五節舞【陸】
翌日は例の物置代わりになっている廂を確認することになっていた。都合の良いことに、日が出ており明るい。陽の気が強いので、万が一何かまずいものがあっても対処しやすい。
「では、お願いします」
確認する、と言っても、実際にものを動かすのは那子ではない。那子は自分でもやろうと思っていたのだが、みんなに止められた。女房たちに交じっているとはいえ、那子は弘徽殿の女房ではなく、弘徽殿の主の妹だ。そうでなくても女王の身分にあるので、通常、自ら動く立場ではない。
弘徽殿の女房達は優秀なので、数か月に一回くらいはものを片付け、あるものを確認しているという。おそらく、盗難や呪術を警戒しているのだろうが、所有物を把握しておくのはよいことだ。
那子も一つ一つ確認していくが、何もおかしなところはない。しかし、夏用の袿などを仕舞っていた唐櫃が改められたとき、待ったをかけた。
「待って。それをもう一度調べて。一番底よ」
少し怪訝な顔をされたが、少納言がもう一度中身を改め、底に手を伸ばして触れた。はっと息を呑む。
「……これ」
彼女が取り出したのは、綾織物だった。呪術のくっついた例の綾織物とは違う文様だが、おそらく、源大納言が贈ったという綾織物はこちらだ。
「入れ替えて、ここに隠したのね」
那子が言うと、少納言は「こんなに近くにあって気づかなかったなんて」と腹立たしそうに言う。近くにあると、案外気づかないものだ。そして、おそらく烏丸大輔に指示したものは、このことが露見しても構わないと思っているのだ。
ここまでで半分くらいのものを確認したので、せっかくだからとすべての物を確認してしまう。それに、那子も付き合った。結果、他に何もなかった。入れ替えられた元の綾織物だって、霊的なものはなにもなかった。元通り片付けてから、念のため悪いものを避けるお守りを貼っておく。
「霊的なものが何もないなら、どうしてそこにあるとわかったの?」
唐櫃から出てきた綾織物を眺めながら、倭子に尋ねられた。那子は一言。
「勘」
「勘……」
倭子にはとてもいぶかしげな顔をされた。しかし、そうとしか言いようがないのだ。もっと厳密にいうのであれば、そこにあるには違和感のあるものがある、ただし、害はない、と言うようなものが存在すると思ったのだ。それが何かまではわからなかったが、しばらく放置でも問題なさそうだと言うことはわかった。
「相変わらず、訳が分からないわね、あなたは」
「まあ、他人より勘が鋭い自覚はございますよ。それに、他に説明しようがないのですよ」
「術的なことはわたくしたちにはわからないものね」
そう言って倭子は一応の理解を示したが、おそらく、これは那子の予言能力に起因するものだと思う。時嵩も勘が鋭い方だが、那子と違って『視る』と言う行為を経ることで違和感を覚えることが多い。
同じ術者でも、比べてみると結構違いがある。不足を補いあえるので、那子はとても助かっている。
「それより聞いた? 麗景殿で、呪物が軒下から見つかったと大騒ぎなのよ」
「聞いています。あれだけ騒げば、誰でも気づくというものです」
現在夕刻なのであるが、正午過ぎごろにそれは起こった。麗景殿から女人の悲鳴が上がった。同じ後宮の敷地内とはいえ、それなりに距離があるので本気で何事かと思った。探りを入れると、麗景殿で呪物騒動が起こったそうだ。
「麗景殿の女御様を狙った呪詛だと騒いでいるようですね」
「実際、そうなのかもしれないわ」
この京の都で、呪詛騒動はそれほど珍しくない。それは内裏でも同じことだ。管理された後宮であっても、それは起こりうる。
「どうでしょうね……人形が見つかったようですけれど。今だから申し上げますと、わたくしならあの人形ひとつで、対象者を即呪い殺せると思います」
さすがに倭子にどん引きされた。だから言いたくなかったのだ。今は倭子と那子、それに那子も子供のころからしている宰相乳母と綾目しかいないので言ったのだ。
「……本当に?」
「実際にやったことはありませんけれど」
それだけの素養が那子にはあると言うことだ。単純な方法ほど、よく効くものだ。呪詛者が相手を本気で、心の底から呪い殺したいと思うのなら別だが、普通は人形一つではせいぜい、体調を崩させるとか、それくらいの効力しかないのではないだろうか。
「方法がこちらで起こったものと似ておりますし……もちろん、麗景殿が弘徽殿で起こったことを察し、主上の気を引きたいがために行った狂言である可能性もございます」
那子としては方法が似ていることから、弘徽殿で起こったことと裏で糸を引いている人間は同じと思うが、一割ほどは麗景殿の狂言である可能性も考えていた。
「……それ、あなたの意見?」
首をかしげて妹の顔を覗き込みながら、倭子は尋ねた。那子は首を左右に振る。
「いいえ。綾目に指摘されました」
残念なお知らせだが、那子にはまだ、そこまでの情緒は存在しない。倭子は「そうよね」と少しあきれた様子だ。
「宮様に手取り足取り、その辺を指導してもらいなさいな」
「宮様もそこまでの情緒や男女の機微を理解しているとは思えないのですけれど」
どちらもまじめで浮世離れしているから、この状況なのではないかと思う。考えながら上の空気味に答えたので、姉が面白そうににやけたのに気づかなかった。
「あら。と言うことは、那子には少なくとも、宮様に情緒を理解してほしい気持ちはあるのね?」
失言に気づいて、那子はパッと目を見開いてにやつく口元を袖で隠している倭子を見た。那子も口元を押さえる。みるみる頬が紅潮するのがわかり、宰相乳母も「あら」という表情になった。
ここにきて、那子はやっと自分が時嵩に対して男女的な意味での情を抱いていることに気づいた。昔からの延長で、同じようによくしてくれていたから気づくのが遅くなったが、自分のこれまでの行動を振り返るに、そう言うことなのだろうと思う。無意識に好意を抱いていたから、と言う理由で説明のつく行動が多すぎる。時嵩にだけ甘えて見せたりとか、わがままを言ってみたりとか、誘われたからと言って邸に行ってみたりとか。頼まれごとも、無理でなければ聞いていた気がする。
「ああああああ~っ」
「姫様、はしたないですよ」
顔を手で覆い、床に突っ伏した那子に、冷静な綾目が突っ込みを入れた。ちょっと待って。今ちょっと顔を上げられない。
「宮様が押せば行けると思ったけれど、あなたから押してみてもいいんじゃないかしら」
この時代の高貴な女性にあるまじき発言を聞いた気がしたが、それ以前の問題だ。那子はよろよろと顔を上げる。
「宮様にとってわたくしは子供ですよ……」
いまだに子ども扱いを受けていると思っている那子は望み薄だと返すが、綾目も「そんなことはないと思いますが」と首をかしげている。
「……話を戻しますが」
そう。今は那子と時嵩の話ではなく、麗景殿の呪詛騒動の話をしていたはずだ。
「弘徽殿のものと、背後で糸を引いているものは同じような気がいたします」
頭を切り替えて真面目な口調で言うと、倭子も表情を引き締めた。
「わたくしもそう思うわ。だとしたら、やはり右大臣の派閥の者?」
「今のところの状況証拠ではそう見えますが……」
「情報が少なすぎるわね」
そう言って、倭子は肩をすくめた。那子も「そうですね」と同意する。まさか、麗景殿に乗り込むわけにもいかない。そうなると、内侍所の女房などに話を聞くことになるが、又聞きになるし、彼女らも一方に肩入れするようなことはしないだろう。
「結界を強化するくらいしかありませんね」
だが、どれだけ強化しても入ってくるものは入ってくるし、呪詛自体は防ぐことはできない。人のなすことには限界があるのだ。
大嘗祭まであと五日。何事もない、と言うわけにはいかないだろう。
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