表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/42

五節舞【伍】








 夜、みんなが寝静まる時間になると、人の多い内裏、後宮も静かだ。宿直が見回りをしていることもあるが、それも多い人数ではない。


 そんな時間に、女御の殿舎の局にやってくるものもいる。女房の恋人だ。


 見落としがちではあるが、彼らもまた、何の疑問もなく殿舎を出入りできる人物であるのだ。那子は女房の局のない廂に入ろうとした人影を見つけ、すっと隠していた燭台を持ち上げて照らし出した。


「こんばんは」


 こそこそしていたのが見つかったことよりも、女性が堂々と顔をさらしていることにその男は驚いたようだった。だが、那子の背後に尚侍の君と宰相乳母、そして大江衛門がいることに気づいて顔をひきつらせた。


「……大輔様」


 藤原の氏を持つ宮内省の大輔は大江衛門の恋人だった。宮内省は宮中の事務の一切を取り仕切る。大嘗祭の準備にもかかわっているだろうし、それに伴い人が集まり、各女御たちに贈り物がもたらされていることも知っているだろう。さらに、弘徽殿の女御の女房である大江衛門の恋人だ。こっそり夜に弘徽殿を訪れても不思議に思うものはいない。


 だが、小さな齟齬が寄り集まって真実が見つかることもあるものだ、と言うのは時嵩の言であるが、まさにそうだった。


 贈り物を運び込んだ女房達の証言、送り主たちの情報、様子。女御たちや内裏に仕える女房の恋人たちや、宿直の官吏たちの様子。そう言ったものを聞き取り調査したのだ。尤も、尚侍の君がほとんどやってくれたし、思いがけず早くに犯人を見つけることができたので、那子はほとんど何もしていないのだが。


 大江衛門の恋人の烏丸からすま大輔は、恋人の元を訪ねた後に、少し間をおいて弘徽殿を出る様子が何度か確認されていた。大江衛門のほかにも恋人がいるのか、と思われたが、違ったのだ。弘徽殿を家探しし、そして、贈り物の一つを呪詛の染みついた綾織物に入れ替えた。源大納言は全くの無実で、とばっちりである。


「大輔様。誰と恋仲になろうが、後宮で女房とあいびきをしようが、わたくしは目をつむっております。それはあなた方の自由だからです。けれど、贈り物を入れ替えたとなると、捨て置けません。女御様の殿舎の中で起きたこととはいえ、後宮内で起きたことはわたくしの管轄内です」


 毅然として尚侍の君が言ってのけた。さすがの貫禄である。尚侍の君は烏丸大輔より年上で、身分も上だった。そして、この玲瓏とした美貌と声に言われると勝手にひるんでしまうのだ。


「これは問題にさせていただきます。近衛府の方、連れて行ってください」


 よろしいですね、と尚侍の君は一応、那子にも確認を取った。那子はうなずく。問題ない。那子的には、もう問題は解決していて、これは尚侍の君や弘徽殿の宰相乳母たちが解決すべきことだからだ。


「宰相殿、局の中を確認してもいいですか?」

「かまいません。私は女御様のところに報告に向かいます」

「お願いします」


 尚侍の君も宰相乳母について倭子の元へ向かった。今、帝がきているのだ。夜に帝が女御の元へ来るのは慣例にのっとっていないが、今夜の捕り物が気になったようだ。名目では怯えている倭子を慰めに来たそうだが、あいにく那子の姉はこれくらいで怯えるような気弱な人物ではない。


 那子には少納言が付き合ってくれた。使っていない局は、物置のようになっていて、唐櫃などが置かれている。ざっと見ておかしなところはないように思われた。


「なんだか不気味ですわね……」


 少納言が嫌そうに言った。ほとんど使用していない局など、不気味に決まっている。


「大きな問題はなさそうですけれど、夜が明けましたら一度、中身を確認した方がよさそうですね」

「そう致しましょう」


 那子の言葉に、少納言がうなずいた。日中に明るい中で改める方がまだましだと思ったのだろう。その時であれば、他にも女房がいるし。


 特に術を施すこともなく局を出ると、那子は宰相乳母に声をかけられた。


「斎宮の君様、主上がお呼びです」

「……まあ」


 微妙な反応になってしまったのは許してほしい。


 弘徽殿を訪ねていた帝は、おそらく呪詛の結果を知りたいのだろう。犯人の目星はついている、という報告はいっているはずだし、少し待てば内侍所からも報告があるはずだが。


 蔀戸を上げて中に入り、声をかけて母屋の御簾をくぐる。中には帝と倭子、尚侍の君がいた。


「お呼びと」

「ああ、斎宮の君。今、尚侍の君から顛末は聞いたが、お前の見解を聞きたい」

「はあ……」


 帝が気さくに語り掛けてくれる。尚侍の君から顛末は聞いているのなら、この方が聞きたいのは呪詛に関することだろうか。


「それで、弘徽殿を呪詛しようなどと考えた不届きものは誰だ?」


 笑っているが、目が笑っていない。だが、この場にそれに動じるような女性はいなかった。那子もゆるりと首を傾ける。


「綾織物を入れ替えたのは烏丸大輔ですけれど、あの方は呪詛を行った術者ではございません」

「だろうな」


 呪詛と言うのはやろうと思えば誰でもできるが、それが効果を発揮するかはまた別の問題になってくる。よほど素養がない限りは、手順を守れば一定の効果を発揮すると言われるが、綾織物の呪詛は手順が守られていなかった。


「かといって、まっとうな……と言ってはおかしいですけれど、本物の術者が呪詛を行ったわけではないと思います。おそらく、大輔に命令した方が、ご自分で参考資料などを皆がら、呪詛を行ったものではないでしょうか」

「話は分からないではないが、布を呪詛できるのか?」

「正確に申しますと、綾織物は経由物です。わたくしは鏡を通して相手に暗示をかけることができますけれど、この場合、綾織物はわたくしの鏡と同じ役割を果たしているのですね」


 とはいえ、条件設定が弱いので、箱を開けたら発動したようだが。


「呪詛はうまくいかなくても、その場に怨嗟がたまります。瘴気が発生するものです」


 内裏は、そうした恨みつらみが集まりやすい場所でもある。


「わたくしが参内してから二日ほどしかたっていませんが、把握できているだけで三件、呪術関係の案件を把握しています」

「そうなのか? 私は何も聞いていないが」


 帝が眉を顰めるが、那子はしれっと「把握してから、藍宮あいのみや様にお会いしていませんもの」と答えた。藍宮 時嵩が彼の正式な名乗りである。昨晩は彼にあったが、夜が明けてから調べて回り、今夜に至るまでは合っていないので、帝に報告がいっていないのは当然だ。

「なるほど……続けてくれ」

「はい。思うに、そうした瘴気を発生させるものを小出しにして、わたくしたちを攪乱するのが相手の目的なのではございませんか? ゆえに、誰が呪詛を行ったか調べても、問題の解決にはならないと思います」


 烏丸大輔に呪物を運ばせたものの背後に指示したものがいて、そのさらに背後に操ったものがいるはずだ。烏丸大輔に指示したものを探しても、問題解決とはならない。


「それでも、呪詛を行うのは犯罪だ。……烏丸に指示をしたなら、右大臣の関係者か?」


 帝が頭を悩ませているが、そのあたりは那子の専門外である。勢力図くらいは頭に入っているが、政がかかわってくるので、そのあたりは帝や倭子に任せた方がよい。


 最近、右大臣界隈がざわついている。娘が年頃になってきたので、入内させたいのだ。宣耀殿の女御は右大臣側の人間ではあるが、娘ではなく養女だ。後援している、と言ってもいい。右大臣は直径の娘を後宮に入れたいのだ。もし、後援している宣耀殿の女御が男児を産み、その子が帝となれるとしても、その子には母の養父と母の実父の二人がついているのだ。権力が割れてしまう。


「五十鈴ではありませんけれど、誰かが右大臣を背後で煽っているような気は致しますね」


 落ち着き払って倭子は言った。那子もそんな気がする。煽っている相手と、右大臣の思惑が絶妙に合致しているのではないだろうか。そう言えば、那子の二条の邸が襲われたとき、時嵩が出かけていたのも右大臣の邸だった。


「……かけてもよろしいですけれど、右大臣のお邸に突撃をかけても、何も見つかりませんね」


 右大臣の悪行の数々は見つかるかもしれないが、呪詛に関する手掛かりは見つからないだろう。帝は不満げだ。


「それでは、不届きものは見つけられないではないか」

「それについては、検非違使たちが見つけてくださると信じております」


 しれっと倭子が押し付けた。犯人捜しは那子の仕事ではない。那子の仕事は、倭子を守ることで、その任についてはまっとうしている。


 そのことに気づいたのか、帝も「そうだな」とうなずいた。


「しかし、斎宮の君。ここには姫もいる。犯人捜しは請け負うので、守りは頼む」

「承知いたしました」


 あまり自由に行動できない那子が犯人捜しをするよりはよほど建設的な役割分担だ。


「ああ、しかし、無茶はするな。私が叔父上に恨まれてしまう」

「……」


 叔父上とは時嵩のことだ。いろいろ呼び名があって、頭の中で一瞬こんがらがってしまう。


 ふわ、と倭子があくびをかみ殺したのがわかった。帝が苦笑する。


「もう遅いからな。明日にしよう。名残惜しいが、私は戻る」


 後宮では妃の方が帝の元へ向かうのが普通だ。夜に弘徽殿にいるこの帝がおかしいのである。この方なら弘徽殿で休む、とか言い出しそうだったが、そうはならなくて安心した。


「その方がよろしいでしょう。後涼殿の方が守りが強固です」

「……倭子、こちらへ来るか?」

「いいえ。ほかの女御たちの恨みを買いたくありませんもの。お気持ちだけ頂戴しておきます。今日は妹と寝るので、大丈夫ですわ」

「えっ」


 にこりと笑って帝の誘いを断った倭子、さらっと那子を巻き込んできた。那子はじっとりと帝に睨まれた。


「……美人姉妹で眼福なのかもしれないが」

「そうでしょう」


 倭子には黙っていてほしい。それにしても、別れ際にお休み、と言って口づけを残していく帝はすごいと思う。挙動が、なんと言えばいいのだろう。俗っぽく言うのであれば、気障だ。


「さて。一緒に寝るわよ、那子」

「えっ、それ本気なの?」


 帝に本気で恨まれないだろうかと心配になる。倭子は気にならないようで、宰相乳母に那子の寝支度も頼んでいる。いや、広さも十分だし、一緒に寝るのは構わないのだが。


「一応、これでも怖かったのよ。姫もいるし。ただ、中書王様が怒ったら、とりなしておいて」

「はあ……」


 確かに、この殿舎には倭子の産んだ姫宮がいる。今は別の局で寝ているが、もはや人も出入りできないくらいの結界でがっちがちに守っている。


 那子が隣に寝ることで別の意味で危ない可能性もあるだが、構わない、と倭子は言うので、その日は姉妹で並んで寝ることにした。くっついて寝たわけではないが、なんとなく一人で寝るよりも温かい気がした。








ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ