五節舞【弐】
「まあ、宮様はあなたのことが好きなんだろうな、とは思うわね」
そんなわけで、那子は内裏・後宮にいた。弘徽殿の女御たる姉・倭子の元で人払いをして話をしている。倭子と那子は正確には異母姉妹にあたるが、倭子の母は彼女が小さい時に亡くなっており、以降、那子の母・朔子が倭子を養育したため、本当の姉妹のような感覚である。
軽い打ち合わせをしようと顔を合わせた中、茅子や親たちの様子を聞かれたので、愚痴ついでに茅子に言われたことを姉にも言ってみたのだが、倭子からはさらに斜め上の答えが返ってきて、那子は当惑した。
「ずっと子ども扱いだと思うのですけれど」
「まあ、最初は確かにそうだったかもしれないわね」
倭子は、那子と時嵩が久々に再開した後宮での場面を見ている。倭子曰く、この時は確かに子ども扱いだったそうだ。
「でも、最近は違うわね。消極的に考えても、子ども扱いではないわ」
「そうですか?」
子ども扱いのような気がするのだが。邸に居候させてくれるし、一緒に寝てくれるし。そう思っていると、倭子から「那子、子ども扱いと甘やかすのは別の話なのよ」という言葉が飛んできた。違いがよくわからないのだが。
「そう言うところよ、那子。子ども扱いされているというより、お前が子供なのよ」
「むう」
すねて見せたが、那子自身でも自覚があるところなので反論の余地もない。
「宮様が押しまくればうまくいきそうだけれど」
ぽつりと倭子がつぶやいた言葉は、那子には聞こえなかった。
さて、話は逸れたが、本来の目的である打ち合わせである。
「正直、あなたが早めに来てくれてよかったわ。今年の大嘗祭のことは聞いてる?」
「お父様と宮様からざっくりとは聞いてきたけど」
大嘗祭の後の豊明節会で五節舞が行われる。これは宮中行事の一つで、女御やその女房達も見学するため、豪華絢爛になると言う。というのも、那子は実際に見たことがないのだ。
とはいえ、一年ほど前まで那子がいた伊勢神宮でも新嘗祭は同じ日に行われていた。五節舞も行われたことがある。那子も神楽舞の一つとして習ったことがあった。ただ、今回の新嘗祭は大嘗祭であり、帝が即位して初めての新嘗祭にあたるのだ。大嘗祭が正しいが、新嘗祭と言っても間違いではない。
「五節の舞姫は公卿や殿上人の娘の中から選ぶのですよね」
「ええ。今年は右大臣の姪が舞う予定よ」
ほかは無難なところから選出されているらしい。昔はもっと高位の貴族の娘が選出されることが多かったが、最近では顔を見せるのを忌避し、嫌がられることもあるらしい。
今、今上帝の後宮には三人の女御がいるが、右大臣の娘はいない。右大臣が後援している娘ならいるが。右大臣は自分の血縁者を送り込みたいのだと思う。
「わたくしはともかく、麗景殿に左大臣の娘がいるから、自分も、となるのでしょうね。政治的均衡は大事だわ」
「内裏があれるような気がしますけれど」
「荒れるわね。尚侍の君がピリピリしているもの」
尚侍の君こと藤原斐子は三十前後と思われる生真面目な印象の女性だ。彼女がピリピリしているのはいつものことではないか、という指摘は空気を読んでやめておく。
とはいえ、右大臣の娘が入内してきたとしても、倭子の趨勢は変わらないだろう。父が左右どちらかの大臣につかない限り、中立の家の出の娘だからだ。そして、女王であるから身分的にも一番高い。
「女御様」
御簾の向こうから声がかかった。倭子の筆頭の女房の宰相乳母だ。区別をつけるためにこの名を与えられているが、普段は『藤の宰相』と呼ぶことが多い。
「どうしたの?」
倭子が声をかけると、御簾を持ち上げて宰相乳母が中に入ってきた。三十代後半ほどの真面目そうな雰囲気の女性だ。
「主上がおいででございます」
思わず、倭子と那子は顔を見合わせた。たぶん、那子が参内したと聞いてやってきたのだと思われる。しかし、帝は一人ではなかった。
「いやいや、私は外で構わないよ。叔父上も一緒だから」
「いいえ。そう言うわけにはまいりません」
宰相乳母が慌てたように止める。御簾の外に帝を追いやっているのを見られたらことだ。かといって、帝は言った通りに時嵩を連れている。帝を中に入れ、親王である時嵩だけを外に出しておくのもおかしい。
「わたくしがそちらに参りますので、主上は女御様の側においでくださいませ」
那子が立ち上がり、御簾の外に出る。目の合った帝は肩をすくめ、礼を言って御簾の内に入った。しかし、倭子が「几帳を立てればよろしいでしょう」と言ったので、結局几帳をはさんで帝と倭子側、時嵩と那子側に分かれることになった。正直寒かったので、那子は助かった。
「久しいな、斎宮の君。いろいろあったようだが、元気そうな姿を見て安心した」
「お久しゅうございます、主上。再び拝謁を賜りまして、感謝の念に堪えません」
那子が堅苦しく言うと、帝は笑って「楽にしていいぞ」といった。気さくな人だ。時嵩と足して二で割ったらいい感じになるのではないだろうか。
「予定より早いな。しかし、早めに来てくれてよかった」
倭子と似たようなことを帝は言った。やはり、何か起こっているのだろうか。ちらっと隣の時嵩を見上げてみたが、よくわからなかった。
「早速だが、今年の大嘗祭だが、よくない卦が出ていると陰陽寮から言われている。中止するほどの理由にはならないため、今のところ決行予定だ」
まあ、と驚いた声を上げたのは倭子だった。どうやら、帝は寵愛している女御にも何も言っていなかったらしい。
「斎宮の君は何かわかるか? 中書王はわからない、と言うのだが」
「私の力は感知能力が低いと申し上げました」
「そのよく見える眼は何のためにあるんだ」
「よく見えるだけですよ」
帝と時嵩のやり取りである。確かに、時嵩は占いなどの素養はない。とはいえ。
「わたくしも特に何も感じませんが……」
今のところ、結界が機能しているのだと思う。この結界の感度を上げることはできる、と言うとやってくれ、と言われた。陰陽寮との調整が必要だと思う。
「私としては、人や物の出入りが多くなることが気にかかります」
時嵩の言うように、普段出入りしないものが内裏を行き来することになる。何が紛れ込んでもおかしくない。普段出入りしないものが出入りするようになる、ここが焦点だ。完全に人を通さないような結界もはれるが、そうなると大嘗祭の準備に時間がかかる。
「そもそも、結界で完全に怪異や呪詛を防ぐことができるわけではございませんものね」
那子もそう言うと、帝は「現実主義者ばかりだな」と苦笑した。
「まあ、少々警戒心が強いくらいの方がいいのか? ともかく、斎宮の君」
「はい」
「弘徽殿を頼んだぞ」
「……微力を尽くします」
帝の言葉に何か含むものを感じながらも、那子は無難にそう返した。娘の姫宮の様子を見たい、と言う帝のために宰相乳母が姫宮を連れてくる。那子は時嵩にささやかれた。
「後で行ってもいいか?」
那子はこくりとうなずく。しばらく同じ邸で暮らしていたので、すっかり相談する癖がついている。
「以前と同じ局か?」
「はい。お待ちしておりますね」
返事の代わりにするりと頭を撫でられる。そのまま頬にも手を滑らせてから、時嵩は立ち上がった。
「主上、私はこれで」
「ああ」
時嵩が先に退出したため、那子は再び几帳の内側に入った。帝と女御の夫婦からまじまじと見つめられる。
「……なんですか」
「いや……あの堅物の叔父が随分甘いものだと思って」
いたたまれなさを感じながら問えば、帝からそんな回答があった。いまいち意味が分からなくて首をかしげる。
「……倭子、ここにいる間に教え込んだ方がいいんじゃないか」
「そう致します」
何を、と聞ける雰囲気ではなかったので、空気を読んで黙っていた那子である。帝の膝の上の姫宮だけが、キャッキャと楽し気な声を上げていた。
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