことあります。タイトルは確かええと……」
「『自堕落王』ってやつですか?」
思い出した。勘が鋭いな。つい、感心してしまう。
「そうそう!」
「その作品も面白いですよね——」
——三十分ほどの長居をしてしまった。まあ、暇だからいいのだが。
十七時の空はまだ明るく、夏を期待させる。浮かぶ雲の一つ、一つが形が違って、個性と捉えられる。これが枯野で(不細工だなぁ笑)、これが文月。これはニュージーランドに見える。まあ、こういうのもたまには楽しい。
ゴールデンウィーク前に既に弾んでしまった、胸騒ぎのする心を静めるのはたいそう大変な気がする。希ガス。
ちなみに、図書委員がオススメした『自堕落王』はタイトルが決まっただけの僕(作者)の幽霊作品です。
これ以上はフレナイデ。