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五節舞【拾弐】









 視線をめぐらせた那子はゆっくりと立ち上がった。


「五十鈴?」

「少し、席を外します」


 まだ舞の途中だ。みんなの目は舞台に向いている。立ち上がった那子は倭子にささやくと、後宮の方へ向かった。後から綾目がついてくる。那子が藤壺に連れ込まれてからずっとこうだ。


 まあ、綾目一人くらいなら守れるだろう。そう思い、那子は綾目を連れて紫宸殿から綾綺殿の方へ向かった。なんだか縁のある場所だ。内裏女房のほとんどは五節舞を見に行っているが、それでも留守居役の女房はいる。今回は少将内侍だったようだ。


「あら、斎宮の君様。まだ、舞の最中では?」

「そうですね。皆さま、五節舞に夢中です。ですから、今なら誰もいない。あなた以外は」


 微笑んでいた少将内侍からすっと表情が消えた。那子は首を傾けて言った。


「あなたが宇治重玄に情報を流していたのですよね。……というより、そのために忍び込んだのかしら」

「……」


 少将内侍が警戒するように足を後ろに引く。那子はそれを追うように足を前に出す。


「内裏の中での騒動のほとんどは、あなたが手を回していたのでしょう? 内侍所の女房であれば、後宮内はもちろん、清涼殿の周辺にいても不思議ではありませんもの。情報も、好きなだけ手に入ったでしょうね。尚侍の君は用心深いから、核心的なことは入手できなかったかもしれないけれど」


 匂当内侍が不在の間、尚侍の君は自分の補佐を少将内侍にさせている。しかし、有能であるとはいえ完全に信用はしていないようだった。慎重である。尚侍の君は身分によってえらばれるが、当代の場合は仕事もできる有能な人物だった。人格的にも公平な人で、だからこそ少将内侍を重用しつつも、その仕事ぶりをつぶさに見ていたのだと思う。そして、重要な情報を与えないと言う判断をした。尚侍の君がだいぶ那子たちに踏み込んだ対応をしてくれたので、少将内侍が怪しいことに気づいていた可能性もある。


「内裏の外から干渉するのであれば、間を取り持つものが必要ですわね。ものだと、撤去される。だから人を送り込んだのね」


 そういうことだ。宇治重玄は公卿にも影響力を持っていた。自分の手の者を送り込むことはそう難しくなかっただろう。


「……それがわかったところで何? 私を捕まえようって?」


 これまでの教養のある女性然とした態度はかなぐり捨て、少将内侍は荒い口調で言った。


「無理よ。伊勢の斎宮だか知らないけど、あんたに私を捕まえられるわけがない」

「どうして?」

「私があんたに負けるはずがないからよ!」


 不可視の攻撃が迫ってくるのを感じた。那子は自分の横を流れていく呪詛を眺める。すっと右手を挙げた。


「返れ」


 那子の言葉でこちらに向かっていた呪詛が、少将内侍に返って行く。夜をつんざくような悲鳴が、彼女からほとばしった。それも、行われている宴の楽の音にかき消される。悲鳴を上げながら、少将内侍は顔を押さえて仰向けに倒れこんだ。


 痛い、と押さえる顔は赤くただれている。ちょっとかわいそうになったが、よく考えなくてもこれは那子に向かってきた呪詛なのだ。同情の余地はなかった。そのまま術で縛り上げる。


 そして、誰も来ない。いや、那子が結界を張ったせいだが、これは自分で助けを呼ばなければ。そこに至ってやっと那子は式神を放った。たぶん、時嵩が来てくれるはず。来られなくても、誰かをよこしてくれるはず。


 那子はうめき声をあげるだけになった少将内侍から距離を取り、彼女を視界に納めながらも安全を確保する。


 ふわ、とあくびをする。もう夜も遅い。だが、宴はまだ続く。女性たちは各々離脱していくこともあるようだが、男性たちの夜は長い。


 跳ね返された呪詛が離散したのだろうか、少将内侍が拘束を引きちぎろうとしている。那子は肩をすくめた。


「霊力の勝負でわたくしに勝てるはずがないでしょう」


 先ほどの少将内侍と同じようなことを言いながら那子は肩をすくめる。実際、那子より強い霊力を持つのは時嵩くらいだ。もしかしたら宇治重玄は那子より力が強いかもしれないが、少将内侍はそうだとは思えない。


「五十鈴」


 明かりも持たずにやってきたのはやはり時嵩だった。那子は細殿から身を乗り出す。


「宮様」

「死ね!」


 那子が背を向けた隙を狙ったのだろう。少将内侍が攻撃を放った。時嵩が焦ったように那子を呼ぶが、那子も何の対策もしていないわけではない。宙に金色の陣が浮かび上がり、術による攻撃を防いだ。わかっていなければ防ぐことはできないが、強力な結界の一種である。


「那子、お前!」


 時嵩にしては珍しく声を荒げ、しかも細殿にそのまま飛び上がってきた。しかも、真名を呼ばれた気がする。厳密に言うと那子、と言うのも完全な真名ではないが、それでも女性の名を呼ぶものではない。それくらい、動揺しているということだ。


「お前は……本当に!」


 肩をつかまれて怪我がないか確認されながら、那子は「来てくださって助かりました」と言う。まったく気にしていない那子に時嵩はお怒りであるが、それより前に少将内侍を何とかしなければ。


「内通者です」

「……内侍所の女房だな」


 中務省の管轄なので、時嵩は少将内侍を把握していたようだ。意外なことに、右大臣の関係ではなく、大納言の縁者として宮勤めをしていたらしい。


「お前が一人でやったのか?」


 また暴れられても困るので、少将内侍の意識を奪い、時嵩が来たので物理的に拘束する。その時に月明かりでただれた顔が見えたのだろう。


「ほとんど自爆ですわね。わたくしは向けられた呪詛を返しただけです」

「……そうか」


 何とも言えない表情で時嵩は相槌を打った。那子に顔がただれるような呪詛を向けた少将内侍に怒りを覚えるが、それをそのまま返す那子もえげつない……と言ったところだろうか。女同士の戦いは怖いのだ。


「というか、捕まえましたけれど、どうするのですか?」


 内裏に怪異を持ち込み、女御たちを危険にさらしているので反逆罪になるのだろうか。情報漏洩程度なら投獄の末放逐になるだろうが。


「放逐するわけにはいかないだろう。宇治重玄と合流されてはかなわん」

「ですよね……」


 ただの内通者ではなく、少将内侍は霊力を持つ術師だ。逃がして宇治重玄の戦力を強化するわけにはいかない。となれば、どこかに幽閉するしかないだろう。尼寺にでも送られるのだろうか。


 まあ、そこまでは那子の関与するところではない。近衛府の府生ふしょうが駆けつけてきたのを見て、時嵩は那子を抱え込んだ。那子も顔を伏せる。


「中書王様」

「内侍所の女房だ。反意の疑いがある。拘束の上、監禁しておけ。それと、陰陽寮にも知らせを」


 近衛府の府生たちは舎人に指示を出し、少将内侍を回収していく。堅物で通っている時嵩が女性を抱えているので、彼らは興味深そうにしていたが、さすがに身分差がありすぎて声をかけるには至らなかった。足音が完全に遠のいてから那子は顔を上げた。


「明日には噂でもちきりですわね、きっと」

「何のだ?」


 本気でわからないようで時嵩が首をかしげている。こういうところが朴念仁なんだよなぁと思う。


「姫様」

「あ、綾目。いたの」


 宴会場を出たとき、一緒に出たのだからいるに決まっている。那子と少将内侍の対決の邪魔になると思い、隠れていたそうだ。


「そうしましたら、いつの間にか気を失ってしまいまして……」


 申し訳ありません、と言われたが、たぶんそれは那子か少将内侍の術の余波だ。ちょっと申し訳ない気持ちになる。


「会場へ戻るか? もう五節舞は終わっているが」

「そうですね……」


 那子はこくりとうなずいた。舞は終わっても宴自体は続いている。雅楽の音は聞こえている。時嵩はともかく、那子は姉の付き添いなので、一度戻った方がいいだろう。


「宮様は?」

「お前が戻るなら、私も戻ろう」


 するっと頬を撫でられた。那子はきょとんと首を傾げ時嵩を見上げる。何度か瞬く那子の頭を軽くなでると、「戻ろう」と時嵩は言った。綾目に先導され、那子は倭子の側に戻る。


「あら、戻ってきたのね。お帰り」

「ただいま戻りました」


 倭子が隣に戻ってきた那子に微笑む。


「で、何があったの?」


 好奇心に満ちた顔で倭子が身を乗り出してきた。まさか正直に少将内侍とやりあって捕まえてきました、と言うわけにはいかない。


「ええっと、ちょっと宮様と」

「あらぁ」


 楽し気に倭子が笑う。多分、倭子は那子と時嵩の関係が変化したことに気づいている。


 そして、時嵩と顔を合わせたということは、呪詛的な何かがあったのだ等と察しただろうが、そこには触れずに男舞を見ながら言った。


「まあ、あなたの選択肢としてはそんなに多くないのよね、実は。お父様は政治的に中立を保っているし、女王だものね」


 身分から考えると、選択肢は広くない。そのうえ、政治的な問題もある、と言いたいらしい。時嵩は本人も政治的には中立だ。あえて言うなら帝派と言ったところだろうか。


 ふあ、とあくびが出て、那子は慌てて袂で口元を覆った。倭子がくすくす笑う。


「眠くなってきた? そろそろ退席しましょうか。わたくしも飽きてきたわ」


 宮中行事に対してすごいいいようだが、楽は常に奏でられているとはいえ、すでにただの宴会に近い。麗景殿の女御や宣耀殿の女御はまだいるようだ。先に退席しないように周囲に目を凝らしている。


 弘徽殿の女御たる倭子はあまり気にしないようで、帝に触れを出し、さっさと退席の準備を始めた。もう真夜中であるため、冷えてもきている。那子は冷えた指先をもむ。


「冷えるわね。あったかくして寝るのよ」

「温石を入れてもらいます」

「やけどしないようにね」


 寝具がある程度温まっていれば眠れるだろう。たぶん。綾目に温石を入れてもらい、那子は就寝した。









ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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