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五節舞【玖】

ちょっと短め。








「そこ。夫婦喧嘩をしていないで入れ」


 準備が終わったらしく、御簾の内から帝のあきれた声が聞こえた。見ると、準備をした宰相乳母が声をかけたものか迷っている姿があった。おそらく、那子だけなら声をかけただろうが、時嵩と話していたのでためらったのだろう。


 時嵩が御簾を上げて那子に中に入るように促した。そこは先に自分が入るところではないだろうか。身分的に考えて、と思いつつ、押し問答になるよりは自分が折れた方がよかろうと、那子は御簾の内に入る。すぐに時嵩も入り、御簾が降ろされた。火鉢が置いてあるので温かく感じられて、簀子が寒かったことに気づいた。


「ここは妖を見かけぬな」

「清涼殿でも見かけるのですか?」


 おもむろに口を開いた帝に、倭子が驚いた口調で問い返した。内裏の中でも最も清浄な場所の一つだからだ。


「中には入ってこないな。しかし、御簾越しに見える」


 見られることに慣れている帝は、妖にのぞき込まれていてもさほど気にしないようだ。肝が据わっていると言うか、図太いと言うか。


「藍宮も陰陽寮も実害はないというし」


 それはそうかもしれないが。とはいえ、那子も見えていても何事もないかのように無視している方なので、人のことは言えないので黙っておく。


「結界が揺らいでいるのだ、と宮も陰陽寮も言うのだが、斎宮の君、どう思う?」

「わたくしも同意見です。こちらは陰陽寮に任せておく方がよろしいかと」


 内裏を守る呪術を担っているのは陰陽寮だ。厳密に言うと延暦寺とかいろいろあるが、下手に那子が関与しない方がいいのは確かだ。いくら彼女の結界術が当代一と言われようとも、相性と立場がある。内裏の結界は、その担当の者に任せた方がよい。


「まあ、それもそうだな。斎宮の君ならもっと強い結界が張れるのではないかと思ったのだが」


 帝にそう言われ、那子は几帳越しで見えないとわかりつつ、首を傾げた。


「可能ですが、わたくしのやり方では、今ある結界を活用できません。また別に結界を張ることになります」


 もし今ある結界から張り替えたとしても、那子が死んだらどうするのか、と言う問題もある。彼女の結界術は強力かもしれないが、陰陽師の結界とは少し種類が違うため、完全に張り替えてしまっては維持できないと思われる。


「ままならないものだな」


 そう言って肩をすくめる帝は、本当に困っていなさそうだ。周囲がやきもきする気持ちがちょっとわかる。


「それで、大嘗祭はこのまま開催しても大丈夫だと思うか?」

「何とも申し上げられません」


 これが聞きたかったのだろうな、と言う問いを帝が発した。那子がそう答えたのに対し、時嵩は少し違った解答をした。


「なんにせよ、このまま開催すべきでしょう。急に予定を変更してはみな困りますし、何より主上の威光に差し障ります」


 急な開催よりは、急な中止の方がまだましではあるが、様々な予定が狂い、皆が困るのはその通りだ。各地方から集まってくる者たちだっているのだ。できればこのまま開催してしまいたいだろう。


「だが、何か起こるのは明白だろう」


 これだけの騒ぎが起きているのだ。確かに、怪異に接触したとして中止にすることもできる。だが、ここは国で最も清浄な場所の一つである内裏だ。障りがあったなど認められないだろう。しかも、今は伊勢の斎宮であった那子が滞在している。この状況で清浄さを保てなかった、など言えない。


「我々がそう考えているだけで、実際に何かが起こったわけではありませんし、脅迫があったわけでもありません。公卿たちを説得するのは難しいでしょう」

「……弾正尹宮にもそう言われた」


 観念したように帝はため息をついて言った。倭子が「まあ、お父様が」と那子と全く同じ感想を述べた。中立を維持する父としては、そうとしか回答できなかった、とも言える。


「……清浄さを保つ、と言う意味でなら、前日にわたくしが神楽を舞うと言う方法もございますけれど」


 伊勢の斎宮にも五節舞は存在する。那子はもう伊勢の斎宮ではないが、神楽を舞うことで邪気を払うことができ、一定の効果は見込める。ここは伊勢の斎宮が仕える太陽神の分御霊わけみたまがおわす場所だ。那子と相性がいいはずなのだ。


「五十鈴。無茶はするなと言ったはずだ」


 すぐさまそう言ってきたのは、当然ながら時嵩だった。那子は隣に座す時嵩を振り向く。


「無茶でしょうか。別に、敵に向かって突っ込んでいくわけではありませんし」


 ただ、宮中で神楽を舞うだけだ。場所は違えど斎宮の時もしていたし、多少目立つかもしれないが、それだけだ。


「お前が舞えば術師の目を引く。狙い撃ちにされるだろう」

「宮様。もともとわたくしたちは目をつけられているのですよ。今から多少目立ったところで、大して変わりません」


 というのが那子の主張であるが、時嵩は納得できないらしい。ちょっと過保護だと思う。


「それに、大嘗祭当日を狙われるよりは、先に対処できるのであればその方がよいでありませんか」

「……それはそうだが」


 二人の中で宇治重玄が宮中行事、この場合は大嘗祭だが、ここを狙ってくる可能性は高い、となっていた。それを逆探知して遠隔で打撃を与える予定だった。これを、那子が事前に舞う神楽で反応したのなら、それはそれで対処すればよいではないか、ということだ。


「夫婦喧嘩は後で存分にやってくれ。それで、斎宮の君、楽師はいるか?」


 奏楽、つまり神楽囃子を奏でる者はいるか、と帝が尋ねた。帝はやる気だ。事前に危険が排除できる可能性があるのなら、やればよい、と言うことなのだろう。帝がやる気であることもあって、時嵩はいったん引いた。


「できれば力のある方に奏でていただきたいですね。宮様とか」

「……わかった」


 ため息をつかれたが、時嵩が了承した。楽がうまければそれだけで一つの術となり、神楽の効果を高めるだろうが、本人が全く霊力の素養がないのであれば、それはそれで楽師が危険である。


「一人だけでは音が心もとないな。何人か見繕っておく。口の堅いやつをな」


 帝はのりのりだ。それどころか倭子も「わたくしも琴でよければお供しようかしら」と言ってのけた。しかし、おそらくだが、倭子は身ごもっている。大嘗祭に参列するだけならともかく、参加するのは危険だ。何のために那子がここまで強力な結界を弘徽殿に張っているのかと言うと、そう言うことなのだ。


 大嘗祭の前日の夜、紫宸殿の舞台を借りて神楽を舞う。同時進行で、宇治重玄を見つけて遠隔で撃つ準備もしておく。こちらは主に時嵩のやることだ。


「五十鈴」


 帝が倭子とともに姫宮の相手をしに行ったので、那子は時嵩と必然、二人きりになる。時嵩が低い声で那子を呼んだ。何を言われるか察して、那子はきっ、と時嵩をにらんだ。


「やめませんよ」

「……それはわかっている。だが、無茶をするなと言ったはずだ」

「無茶ではありません。わたくしは神楽を舞うだけで、結界の外に出るわけではないのですよ」


 重点的に狙われる可能性はあるが、先ほども言ったように、儀式中に狙われるよりはましだ。


「呪詛は結界を越えてくる。そう言ったのはお前だ」

「お父様や宮様の見解が正しいのであれば、宇治重玄はわたくしを殺そうとはいたしません」


 那子は霊力の強い女性術者だ。この力を次代につなげることができる。現状、那子より霊力の強い女性は存在しないと思われるので、宇治重玄も那子を殺すのは惜しいと思うだろう。


 時嵩はきっぱりと言い切った那子を見て何かを言おうと口を開いたが、結局何も言わなかった。怒鳴ろうとしたのかもしれない。だが、再び開かれた口が発する声は落ち着いていた。


「……お前は兄上より、斎院の女宮に似ているな」

「えっ」


 時嵩の言う兄上、は那子の父・久柾を指すのだろう。斎院の女宮は時嵩を養育した志子のことだ。


 父親に似ている、と言われたことはあるが、伯母の斎院の女宮に似ていると言われたのは初めてだ。優雅でおっとりした女性だった、斎院の女宮を思い出す。


 そうだ。彼女は宇治重玄に呪殺されたのだ。当時の帝への呪詛を引き受けて。


 那子は思わず手を伸ばし、時嵩の頬に触れた。いきなり触れたのに、時嵩は何も言わず、されるがままだ。


「宮様。わたくしは伯母様ではございません」


 おそらく、時嵩は怖いのだ。慕っていた斎院の女宮を呪殺した宇治重玄に那子が殺されるかもしれない、と言うことが。当時の帝の形代だった斎院の女宮は、呪いを受けて苦しむことも、最悪の場合、死んでしまうことも覚悟していただろう。だが、彼女が殺されて悲しむ人はいる。同じように、那子が覚悟をしていても、悲しむ人は絶対にいるのだ。


「わたくしはそう簡単に殺されないでしょうし、何かあっても、宮様が守ってくださるでしょう?」


 にっこりと笑ってのたまうと、時嵩ははっとした表情になった。彼はもう、あの当時の斎院の女宮を助けられなかった時嵩とは違う。


「そう、そうだな」


 頬に触れていた那子の手を、時嵩がつかみ、その手のひらに口づけた。那子は驚いてそのままの姿勢で少し体をはねさせた。それを押さえつけるように抱き寄せられた。


「お前は俺が守る」


 耳元で低くささやかれて、那子は腰を抜かした。わざわざ、あんなに色気のある声で囁く必要はない、と主張したい。








ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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