後宮の怪異【漆】
「来たか」
「呼ばれましたから」
帝が几帳の奥に時嵩を招き入れる。付き合え、と碁盤を示された。尚侍の君が碁石を用意している。
「で、どうだ?」
後宮の怪異の件だ。だいぶ絞られてきているが、まだわからないことの方が多い。時嵩は白石を持ちながら答える。
「今日中に斎宮の君と相談いたしましょう」
「逢瀬か?」
「調査ですよ」
からかってきた帝にきっぱりと答える。碁は先行である黒の方が有利なのだが、話しながらのためか帝が押され気味である。
「麗景殿から内侍司に訴えがあったそうだ。宣耀殿が犯人だ、と」
「頭中将からも聞いております。発生地点は温明殿や綾綺殿のあたりと思われますので、それは女御様の勘違いでしょう」
「わかっている。疑心暗鬼になっているだけだろう」
帝が弘徽殿を寵愛しているのがわかるので、麗景殿と宣耀殿が争うようなことになるのだ、と言いたいが、言えない。帝の対応は間違っていない。全員を平等に接することも可能だが、それよりは中立である弾正尹宮を後ろ盾に持つ弘徽殿の女御を寵愛した方が、全体的に均衡を保てるのだ。麗景殿や宣耀殿の女御を寵愛するのは、もう少し地盤が固まってからでもよい。
「朝に斎宮の君からも話を聞いた。怪異のみなら、抑え込もうとすれば可能だそうだな?」
「……そうですね」
乱暴な方法にはなるが、怪異が起きないように解決することは現状でも可能だろう。原因や犯人が分かった方が解呪が楽ではあるのだが、この三日調べた限りでは、この怪異の力は時嵩や五十鈴の力を下回っている。
「だが、そういう問題でもない。また次が起きてはかなわんからな」
どちらかと言えば、根本的な解決の方が好ましいだろう。帝にとっても、尚侍の君もそう思っているだろう。すました顔をしているが。
碁は圧倒的有利だったはずの先行の帝が敗北し、時嵩が勝った。尚侍の君に片づけを頼み、帝は真剣な表情で時嵩に向き合う。
「解決は望んでいるが、無理はするな。お前も、斎宮の君も」
「承知いたしました」
下がれ、と手を振られ、時嵩は昼御座を出た。中務省で残務を片付け、明日に回していいものは回し、一度自宅へ帰った。頼んでいたものが届いているはずなので、回収してから弘徽殿の五十鈴の元へ向かう。今回は最初から五十鈴の局を訪ねると、彼女はやっぱりひらひらと手を振っていた。
「こんばんは、宮様」
「ああ、こんばんは。……邪魔をする」
昼間に頭中将から聞いた話が脳裏をよぎるが、話をするためには仕方がないのだ、と言い聞かせて五十鈴の局に入る。明かりが多めに灯されていた。
「さて、どうでした?」
早速情報交換をしようとする五十鈴を「ちょっと待て」と止めて、時嵩は尋ねた。
「お前、まだ水菓子は好んでいるか?」
「甘いものは好きな方ですけど」
「よかった。これを。お守りの礼だ」
小さな包みを五十鈴に差し出すと、彼女は「なんですか?」と首をかしげて包みの外からもらったものを眺めている。一応中身を確認してもらうと、彼女は「わあ!」と声を上げた。枇杷が二つと、榛が入っているはずだ。
「急だったので、こんなものだが」
「十分です! ありがとうございます」
大切に食べます、ときりりとした表情で言われたが、枇杷は生ものなので早めに食べてほしい。
先に昨日から気になっていたことを済ませ、本題に入る。
「五位少納言は本人からではなく周囲の証言だが、頭中将とは直接会って話をした。お前の見立て通り、麗景殿と宣耀殿の女御は違うと、私も思う」
「後ろ盾の問題ですものね……そう言えば、わたくしも頭中将からは和歌をいただいたのですよ」
ほら、と見せられたのは文付枝だった。恋文を結びつけることが多いのだが、五十鈴は贈られた和歌も見せてくれたが、恋文と言うよりご機嫌伺いだった。まあ、頭中将も五十鈴のことは子供のころから知っているので、そう言った文が送られても不思議ではない……のかもしれない。小さな子供だった知り合いの娘が、成長して現れる。恋が始まってもおかしくはない。
「返事を出すのか? 結婚相手として悪くないとは思うが」
多情ではあるが、頭中将は女性に無体なことはしない。左大臣の息子であるし、身分的にも女王である五十鈴が妻となってもおかしくはない。
「出しませんよ。現在の情勢を考えるに、わたくしが左大臣側に着くわけにはまいりません。それに、頭中将の北の方は先帝の一の女宮様でしょう? あの美貌と教養にわたくしがかなうはずがございませんし」
どちらかと言うと、前半の理由が主な理由なのだろう。確かに、弾正尹宮が中立を保っている状態だからこそ、現在の政治情勢が保たれている。五十鈴が頭中将と恋仲になれば、弾正尹宮も選択を迫られるだろう。弘徽殿の女御も立場が苦しくなってしまう。五十鈴はそれをよしとしないのだ。
「皇族の女性であるわたくしよりも、宮様の方がいろいろ言われるのではありませんか?」
確かに、内親王や女王には結婚しないものも多い。特に、伊勢の斎宮を経験した内親王たちは、なぜか仏門に入ることが多かった。そう考えると、男宮である時嵩の方が周囲からそう言った話をされることが多いかもしれない。
「私はいい。こんな不気味な目の者と結婚したいという女性はいないだろう」
「そんなことないと思いますけど。ていうかそれ、伯母様にも失礼ですよ」
じとっとした目で五十鈴に見つめられ、彼女の言う通りなので時嵩は少し居心地の悪さを感じつつ、咳ばらいをして話をそらした。そらしたというか、戻した。
「それで、私は紀伊の掌侍が怪しいと思ったんだが」
頭中将の話では少々頭が足りないようだが、掌侍として仕えられるのだから、実家の地位は高いはず。それなりの呪いを用意することはできるだろう。だが、五十鈴は首を左右に振った。
「わたくしは違うと思います。紀伊はそう言った姑息なことをする女性ではございません」
「……話を聞く限り、なんというか、少々頭が悪そうなんだが」
「それは否定しませんけど」
直接話したことのある五十鈴も同じ印象らしい。
「けれど、だからこそ、ですよ。考えない上に自分に自信があるので、真正面からぶつかってくるのです。陰湿な真似はしないと思います」
「な、なるほど」
妙に説得力があった。考えが足りない、と言われるのだから、むしろ真正面からぶつかってくる、と言うのは理解できる話である。また聞きの時嵩よりは、実際に対面したことのある五十鈴の話の方が信ぴょう性が高い。
「では、女嬬か? それとも、全く別の者か?」
なんとなく後宮が舞台なので女房や女嬬たちの誰かが犯人だと思っていたが、殿上できる男の可能性もある、とこの時になって時嵩は思った。だが、やはり住んでいるわけではない男たちには難しいだろうか。
「後宮に、というか内侍司に近づくことがあまりないのですから、殿方には難しいでしょうね」
と、五十鈴が言うので、単純に考えれば、消去法で最後に残った典侍にいびられていた女嬬が犯人、と言うことになる。身分を考えれば女房の方が呪具などを入手しやすそうだが、受け渡しなどのことを考えると、女嬬の方が都合がつきやすいかもしれない。
「おそらく、丹波典侍にいびられていた娘たちだな? 特定できるか?」
「そうですね。返してみますか、呪い」
と言うことは、特定できていないのだろう。いや、と時嵩は首を左右に振る。人事を管轄する側として、それは許可できない。
「やるなら抑え込んで払ってしまおう。……どうだ?」
「そうですね。明日の夜でいかがでしょう」
「承知した」
示し合わせて払ってしまうことにした。時嵩と五十鈴の二人がかりなら、まず押し負けることはない。後は、根本的な解決として、誰が犯人か、だ。
「宮様。わたくしの見る限り、現在の後宮勤めの女人に、今回の怪異を発生させるほどの能力を持つものはおりません」
「制御できずに、暴走した可能性もあるが」
「そうですね……ですが、それよりもわたくしは、どこかから呪術を買ってきたのではないかと思うのです。買ったけれど、買い手はその力を使いこなせなかった。狙いが丹波だとしたら、その時点で目的を達成できておりませんもの」
「……確かに」
時嵩はうなずいた。すでに、怪異が発生してから半月近くたっている。丹波典侍が何事もなく後宮から出たのなら、目的を達成できていないし、いまだに怪異が見えるのは制御しきれていない証拠だ。
「わたくしの予測が当たっているか、宮様に調査をお願いいたしますね」
「承知した。……丹波典侍が宿下がりをしたからな。狙いが彼女なら、対象者がいなくなったことで、術者、もしくは呪術を買ったものはこれを解除しようとするはずだな」
「はい」
おのずと、犯人がわかる。時嵩と五十鈴は顔を見合わせてうなずきあった。今日の夜あたり、呪術の入ったものを回収しに来るような気もする。要するに、今夜は様子見なのだ。丹波典侍が狙いなら、彼女がいなくなったのにずっと呪術を置いておく必要性がないからだ。
「お前の言う通り、『買った』のだとしたら、どこで誰から買ったのだろうな」
「女嬬が接触できる相手は限られますもの。まあでも、これは宮様のお仕事ですわね」
さらっと仕事を押し付けられて五十鈴をにらみつけるが、彼女はどこ吹く風だ。なんだかんだでやってしまう時嵩のことを把握されている。それに、女性である彼女より男である時嵩の方が動きやすくもある。
「……わかっている。お前も、一人で動こうとするなよ」
「承知しております」
にこっと笑った五十鈴がいい返事をしたが、これはわかっているのだろうか。普通に一人で対処しに行きそうだ。
あまり長居せず、その日は五十鈴と別れた。次の夜に払うことにしたので、時嵩としてもいろいろと準備がいる。
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