五節舞【参】
右大臣の姪が五節の舞姫に選ばれたとあって、内裏の弘徽殿以外がピリピリしている。左大臣の娘である麗景殿の女御は、自分の敵が増えるかもしれない、とあって当然警戒している。宣耀殿の女御は右大臣の後援を受けているものの、もともとは橘氏の娘だ。父親は大納言であったと思うが、正直、身分を考えても中宮に立后することはないだろう。
と言うことは、この五節の舞姫を一番警戒しているのは宣耀殿の女御であるのかもしれない。右大臣の遠縁とはいえ、ただ後援を受けているだけ、という自分よりも、姪である五節の舞姫の方が立場が上になる。もし実際に入内するとなれば、宣耀殿の女御は日陰の身になる可能性が高い。
「う~ん。微妙な均衡ね……」
おそらく、帝は倭子を寵愛することをやめない。政治的に見て、一番寵愛することに向いている女御だ。今権勢を握っているのは左大臣だが、倭子の父は一品親王だ。血筋の確かさではほかの追随を許さないだろう。ついでに言うなら、那子の生母・朔子は臣籍降下した皇族だが、倭子の生母は藤原氏だ。前左大臣の娘にあたる。この前左大臣は現左大臣の伯父にあたるので、またちょっと系譜がややこしくはあるが……。
「斎宮の君様? どうかなさいましたか?」
渡殿の途中で立ち止まって考えこんでいた那子がよほど目立っていたのか、内裏女房に声をかけられた。しかも、尚侍の君だ。もう一人、中臈と思われる女房を連れている。
「いえ……少し考え事をしていて」
邪魔だったか、と脇によけたのだが、尚侍の君もそのまま立ち止まったまま、世間話でもするように口を開いた。
「ちょうどお会いできましたので、紹介しておきます。彼女は少将内侍。今、匂当内侍が宿下がりしているため、何かあれば彼女に申し付けください」
匂当内侍は内侍司の掌侍の中で第一位の者を指す。尚侍の君はその名の通り、内侍司の長であるが、その下に典侍、掌侍、とくる。那子の記憶では典侍も何人かいたはずだが、実際に実務を取り仕切るのは掌侍であることが多かった。
「わかりました。お気遣い、ありがとうございます」
「どうぞ良しなに。少将内侍、この方は弘徽殿の女御様の妹姫の斎宮の君様です」
「しばらく、よろしくお願いします」
できるだけ愛想よく挨拶をすると、那子より十ほど年上に見える少将内侍も控えめに微笑んだ。
「こちらこそ、お手柔らかにお願いいたします、斎宮の君様」
どうやら、彼女はまだ新参者の部類に入るらしい。それでも、身分や能力的にほかの女房を取り仕切らなければならなくなったのだろう。ちょっと気の毒だ。
「斎宮の君様がいらっしゃったと言うことは、何か起こるのでしょうか」
探るように尚侍の君に見つめられ、那子は小首をかしげた。
「何もないように、わたくしが来たのですよ」
本当のことだ。今のところ、何も起こっていない。たとえ、陰陽寮の占いでよくない卦が出ていようと、これは事実だ。何かあっても対処できるように那子がいる。
「あまり、期待しないでおきますわ」
「そうしてください。被害の最小限化くらいなら可能ですかね」
尚侍の君も、何も起こらない、とは思えないようだ。実際、これまでの大嘗祭でも何かしらの事件は起こっているのだ。少なくとも那子は、姉と帝の身に注意を払わなければ。
内裏女房の二人と別れて、少し離れたところから麗景殿と宣耀殿の様子を見る。何故、帝は敵対する派閥の娘たちに、この隣り合った殿舎を与えたのだろうか。今日も元気に女房達が喧嘩しているのが見えた。その奥の綾綺殿では、内裏女房達が淡々と準備を進めている。こちらを仕切っているのは典侍のようだ。尚侍の君は、部下にあたる内侍たちに適度に職を割り振っているようだ。
宣耀殿より近くにある麗景殿を出入りする女房達に、いぶかしげに見られるようになったので、那子はその場を離れた。春頃時嵩とともに始末した怪異も、今は問題なさそうだ。
夜更けになり、外から声がかかった。那子が使っている局は、東廂の一部だ。身分的に登花殿の広さのある局を与えるように進言があったようだが、倭子の近くにいた方がいいと言うことで例外的に東廂を使うことになった。普段は控えの間になっているところだ。
ただ、この東廂、南廂を通過しないと入ってこられない、少々奥まった場所になる。前回、茅子とともに内裏に伺候した時と同じ場所である。
「まあ、宮様」
「自分で遣戸を開けるな」
「いつものことでは?」
顔を合わせたとたんに叱られ、しかし慣れているので那子はしれっとそう返した。時嵩があきらめたようにため息をつく。
「私ではないかもしれないだろう」
「その時は開けませんよ」
時嵩だから、自ら招き入れるのだ。そう言うと微妙な表情をされた。
「……まあいい。何か気になることはあったか?」
局に入りながら時嵩が尋ねた。彼が遣戸を閉めてくれる。那子は少し場所を開けて座り込んだ。
「陰陽寮の言い分は、厳密に言うとどのようなものなのですか?」
姉の前だったからか、時嵩と帝の語る陰陽寮の言い分はかなりふんわりしていた。場合によっては、それくらいしかわからない、と言うこともあるが……。
「どう、と言っても、言ったままだ」
そうなのか。つまり、占っても何か起こりそう、と言うことしかわからなかったわけだ。
「しかし、少々気になることも言っていた」
時嵩が淡々と話を続けたので、那子は身を乗り出して「と言うと?」と先を促した。
「まるで何かに目隠しをされ、視えないようにされているようだ、と陰陽頭が言っていた」
陰陽頭はその名の通り、陰陽寮の長官だ。つまり、公的には最も優れた陰陽師である。その彼が言うのであれば、可能性は高い。
「……えてして、霊力の強い相手のことを見ようと思うと、不明瞭になるそうですが」
「お前もそうか?」
陰陽師たちと方法は違うが、那子も占術が得意だ。どちらかと言うと、予知の方が有名であるが。
「遠い未来のことや、範囲の広いことを見ようと思ってもそうなります。……わたくしは、自分より霊力の強いものにほとんど会ったことがないのです」
「ああ……」
時嵩が納得した声を上げた。那子より確実に霊力の強いと言えるものなど、目の前の時嵩や、もう亡くなっているが伯母の賀茂の斎院くらいだ。今なら、宇治重玄もそうだろうか。
「陰陽頭は、実際に術で阻害しているのかもしれない、とも言っていたが」
「ええ。ですが、同じことではありませんか? 力の弱いものが術を使っても、わたくしたちなら突破できますもの。陰陽頭が感じているのは、陰陽頭と同程度以上の能力を持つものです」
陰陽頭が占えないのなら、その占おうとしている相手は同程度以上の能力を持っていると考えるのが妥当だ。時嵩は驚いたように那子を見た。
「……なるほど。そう言うことか……」
納得を示した時嵩に、那子はくすりと笑う。
「宮様はご自身が霊力の強い方ですから、思い至らなかったのですね」
「占術も得意ではないからな」
ため息をついてうなだれるように前かがみになり、時嵩は那子の肩に額を押し付けた。同じ邸で暮らすようになってから、たまにこういう振る舞いをするようになった。甘えられているようで少しうれしい。
「……だが、だとしたら、やはり宇治重玄が何か仕掛けてくる可能性が高いな。陰陽頭は歴代でもかなり力の強い陰陽師だ。それを超えるものなど、たかがしれている」
「ですねぇ……」
那子は当代の陰陽頭を知らないが、腕の良い陰陽師だと言う。賀茂姓の者だったと思うが。
「ですが、今は結界を強化するくらいしかできませんよ。それでも、呪術を防ぐことができるわけではありません」
「呪い返しでも用意しておくか」
「いいですねぇ。得意分野です」
任せてください、と言うと、時嵩が顔を上げた。時嵩は微笑む那子の頬を両手で挟んだ。笑みが引っ込んできょとんとした顔になる。
「お前はここにいる以上、主上と女御様を守らねばならない。お前のことだ、弘徽殿だけではなく、他の殿舎の女御様のことも気に掛けるだろう」
よくわかっていらっしゃる、と那子はあいまいに微笑む。
「私も同じだから、やるなとは言わない。ただ、無理をするな。自分をないがしろにするな。私が悲しむからな」
妙な脅され方をした。那子は自分の頬をはさむ時嵩の手に自分の手を添えた。
「承知いたしました。ですが、宮様も同じですよ。何かあれば、わたくし、泣きますからね」
「割といつでも泣いていないか?」
「……では、泣いて宮様を呪いますからね」
「それは怖いな」
全く本気にしていない声で相槌を打たれた。術師と言うのは表裏一体だ。守るすべもあれば呪う術もある。だが、呪うのではなく引っ付き虫になってやろうと思った。
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