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宿下がり【伍】








 する気はないのだが、するしないの前に那子は夜にはぐったりしていた。おそらく自分の邸に寄ってから帰ってきた時嵩が驚くほどの憔悴ぶりだった。


「お帰りなさいませ」

「今戻った。……どうした? 顔色が悪い」

「宮様ぁ!」


 那子の顔をのぞき込み、頬に手を滑らせる時嵩に縋りつく。取り乱したような那子の振る舞いに時嵩は驚いて彼女の肩を抱く。


「本当にどうした? 何かあったか」


 肩を押して時嵩は那子を座らせた。むくれた那子は時嵩の胸板を無言のままにたたく。那子も彼を傷つけるつもりはないので当たり前ではあるのだが、全く堪えた様子がなさそうだ。


「実は」


 那子は時嵩の肩口に額を押し付けながら簡単に事情を説明する。一日の間にいろいろあったのだ。


 まず、茅子の女房達は那子に怪異、というか多分妖だと思うが、これを何とかしろと詰め寄ってくる。これを何とか受け流してかわし、倭子の元へ向かうと、こちらも女房達がざわついていた。しかし、こちらは茅子のところに比べて落ち着いており、那子に無理を言うことはなかった。


 そして、ここからが問題なのであるが、茅子と倭子の女房が衝突した。妖に目をつけられたのは茅子であるが、狙われる理由があるのは倭子である。同じ妊婦で、間違われたのではないか。そう言って茅子の女房達が倭子の女房を責めたのだ。


 妊婦たちを矢面に立てるわけにいかず、那子が仲裁に入ったのだが、そもそも那子がすぐに妖を退治しないから悪いのだとこちらを詰ってくる。


「初めて身分を振りかざしました」


 むすりと怒ったまま那子は時嵩に訴えた。那子は普段、身分を振りかざすようなことはしない。しないというか、するまでもないという方が正しい。彼女の立ち居振る舞いはどう見ても上流階級のものであるし、大抵の者は彼女が女王であり元伊勢の斎宮であったと知ると控えるからだ。


 だから、真正面から身分を振りかざしたことはない。倭子ならともかく、茅子とを比べた場合、那子とどちらが上か微妙なところである。同じ母を持つ女王であるし、帝より位階を叙されている那子の方が上と言える。少なくとも、位階を振りかざせば女房は黙る。


 身分を振りかざして女房を黙らせ、今、茅子は那子の局で就寝している。


「それでこちらに通されたのか。三の君の局はどうなっている。形代でも置いたのか?」


 時嵩が那子の背をなでながら納得したように言った。彼の言う通り、茅子の元の局には那子が作った形代の式を置いてある。文字通り姿かたちをかたどっただけのものであるが、妖相手ならうまくいけばだますことができる。かかったら一気に縛り上げるつもりだ。


「お前は……兄上に勝手なことはしないように言われたんじゃないのか」

「宮様と相談するように、と言われましたけれど、先にお父様に話は通してあります。宮様には事後報告です」


 しれっとして言うと、時嵩は反応に困るというような表情になった。久柾が許可を出したのならあまり強く言うことはできないが、自分を待ってほしかった、と言ったところだろうか。那子は攻撃の術があまり得意ではないので、相手によっては時間がかかるのだ。


 茅子の寝る時間に合わせると、時嵩の帰りを待っている場合ではなかった。時嵩もそれをわかっているだろう。身代わりを成功させるなら、時嵩の帰宅前に仕掛ける必要がある。しかし、時嵩がいない間に妖がかかり、那子一人で対峙することになったら危険だ……と言うことだろう。


「……わかった。やってしまったのなら仕方がない。お前も、無茶をしたわけではないしな」


 時嵩があきらめたようにため息をつき、那子の頬を撫でた。那子はむっと頬を膨らませる。


「また子ども扱い」

「子ども相手にこんなことはしない」


 口をふさぐように口づけられて、話をそらされたと思った。離れようと胸を押すが、小動もしなかった。ここで、那子は自分が時嵩の膝の上に乗り上げていることに気づいた。


「少しは落ち着いたか?」

「……はい」


 やり方はどうかと思うが、時嵩が明らかに興奮していた那子を落ち着かせようとしたようだ。そしてそれは成功している。


「しばらく、お前はここを使うと言うことか? お前の使っていた局ならそうそう、妖も寄らないだろうが、そのうち気づかれる」

「わかっています。その前に片が付くといいのですけれど」


 妖も学習能力があるので、あまり時間をかけると気づかれる場合がある。なので、短期間でさっさと排除してしまいたい。


「今なら宮様もいらっしゃいますし、宮様が排除したと言えばみんな、納得すると思うのですよ」

「そこは自分がやったと言うところではないか?」

「わたくしが言ってもあまり効果はありませんもの。二品親王・中書王の肩書が必要なのです」

「お前も従二位の元斎宮だろう」


 冷静に突っ込みを入れられつつ時嵩とじゃれあっていると、ふと那子の探査網に引っかかるものがあった。感知能力の高くない那子だが、さすがに自分が設置した人形になにかあれば気づく。


「来たか」


 急に表情が引き締まったことに気づいたのだろう。時嵩が那子を抱えたまま立ち上がり、そっと床に降ろして立たせた。


「私は廂の方から回ろう」

「お願いします」


 時嵩がそっと御簾をあげて廂に出る。那子は立てていた几帳を回り込み、形代を置いた茅子の局に乗り込んだ。


「縛れ」


 褥に横たわっていた人形が不可視の縄に縛り上げられる。人形ごと、夢に侵入しようとしていた妖を縛り上げたのだ。


 人形の中で妖が暴れている。守りを得意とする那子の縛りはそう簡単に破られないが、何事にも限度はある。


 妖の意識がこちらに向いた。入ってこようとする。那子も対策をしているし、それなりに学んだものとして精神干渉への耐性もある。しかし、やはり無理やり意識に入り込もうとしてくるのは気持ち悪い。


 ぼっ、と人形が燃え上がった。本物の火ではなく、浄化の炎だ。那子は少し距離を取る。廂の方からやってきたのは、当然と言えば当然だが時嵩だった。


「大丈夫か」

「はい……ありがとうございます」


 那子の頭の中では悲鳴のような音が鳴り響いている。妖が浄化されているのだと思うが、気持ちのいいものではない。


「う~……」


 頭を押さえてしゃがみこむ。時嵩が慌てたように「那子」と彼女の側にしゃがんだ。


「どうした」

「頭の中で、悲鳴が……うぅ~」


 だが、おさまってきた。おそらく、妖が浄化され、消失したのだ。それでも、直接頭の中をひっかきまわされたような気持ち悪さが残り、頭がぐらぐらする。


「精神攻撃に耐性があるのがあだになったか?」


 入り込もうとした妖と那子の精神防御で衝突が起きた可能性がある、と時嵩は言った。彼の見解では、妖は那子に入り込めなかったようだ。


「眠っているときならともかく、起きて臨戦態勢のお前に入り込めるとは思えない」


 というのが時嵩の弁だった。本音のところは、那子の予知能力が関係していそうだが、そちらは保留だ。痛みが落ち着くまで体を支えられ、背中をさすられた。


「すみません。もう大丈夫です」

「そうか? 無理はするな」

「はい。……人形はどうなりましたか」


 那子の意識が逸れたために、彼女の拘束は外れているが、人形に入り込もうとした妖は人形ごと、時嵩の炎で焼かれたはずだ。すでに人の形を保っておらず、木を削った人形が褥に落ちていた。外側が焦げている。拾い上げた時嵩がそれを眺める。


「何も残っていないな。念のため、後で処分した方がいいだろう」

「そうですね」


 なんだか疲れた。人形は夜が明けてから処理することにして、一度漆の箱に納める。那子はそう言ったものを封じるのも得意だ。


「宮様、こちらで休まれます?」


 念のため周囲に結界を張ってから、那子は尋ねた。尋ねられた時嵩はむしろ不思議そうな顔をする。


「何故ここで休まないと思った」

「ええ……それもそうですね……」


 確かにそうだ。いや、確認しただけで追い出そうとしたわけではない。


「……何か不満か?」

「いいえ?」


 不満そうなのは時嵩の方だ。少し考えた那子は時嵩に甘えるように寄りかかった。まあ、那子が甘えるのはいつものことだが。


「なんだか疲れました」

「……お前は頑張ったと思うぞ」


 髪をすくように頭をなでられて、那子はえへへ、と笑う。我ながら単純だと思う。同じくらい、甘えられたら機嫌が直った時嵩も単純だと思う。言わないけど。








ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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