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真名【壱】

新章です。







 先代の帝の御代、八歳で伊勢の斎宮に選ばれた那子ふゆこは、先代の崩御により役目を解かれ、京に帰ってきていた。八歳で斎宮となり、十五歳まで勤め、現在十六歳である。十四歳の時に裳着も済ませていた。


 本来なら、那子は父の屋敷である五条に住む予定だったが、当代の帝は役目を終えた彼女に、小さいながら二条に屋敷を与えた。那子は現在、こちらに住んでいる。弾正尹宮だんじょういんのみやであり、弘徽殿の女御の父である父の元には多くの人が訪れるし、最近、妹が結婚し、妹の夫が通うようになっている。二条の屋敷の方が静かで過ごしやすいのだ。


「姫様。宮様から文と贈り物が届いております」

「あら」


 二条の女房である空木が文を抱えて那子の元へやってきた。風土記を読んでいた那子は顔を上げる。


「今回は何かしら」


 期待の顔で贈り物の木箱をのぞき込んだ那子は「まあ!」と声を上げた。


「氷だわ! 珍しいわね。いただいてもよいのかしら!」


 祇園祭はとうに終わり、暑い時期だ。まだもう少し暑くなるだろうが、今だって暑い。氷は貴重だ。贈り主の宮様こと中書王ちゅうしょおう時嵩ときたか親王は、血縁上帝の叔父にあたる。この年の近い叔父と帝は仲が良いので、帝に献上されたものを時嵩が賜り、さらにおすそ分けされて那子のところまで来たのだろう。


「宮様がよいとおっしゃるのなら、よいのではありませんか。それにしても、宮様も文を送るのなら、文付枝ふみつけえだでも姫様に差し上げればよろしいのに」


 気が利かないこと、と空木がため息をつく。二十代後半の彼女は結婚していて、子供もいる。そのためか、どうしても時嵩と那子のやり取りが情緒のないものに感じるようだ。


「ですが、今回は氷ではありませんか。珍しいものですし、気が利いていらっしゃると思うのです」


 そう言ったのは、那子の乳兄弟である綾目あやめだ。那子の伊勢への下向からここまでずっと付き従ってくれている。そろそろ相手でも見つけてあげなければ、とは思っている。思っているのだ。一応。


「食べ物のやり取りですよ。もう少し、こう……色気があってもいいとは思いません? 姫様も宮様も、年頃の男女なのですよ」


 やきもきしたように空木が言う。それを聞いて、那子は笑った。最初は、時嵩から詫び状とともに枇杷が届いたのだ。内裏で再会した時、那子がまだ水菓子や甘いものがまだ好きだ、と言っていたから、文とともに届いたのだろう。侘びは、怒鳴りつけて泣かせてしまった、という悔恨の侘びだった。那子はもう気にしていないので、時嵩も気にする必要はないと思う。


 そう書いて、那子は時嵩に返事をした。その時に新鮮な野菜を添えて送ったところから、この贈り物合戦が始まったのだ。内裏を退出してからひと月半ほどたっているが、四度目の文が届いている。十日に一通は届いている計算になる。


 これだけ頻繁にやり取りしているのに、男女の仲にならないのが空木には不思議でならないようだ。しかし。


「宮様にとって、わたくしは妹みたいなものなのよ。わたくしは甘いものがうれしいからいいの。氷も、後で削りにしてみんなで食べましょうね」

「まあ! よろしいのですか!」


 氷はあまり手に入らないので、誘ったら綾目は嬉しそうだ。乳兄弟だけあって那子と同い年なので、なんだかんだそう言った甘いものが好きな年ごろなのだ。そして、早く食べなければ氷は解けてしまう。


 こんなに高価なものを贈る必要はないのになぁ、と那子も思う。お返しは何がいいだろうか。布地とか? それはさすがにおかしいか。恋人でもないのに。


 那子のことを幼名の一つである五十鈴いすず、と呼ぶ時嵩は、彼女が幼い時のままだと思っている節がある。そして、那子が斎宮に選ばれたときの別れかたに引け目を感じているのだと思う。


 時嵩は先々帝の御代に生まれた親王だ。おそらく、一番末にあたるのだと思う。家系図を見たことがないけど。世代的には、那子の父と同じ世代になる。現在の帝の父は、時嵩の同母兄だった。


 ここがまたややこしいのだが、そのさらに父親、つまり今上帝の先々代の帝は、那子の父方の祖父から天皇位を譲られた異母弟だった。那子の祖父は王女御おうのにょうごを母に持ち、血筋は確かだったが、後ろ盾が弱かった。そのため、藤原氏の後ろ盾を持つ異母弟に皇位を譲ったのである。


 そのため、那子の祖父が退位した後も、この異母兄弟は仲がよかった。その流れで、その子供たちにも交流があるのは自然な話だ。


 時嵩は先々代の帝がそれなりの高齢になった時に生まれた子だ。内親王であった彼女は、年を取ってから産んだ子が碧眼であることに気づいて動揺した、という話だ。もちろん、那子が生まれる前の話なので、彼女は詳しいことを知らない。


 皇族には、時々生まれるのだ。碧眼の、霊力の高い子が。帝と皇族である内親王から生まれた子なら、碧眼を持っていても不思議ではない。実際、親王である父と臣籍降下で源氏姓を与えられた家の出である母の間に生まれた那子も、碧眼ではないが、青灰色の瞳をしている。これも、人より霊力が強いことを示しているそうだ。


 時嵩の母は、彼を疎むことはなかったが、扱いあぐねていたそうだ。そのころの記憶は時嵩にもあるようで、まだ存命で太皇太后である彼女の話をすると、時嵩は複雑そうにする。


 それに気づいた時嵩の父は、姪にあたる賀茂の斎院に相談した。那子の伯母だ。叔母の志子ゆきこは、自分の父の時代から、その異母弟の時代まで賀茂の斎院だった。ちなみに、那子はそのあとの帝の時代の斎宮である。


 その結果、志子が時嵩を引き取って育てることになった。どちらにしろ、強い力を持つ以上、制御するための訓練が必要だった。そう、志子も時嵩と同じ碧眼の持ち主だった。


 時嵩の面倒を見るにあたって、女の自分ではわからないこともあるだろうと、志子は弟をたびたび招いた。これが那子の父だ。世代的には同じ世代ではあるのだが、那子の父や伯母は、時嵩と親子ほど年が離れている。時嵩は、実の両親よりよほど、この二人になついた。


 時嵩が八歳になったころ、那子が生まれた。青灰色の瞳を持つ女王で、完成された術者である志子しか知らない時嵩の前に、父は那子を連れてきた。同じく強い霊力を持つだろうと言われる赤子を、時嵩は思いのほか可愛がった。


 可愛がられれば、那子だって少し不愛想な系譜上の叔父になつく。実際、那子が斎宮として伊勢に赴くまでは仲良くしていた。時嵩は十三歳のころ元服して志子の屋敷を出たが、那子とはよく顔を合わせていた。


 さて、那子が斎宮に選ばれた、と言うことは、その前の斎宮が解任されたということだ。解任される理由には斎宮本人が理由のこともあるが、たいていの場合は帝が代替わりするためだ。斎宮は基本的に、帝の代替わりとともに新たに選出される。賀茂の斎院は帝が変わっても継続する場合があるが、斎宮は必ず変わる。


 那子が斎宮に選出される前、当時の帝であった時嵩の父が亡くなった。表向きは病没したことになっているが、実際はそうではない。


 ……呪詛によって、殺されたのだ。


 当時の賀茂の斎院であった志子は帝の影、呪術的な身代わりでもあった。つまり、帝が呪詛された場合、その呪詛を代わりに受けるのだ。この時も、志子は帝の代わりに呪詛を受けたはず、だった。


 いや、実際に志子は呪詛を受けた。そのために、呪い殺されたのだ。だが、同時に帝も亡くなった。志子だけでは呪いを受け止めきれなかったのだと思われる。当時、那子は八歳で、詳しい状況は覚えていない。


 ただ、志子が亡くなったことに時嵩が泣いていたのを覚えている。彼にとって育ての親なのだ。帝の呪術的な身代わりと言う役目を果たせず、帝を守れずに死んでしまった育ての母。父に連れられて時嵩と会った那子は、幼いながらに時嵩を慰めようと声をかけた。いつも優しくしてくれた時嵩は、その時の感情のままに幼い姪を怒鳴った。那子はびっくりして泣いてしまったのを覚えている。


 そして、そのまま時嵩と別れ、那子は斎宮に選ばれて伊勢に赴いた。それから、八年。十六歳になった那子は内裏で時嵩と再会した。伊勢に赴く前に最後に会った時、那子を泣かせてしまったのを時嵩が気にしているのはすぐにわかった。昔のことであるし、時嵩も若かった。今の那子と同じくらいの年のころだ。だから、那子はさほど気にしていなかったのだが、彼は気にしていた。


 なので、こうしてきり時の分からない文と贈り物が続いているのだ。昔からまじめで面倒見がよかったし、そうなるのも仕方がない気もするけど。


 夏なので氷はすぐに融けてしまう。削りにしてもらい、女房達と食べた。蜜も甘くておいしいが、何よりひんやり冷たいのがいい。なんとなく、涼しくなった気がする。気分だけだが。








ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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