後宮の怪異【伍】
少し懐かしくなったが、問答している時間はないので話を進める。
「五十鈴は何か見たり、聞いたりはしたか?」
「いいえ」
「さもあらん」
きっぱりと首を左右に振られ、時嵩は肩をすくめた。時嵩もそうだが、五十鈴も怪異を除去する力を持っている。そう言う相手に、彼らは姿を現さないものだ。
「何かいる、とは思うのですけれど。ですが、話を聞く限り女性が感じ取ることが多いようですね」
「後宮だから、その事例が多いだけでは?」
「その可能性も否定できませんけれど」
だが、確かに男で見た、聞いた、感じた、という者は少ない。皆無とはいかないが、男性の例は時嵩のように『視える』という人物が多い。
「お父様も見たそうですし。犬っぽい生き物に見えた、と言っていましたね」
「弾正尹宮様も来ていたのか」
いや、五十鈴の父、弾正尹宮は定期的に出仕しているため、時嵩だって顔を合わせているが、どうやら長女の弘徽殿の女御の元も訪ねていたらしい。
「ということは、何かの生き物の影、唸り声、通り過ぎたもの、冷気。この辺りは事実のようだな」
「そうですねぇ。床下で亡くなったのでしょうか?」
「さすがにそれならすぐに見つかると思うが……」
「陰陽寮だって無能ではございませんものね」
と言うより、内侍所の下にそんなものがあれば、においで気づくだろう。
「陰陽頭にも話を聞いてある。ひとまず、主上にまで害が及ぶものではないそうだ」
「妃の方々は?」
「すぐに影響があるものではない、との回答だった」
また微妙な、と五十鈴が苦笑する。放置しておけばそのうち悪化する、と言うことが分かっただけよかっただろうと思うことにする。
「それで、五十鈴はどう調査した? 内侍所に踏み込んだことまでは聞いたが」
「そうですね」
うなずいた五十鈴は指先を合わせて思い出すように少し首をかしげる。
「わたくしは、外から何かが持ち込まれた、という前提で調査してみました。先ほど宮様と話をして、おそらく間違いないかと思いました」
「後宮内で誰かが呪術を行った可能性があるのではないか」
「それは現実的ではございませんね。良い効果のある呪いならともかく、明らかに違法と思われることを、このように人が多い場所で行うとは思えません。大内裏には陰陽寮がございますのよ。それに、主上と仲の良い宮様が、怪異を見ることができるのは、宮廷に仕えるものであればだれでも知りえる話です」
「……そうだな」
急に論理的な話展開をされて少々面食らってしまった。先ほど自分で言っていた、『少々子供っぽく振る舞っている』というのは事実なのだな、と現実逃避気味に考えた。
「なので、誰かが呪具などを持ち込んだ、という方が可能性が高いと思うのですよね。しかも、おそらく持ち込んだのは女房か女嬬です」
「内侍所なら、内裏女房あたりか」
「ええ。妹が最近宿下がりをして戻ってきたものなどを調べてくれました」
そう言えば、弘徽殿の女御の妹が後宮に来ている、と聞いていた。五十鈴も妹だが、その下の妹も来ているのだ。下の妹は結婚したばかりのはずだが、巻き込まれている。
「それと一緒に、噂話も仕入れてきてくれました。まあ、これはわたくしと妹の女房達が調べてくれたのですけど」
この調子で弘徽殿に所属する女房達も使っていそうだ。
「誰と誰が仲が良い、とか、この女房は公達から恋文をいただいた、とか、三日おきに逢瀬をしているとか」
「……」
女性の情報網は恐ろしいな。どうやら時嵩の話もあったようだが、関係ないので置いておかれた。
「女性同士のいさかいが原因なのではないか、とお姉様も妹も申しておりましたので、怪しいのは怪異の発生時期から考えて三件です……宮様、どうなさいました?」
「……いや、お前が思いがけず有能で驚いている」
「ははあ。たぶん、視点の違いだと思いますけれど」
どうしても、殿方相手だと話してくれないこともございますもの。五十鈴はさらりとそう言った。慰めているというより、本当にそう思っているのだろうと思わせる口調だった。
一件目は麗景殿の女房と宣耀殿の女御のいさかいだった。麗景殿のとある女房は、ある公達と関係を持っていて、結婚の約束もしていたが、最近になってその公達は宣耀殿の女房に乗り換えた。そのことを知って麗景殿の女房は怒り狂っているらしい。
「ちなみに、その公達は五位少納言だそうです」
「清原の? なるほど」
男の中には色好みで有名なものも何人かいるが、清原の五位少納言もその中の一人だ。後宮内に恋人の一人や二人や三人いても不思議ではない。
二件目は頭中将だった。自称京一の色好みで、左大臣の嫡子、麗景殿の女御の兄でもある。
「これは内裏女房がお相手ですね」
「頭中将はそう言った立ち回りがうまいと思うのだが」
ある程度恨みつらみがあるのは仕方がないが、頭中将は波風を立てずに対処できる人間だ。色好みで独善的なところはあるが、基本的に有能なのである。妹が女御である以上、内裏で問題を起こさない分別くらいあると思うのだが。
「殿方側の立ち回りがうまいか、はこの際関係ありませんね。女同士の見栄と虚栄心の話ですから」
妙にらしくない言葉が出たと思ったら、妹の受け売りらしい。少し安心してしまった自分がいる。
五十鈴、と言うよりも、調査した五十鈴の妹によると、頭中将のお相手の内裏女房は、どちらも掌侍であるらしい。しかも。
「勾当内侍と二か月前に出仕するようになった紀伊掌侍がお相手です」
「……匂当内侍は頭中将からの誘いを断っている、と聞いているが」
「そうですね。ですので、事実上、紀伊掌侍の独り相撲のようですが……」
紀伊は親が受領である。そのため、それほど出自は高くないが、美貌を見込まれて掌侍に抜擢された娘である。対する匂当内侍は参議の娘だ。母親が正妻ではなく、出自も高くないが、かつては時嵩の添伏の候補者として名前が挙がったこともある才女だ。
「もう一件は?」
時間がないので話を進めるために、時嵩は先を促す。仮にも中書王なので、それぞれの人物像については後からでも情報を集められる。
「最後は色恋沙汰ではありません。しかも、女嬬たちの話で」
温明殿、内侍司周辺が怪しいため当然だが、五十鈴は内裏女房を中心に調べ上げたようだ。
三件目は五十鈴が言ったように女嬬の話だった。おとなしい女嬬の娘が、女嬬の監督役の典侍にいびられている、ということだった。ひとまず、仲の良い女嬬たちがかばいあうことで事なきを得ていたらしい。
「監督者がいびってどうするんだ。その典侍は暇を出す。誰だ」
「もう尚侍の君が対応していると思いますよ」
後宮女官の管理を担う中務省の長である時嵩が憤慨して言うと、苦笑気味にそう言われた。頭に血が上ってしまったが、冷静になって考えてみれば、確かにその通りだ。それに、中書王の時嵩が対応するより、尚侍の君が処理するほうが道理にかなっている。
つまり、早ければ明日、暇を出された典侍がいびっていたのだ。なるほど。自己完結し、時嵩は話を進めることにした。別に五十鈴につっこまれたからではない。
「その女嬬が典侍を恨んでるんじゃないか、って話か……」
「そうですね。わたくしとしては、二件目か三件目が怪しいと思うのですけど」
「何故だ?」
理由を求めると、五十鈴は「勘です」ときりっとした顔で言った。思わずあきれて彼女の顔を眺めてしまった。まだ子供のころの面影を残した、覚えているより大人びた顔。ろうそく程度の明かりでは、五十鈴の青灰色の瞳は黒っぽく見えた。
「……まあ、それだけではありません。怪異の中心が内侍所である、と言うのも理由の一つですし、五位少納言がお相手では、まあ、少々女のいさかいには物足りないでしょう」
「……北の方がいるからか? 頭中将にもいるが」
年齢的にはどちらも同じくらいだ。時嵩とも年が近いので、引き合いに出されることもある。時嵩なりに考えた発言だったが、五十鈴はきっぱりと「違います」と言った。
「身分ですよ。頭中将は高位の貴族ですが、少納言は下位の貴族です。五位少納言は争ってまで手に入れたいと思えるお相手ではないのではないでしょうか」
その点、頭中将は今を時めく左大臣の嫡男で、この人のお手付きになれば自分の価値が上がる、と考える女房は多いそうだ。ここで、時嵩はいぶかし気に五十鈴を見た。
「お前のどこが浮世離れしているんだ。伊勢に行かず、京でこっそり活動していたのか?」
「ちゃんと伊勢でお勤めしておりましたよ! 京に戻ってきたのだって半年ほど前の話ですもの」
一年と少し前に、先帝が身まかり、それと同時に五十鈴は伊勢の斎宮の任が解かれた。そこから退下の手続きを取り、京に帰還するまでしばらくかかっている。伊勢にいる間も、宮中ではやっているという物語などを母親や姉妹に送ってもらっていたようだが、約八年を伊勢で過ごしたのだ。こちらのことには疎いと思っていたが、なかなか鋭い視点であると思ったのだ。
「……妹に聞いたのですよ。女同士の見栄の張り合いのために、恋人の殿方の身分も大事なのですって」
「……そうだな」
それは男側にも言えることなので、時嵩はうなずいた。やはり、宿直でほかのものと話していたりすると、そんな話題が出る。時嵩は基本的に聞き役だが、他の者たちは、自分が恋文を贈ったり、通ったりしている女性の身分や美しさなどを自慢していたはずだ。北の方については卑下することの方が多かった気がするので、不思議なものである。
「では、私の方でも彼女らの経歴等を調べてみよう」
女官の人事は中務省の管轄なので、掌侍と女嬬の情報について閲覧することができる。麗景殿と宣耀殿の女房については、それぞれの女御の実家が雇っているわけなので情報入手はたやすくはない。それと、女嬬をいびったという典侍も特定する所存である。
「お願いします。あと、五位少納言と頭中将についてもお願いします」
「……了解した」
さらっと頼まれたが、渋い顔になってしまう。五位少納言はともかく、頭中将は何かと時嵩に張り合ってくる相手だ。つい最近も、時嵩を素敵だ、と言っていた姫君を口説き落とした、と自慢げに話してきた。ちなみに、時嵩はその姫君を聞いてもぴんとこなかった。
「あと、お守りは必ず身に着けておいてくださいね。特に、大内裏に入るときには」
「わかった」
手首に下げた勾玉をなで、時嵩はうなずいた。五十鈴も満足そうにうなずくのが見えた。
「今日はこれで失礼する。お休み」
時嵩も宿直ではなく、明日は普通に出てこなければならないし、五十鈴も弘徽殿の客人とはいえ、早く起きなければならないだろう。時嵩は体力があるので一日二日寝なくても平気だが、五十鈴はさすがにつらかろう。裳着を済ませているとは言え、まだ年若い少女だ。
「はい。おやすみなさい、宮様」
呼ばれて就寝のあいさつをされるのが、なんとなく照れ臭い。時嵩は五十鈴の局をそそくさと出た。
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