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後宮の怪異【捌】







 翌日は午後から払うのに必要な道具やお守りなどを手配した。五十鈴は五十鈴で用意しているはずだが、彼女の能力は守りの能力の方が強く、こうしたことにはあまり向いていないはずだ。時嵩の方でもできるだけ準備をしておく必要があるだろう。


 帝にも今宵払う、と伝えてできる限り人払いをしてもらう。五十鈴自身が、人除けの結界を張るので、念のためだ。とはいえ、この帝は。


「私も見学しに行っていいだろうか」


 面白いものを見つけた、と言わんばかりにそんなことを言うのだ。時嵩は目を細めた。


「駄目に決まっているでしょう。清涼殿か、もしくはせめて弘徽殿にいてください。保護が厚いですから」


 どちらも強力な結界が張ってある殿舎だ。清涼殿は古い時代からの結界術の積み重ねが、弘徽殿には五十鈴の結界がある。


 もし本当にのこのこやってきたら、五十鈴に頼んで弘徽殿の女御に迎えに来てもらおう。心の中でそう決意し、時嵩は温明殿に向かった。事前にお触れを出して、内侍司に夜間、近づかないように言ってある。言われなくても、女房達は妙なものに遭遇したくなくて基本的に引きこもっている。


「宮様」


 局から出てきた五十鈴が片手にもてる大きさの鏡を持っていた。ほかにも勾玉や短剣などいろいろ持っている。


「重装備だな」

「わたくしには攻撃能力はございませんもの。もので補うしかありません」


 そう言われると時嵩には身を守る力がほとんどない。手首に五十鈴からもらったお守りの勾玉をつけていることを思わず確認した。


「準備はいいな。行こう」

「はい」


 時嵩は下から、五十鈴は細殿を渡って回り込む。五十鈴の結界が抑え込んでいるとはいえ、ここまで近づくと瘴気の影響をかなり受ける。おそらく、時嵩や五十鈴の霊力が強いために、よりはっきりと感じるのだろう。


「皆ここで作業しているのか」


 信じられん、とつぶやくと、五十鈴は「昼間はもう少しましですよ」と言った。時嵩はほとんど昼間訪れないが、五十鈴は様子を見に来るようだ。


「とはいえ、わたくしが参内してから瘴気が増しております。時間がたつにつれ、強くなるもののようですね」

「というか、誰も回収に来なかったんだな」


 回収できなかった、と言う可能性もある。単純に五十鈴や時嵩が嗅ぎまわっているので危険だ、と思ったのか、もしくは術師でもないのに呪術を行い、自分の手に負えなくなって回収すらできなくなったか、どちらだろう。


「そうですねぇ。もしかしたら、本人にも何らかの影響が出ているのかもしれませんわね」


 五十鈴の言い分に時嵩もなるほど、とうなずいた。過ぎたる力を使えば自分に跳ね返ってくる。ままあることだ。


「……まあ、早くやってしまおう」

「そうですわね……宮様!」


 五十鈴が声を上げた。時嵩に向かって、瘴気の渦が向かってきて、彼を吹き飛ばした。欄干に体をぶつけたが、それ以外の被害はない。五十鈴からもらったお守りにひびが入ったので、身代わりになってくれたようだ。心臓がどくどくと脈打っているのがわかる。


「……お前の言う通りだったな」

「でしょう? 感謝してくださって構いませんよ」


 やはり、彼女には若干未来視の力があるのだろうな、と思った。気を取り直して、時嵩に向かってきて、そのままはじかれた瘴気の塊を見る。


「狐?」

「これ、狐なんですね」


 どうやら五十鈴は狐を見たことがなかったようだ。もしかしたら絵などで見たことがあるかもしれないが、実際のものを見るとわからないこともある。それにしても、これだけの呪物と対峙しているのに、五十鈴はのんきだ。尤も、時嵩も単身であってもこれに負けるとは思わない。


「五十鈴、援護を頼む」

「わかりました」


 すっと五十鈴が下がったところで時嵩は閉じた扇子を瘴気の塊に向けた。扇子はなくてもいいのだが、方向を示すために便利なのだ。


 小さく祝詞を唱える。皇族と言うのは、不思議な立場だ。その地位は神聖によって保たれているが、仏教の教えも入っている。時嵩は能力を制御するために、どちらの教えも受けていた。五十鈴は、どちらかと言うと神道の教えが強いだろうか。伊勢の斎宮だった経歴があるからだ。


 破邪の攻撃が瘴気を襲ったが、そのまま離散した。手ごたえがないので倒せていない。すっと脇を通り抜けていく感覚があり、時嵩は慌てて振り返った。


「五十鈴!」

「こっちよ!」


 明らかに時嵩に対する呼びかけではない声が、五十鈴から上がった。手には鏡を持っている。


「五十鈴、やめろ!」


 彼女なら呪いや瘴気を跳ね返せるはずだ。対峙するのではなく、呪い返しを行えばよい。なのに、彼女は鏡を構えたままだ。あの鏡に取り込んで封じるつもりなのだろう。


 五十鈴の思惑通り、瘴気は鏡に吸い込まれていく。


「きゃっ!?」


 すべて吸い込むことができたが、瘴気の影響が大きかったのか、五十鈴は鏡を取り落とす。


「何をしている!」

「後にしてくださいませ!」


 怒鳴ると、怒鳴り返された。五十鈴は膝をつき、取り出した懐刀を鏡に振り下ろした。


「あ、あら?」


 貫いて、割ろうとしたのだろう。鏡に閉じ込めてそれを割ることで、閉じ込めた中身を払おうとしたのだ。だが、五十鈴本人が非力で割れなかった。


「貸せ」


 時嵩は五十鈴から懐刀を取り上げると、代わりに鏡に突き刺した。時嵩の力で懐刀を突き立てられた鏡はひびが入り、そのまま砕けた。さらさらと砂のようになり、形も残らない。


「払えたか?」

「わたくしが封じて宮様が破壊しましたもの。これで残っている方がしぶといのではありません?」


 攻撃能力のある時嵩がとどめを刺したので、これで大丈夫だろう、と五十鈴も言った。実際、温明殿を囲む瘴気は薄くなっている。完全に消えていないのは、まだ下に「何か」が埋まっているからだろう。


「明日にでも掘り起こしてみるか」

「そうですわね。これだけ騒げば、実行者も見つかるでしょう」


 何かを置いたものは、その置いたものとつながっている。明らかに雰囲気が変われば、確認しに見に来るだろう。まあ、それはそれとして。


「五十鈴」

「はい」


 時嵩を見上げた五十鈴に、彼は怒鳴った。


「何を考えているんだ、お前は! 敵意を自分の方に向けさせるなど!」

「え、だって」

「危ないだろう! 何のために私がいると思っている!」

「だ、だって……」


 五十鈴の声が涙に揺らめき、ややあってぽろぽろと泣き始めたのが月明かりの薄暗い中でもわかった。時嵩はぎょっとして威勢がそがれる。


「す、すまない。怒って悪かった」

「わたっ、わたくしだって、うう~っ」


 言葉にならなくて五十鈴が本格的に泣きにはいる。こういった状況に慣れていない時嵩がおろおろしていると声がかった。


「もし、痴話喧嘩ならよそでなさいませ」


 燭台を持った尚侍の君があきれたようにこちらを見ていた。光源が近いので表情がわかるのである。どうやら、彼女の局が近いようで、五十鈴の泣き声を聞いて出てきたらしい。


「せめて場所を移動してくださいませ。ここでは人目に付きます」


 そう言われて、綾綺殿の裏に回る。紫宸殿側なので、夜中はあまり人がいないのだ。一度下がった尚侍の君は、水を持って戻ってきた。


「斎宮の君様、飲めますか? ひとまず落ち着いてくださいませ。宮様も、年下の女性をあれほど怒鳴ることはないのではありませんか」

「……すまない」


 声を荒げた自覚があるので、時嵩は視線をそらした。水を飲んだ五十鈴は少し落ち着いたようで、礼を言って尚侍の君に器を返した。


「ありがとうございます、尚侍の君」

「いえ、落ち着かれたなら何よりです。あそこにお二人がいらっしゃったということは、怪異が解決したのでしょうか」


 尚侍の君としては当然の問いだ。内侍所をすべるものとして、把握しておかなければならない、と思ったのだろう。泣き疲れたか、五十鈴がうとうとしてきたのを支えながら答える。


「ひとまず、皆が目撃していた怪異と思われるものは払ったが、根本的には解決していない。明日、近衛府に調査させたいのだが」

「わかりました。準備が整い次第、お知らせいたしましょう」


 尚侍の君との間で交渉が成立した。先に知らせておけば、明日の調査が楽になる。温明殿の下を調べるので、内侍所の女房達には、一度詰め所を出てもらわなければならない。


「斎宮の君様、起きてください」


 尚侍の君が時嵩に抱えられたまま寝息を立て始めた五十鈴の肩をたたく。時嵩は首を左右に振った。


「いや、私が運ぼう。すまないが、彼女の女房に先ぶれを頼まれてくれないか」

「……そうですわね。行ってまいります」


 尚侍の君をお使いに出してしまったが、まさか時嵩がいきなり五十鈴の局に上がり込むわけにはいかない。いや、すでに何度か訪ねているので今さらではあるのだが、時嵩では五十鈴の寝支度ができないのだ。


「五十鈴、起きろ。局に戻るぞ」

「ん」


 反応はあったが起きる気配はない。むしろ抱えている時嵩にすり寄ってくるので、あきらめて体を抱き上げた。昔、彼女が伊勢に赴く前にもよく抱き上げたものだが、その時より明らかに体が成長している。


 それくらい、離れていたのだ。それを突き付けられつつ立ち上がると、おもむろに五十鈴の手が時嵩の衣の胸元をつかんだ。


「なんだ」


 つい咎めるような声が出たが、ゆるりと挙げられた五十鈴の顔を見て体がこわばった。無の表情。瞳が何も映していないことに、この距離だからこそ気づいた。


「五十鈴!」

「帰ってくる」


 おもむろに発せられた声は、五十鈴のものなのにそうは聞こえなかった。時嵩は目を見開く。


「かつて星を二つ落とした者が帰ってくる。より大きな混沌を抱えて」

「……それは」


 がくりと五十鈴の体から力が抜け、慌てて抱えなおす。そこに、尚侍の君が戻ってきた。


「宮様、何をなさっておられるのですか」

「……いや、すまない」


 時嵩が遅かったので、様子を見に戻ってきたようだ。いぶかし気に眺められつつ、時嵩は尚侍の君についていき、五十鈴の局で彼女を女房に引き渡した。


「尚侍の君、世話になった。明日もまた頼む」

「こちらこそ。それと、老婆心ですけれど、宮様は斎宮の宮様よりもずっと年上の殿方なのですから、もう少し包容力を身に着けるべきだと思います」


 ぐうの音も出ないとはこのことか。善処する、と答えて、時嵩は尚侍の君とも別れる。帰る前に温明殿の様子を見に行ったが、瘴気は落ち着いていた。完全に消えているわけではないので、調べることは必要だろう。


 それもだが、と時嵩は五十鈴の様子を思い出す。一種の神がかり的な様子だった。あの状態を、時嵩は過去にも見たことがある。まだ賀茂の斎院が生きていたころだ。


 あの時は、内裏に落雷がある、という予言、というか予報をぴたりとあてた。あの頃から、賀茂の斎院は五十鈴の力の強さを重く見て練習をさせるようになった気がする。


 五十鈴が伊勢の斎宮に選ばれたのは、この霊力の強さのためではないかと時嵩は思っている。もう、賀茂の斎院はいないのだ。京に五十鈴が帰ってきた以上、もう少し注意深く彼女を見ていた方がいいのかもしれない。


 一度自分の邸宅に帰った時嵩だが、朝になると再び参内した。温明殿の床下を調べるのだ。昨日、ものが撤去されなかったことから、これを置いた者はもう無関係を貫くつもりではないか、と時嵩も五十鈴も考えたのだ。いや、五十鈴の方が妹の三の君に指摘されたと言っていた。


 例外的に下男を入れて温明殿の下を調べさせる。見立て通り、女房や女嬬が犯人なら、地面の下に埋めたとしてもそんなに深くはないはずだ。


「ありました!」


 近衛府の武官の声に、時嵩と尚侍の君がその文箱にも見える呪物をのぞき込んだ。


「失礼」

「お姉様」


 おそらく、御簾に隠れて様子を見ていたのだろう。五十鈴が階の上に現れた。一応、檜扇で顔を隠していた。後ろから聞こえた声は三の君だろうか。三の君が小さいころに遊んだことはあるが、さすがに顔も声も成長して変わっているだろう。


 五十鈴が呪物に手を伸ばして触れようとするので、時嵩が手を出してそれをとどめる。むっとしたような黒い瞳が檜扇の上から時嵩をにらんだ。


「宮様、斎宮の君様、痴話喧嘩は後にしてくださいませ」


 すかさず尚侍の君が突っ込みを入れる。まあ、と周囲の女房達が驚いたような声を上げるのが聞こえた。女性たちの圧に押されて時嵩が手を引いた。


「心配なさらなくても、この呪物に取りつていたものはもういません。ただの瘴気を発するだけの文箱です。わかっていらっしゃるでしょう?」

「それだけでも物騒だろう」


 ため息をついて時嵩が途方に暮れていた武官から文箱を受け取る。守る力は五十鈴の方が強いが、払うだけなら時嵩の方が力が強い。五十鈴が言う通り、これにはもうほとんど力がない。時嵩が払うよりも、陰陽寮に預けた方がいいだろうか。


「尚侍の君様、よろしいですか」


 匂当内侍だ。二十代後半の女性で、時嵩の添伏の候補の一人だったこともある。相変わらず、頭中将にはなびかないようだ。


「失礼いたします」


 匂当内侍に何事かささやかれた尚侍の君は、「失礼いたします」といって下がった。後で後宮人事を管轄している中務省の長である時嵩にも報告があるだろう。ひとまずは。


「これは私が預かる」

「……わかりました」


 帝に招集されたとはいえ、上の立場である時嵩にそう言われれば五十鈴はそう答えるしかない。後で機嫌を取っておいた方がいいだろうか。時嵩は未だに八年前に彼女をすげなくあしらってしまったことを気にしているのだ。


 文箱はそのまま陰陽寮に持ち込み、陰陽頭に解呪してもらった。無理やり時嵩が祓ってしまうことも考えたのだが、呪物なら本職に任せた方がよかろう、と判断したのだ。こちらはこれで大丈夫だ。解呪されたものを、時嵩も確認した。


 一方、この文箱を温明殿……というか、内侍所の下に埋めたのは、丹波典侍にいじめられていた女嬬だった。帝を狙ったわけではないとはいえ、内裏に呪物を持ち込んだため、その女嬬は京から永久追放となった。


 ところで、この問題、意外と根深かった。


「と、いうと?」


 次の手を考えながら、帝が先を促す。時嵩はいつも通り、碁の相手をしていた。


「丹波典侍に嫌がらせを受けていたその女嬬を、他の女嬬がかばっていたそうなんですが……そのかばっていたと思われる女嬬も、丹波典侍に加担していたそうです」


 かばうふりをして、自分が丹波典侍の標的にならないように立ち回り、その女嬬がいじめられるに任せていたらしい。そんなものだと言えばそんなものなのだが、これに尚侍の君はいい顔をしなかった。聞き取りをして、明らかに故意と思われる女嬬には暇を出した。これが十人以上に上り、今後宮はちょっとした混乱状態なのだ。女嬬は全体で百人前後。一割が辞めたことになる。後宮は人材不足が深刻なのだ。


「なるほどな。女の園は恐ろしいな」

「主上の後宮ですよ」


 一応そこは指摘しておく。事実上、後宮を制御しているのは尚侍の君であり、弘徽殿の女御だ。帝はこの二人を手放してはいけないと思う。


「女嬬に関しては、すでに地方の受領や豪族たちから、娘を出仕させたいという要望が届いています。問題がなければ、ひと月以内には増員されるでしょう」

「立候補者が多くとも、質が維持できるとは限らんからな。しかも、それだけやめたのなら、引継ぎも大変だろう」


 そう、大変だ。尚侍の君が。女御たちではなく、帝の女官の話なので、ここには弘徽殿の女御も手を出せない。弘徽殿の女御と尚侍の君が協力できれば話が早い気がするが、そうもいかないのでもどかしい。せめて弘徽殿の女御が中宮であれば話が違ったのだが。


 まあ、言っていても仕方がない。後宮にしばらく気を取られていたので、仕事も溜まっている。そちらにかまけているうちに、五十鈴が内裏から下がったらしい。それを時嵩は頭中将から聞いた。


「宮様がご存じなかったことに驚きです」


 と本気で驚いた表情で言われた。そう言われて、別に五十鈴にはこちらへの報告義務などないことを思い出した。


「……詫びをしていない」


 思わず口から洩れた。また、彼女を泣かせてしまった。その侘びもしていないのに、彼女は内裏を離れたという。彼女は二条に自分の屋敷を持っている。女の一人暮らしだ。気軽に尋ねられる場所ではない。


「おや、宮様は斎宮の君に詫びなければならないようなことをなさったのですか?」


 面白そうにからかわれて、時嵩は思わず頭中将をにらんだ。








ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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