五節舞【壱】
前回のあらすじ:那子の屋敷が襲撃されて壊れました。
「と言うわけでお父様。うちの家人を何人か預かってほしいのですけれど」
那子の邸である二条邸が襲撃を受けた数日後、那子は実家の五条の邸にいた。父の弾正尹宮・久柾に邸を修繕している間、何人かの使用人を預かってもらうためだ。
これから冬になるため、那子の二条邸の修理完了はまだ先になる。邸の主として、那子は雇っている皆の冬を越せる場所を探す必要があった。
那子の父は一品親王で、地位もあれば財力もある。数人預かるくらいなら問題ないと思ったのだが、父は難しい表情になった。
「それは……うむ。お前のところの家人は口も堅いだろうし、数人なら」
「何かあったのですか?」
含むところのあるような言葉に、那子は首を傾げた。那子が宇治重玄に狙われている可能性がある以上、那子本人がこの邸にいるのは避けたいところだが、使用人であればかまわないと思ったのだが。
「何か、と言うほどではないが。実は、茅子が子を身ごもってな」
「まあ!」
おめでたい話に那子の顔がほころんだ。だが同時に、父が情報が漏れるのを避けようとしていることを理解した。
「わかりました。では、空木と浅葱を預かってくださいませ。それと、下男を数人引き取っていただけると助かります」
那子の女房達の中でも、空木と浅葱は口が堅いし、二人とも経産婦だ。何かと役に立つだろう。それに、下男であればそもそも茅子のような姫君に接することはないので、情報が洩れるようなことはない。
那子の提案に、父はうなずいた。許容範囲だったのだろう。那子はほっとした。さすがに、時嵩の邸で全員受け入れてもらうのは不可能だったのだ。
「那子は倭子に呼ばれているのだったな」
「はい。大嘗祭に呼ばれておりますので」
実のところ、那子が宮中祭祀に呼ばれるのは本物の斎宮と呼ばれたその力を当てにされているからだ。別に那子がいるからと言って、来年の収穫量が上がったりするわけではないのだが。
帝のおわす内裏は、この国で最も強固な結界で守られている。そう簡単に侵入はできまい。それに。
『こちらから仕掛けてみないか?』
時嵩はそう言った。確かに真理だと思った。ここまで、すべて受け身だった。だから、状況に対応することしかできない。こちらから仕掛けるには、宇治重玄の場所がわからない。
しかし、あちらが行動を起こせば、その残滓がわかる。時嵩の見鬼の力と、那子の感知能力を使えば場所を察知し、反撃が可能だ。
大嘗祭は宇治重玄が仕掛けてくる可能性が高く、那子と時嵩が同時にそこにいられる。帝のおひざ元であることだけがいただけないが、逆に言えば強固に守られた場所でもあるのだ。
父と話を終えて、那子は茅子の元へ向かった。妹は、脇息にもたれて庭を眺めていた。
「茅子」
「お姉様」
茅子の女房が中に入れてくれたので、那子は茅子のそばまで行った。隣に座り込みながら「おめでとう」と言った。思わず腹を見てしまうが、見た目では身ごもっているかわからなかった。
「ありがとう……不安しかないのだけれど」
少し唇を尖らせ、茅子はすねたように言った。
「ずっと体はだるいし、胸やおなかは張ってくるし、香で気持ち悪くなるのよ」
「あらら」
あいにくと那子は経験したことがないが、確かに近くにいた妊婦は似たようなことを言っていたような気がする。
「わたくしも薫物を焚いているけれど、大丈夫?」
そもそも、この時代に着物に香を焚きしめていない者はほとんどいないだろう。身分が高いものほどそうだ。
「ええ。落葉ね。お姉様、少し白檀を加えました?」
「いいえ、何も変えていないわ。おそらく、宮様の黒方ね」
通常、落葉に白檀は加えない。人によって調合が違うため、含んでいる人もいるかもしれないが、那子は基本的なものを使っている。一方、時嵩が好んで使っている黒方には白檀が含まれる。共に暮らしているので、香りが移っている可能性は高い。
そう言うと、茅子に胡乱気に見られた。
「お姉様……普通、一緒に暮らしているだけで香が移ったりしませんわ」
家族でもそうでしょ、と言われると、そうかもしれない、となった。この問題は突き詰めるときりがなさそうなので、一旦おいておく。
「私のことはいいのよ。お姉様も、大変だったみたいじゃない。そのことで来たのですよね?」
「ええ、まあ。お父様に何人か家人を預かってほしくて」
「宮様に頼めばよろしいのだわ」
「もう頼んでいるわ」
すでに何人か引き受けてもらっているのだ。だが、時嵩は妻もおらず独り身だ。那子の家人をすべて預かると、単純計算で二倍の家人の人数になってしまう。さ
すがに多すぎる。一方、家族が暮らしている五条の邸はもともとの受け皿が大きい。
即答した那子に、「あ、そうなのね……」と茅子は面食らったような表情でうなずいた。
「わたくしも、少し早くお姉様のところへ行こうかと思って」
二人ほど女房を連れて。本当はなずなを連れて行こうかとも思ったのだが、裳着を済ませていないし、まだ内裏に連れて行けるほどの技量もない。そのため、時嵩のところでお留守番である。
那子の言葉に、茅子も「それはいいかもしれませんね」とうなずいた。それから、ふと不安そうな表情を浮かべて言った。
「ところでお姉様。私が同行できないから、お姉様一人になるってわかってます?」
茅子に指摘されて、那子はぐっと黙った。その通りだ。
「当然、そうよね……大丈夫よ」
「不安しかないのですけど」
那子は自分が世間知らずで浮世離れ手している自覚がある。伊勢から戻って一年以上が経つが、その手のことが苦手なのもあり、世渡りに不安が残る。
二つ年下の妹から心配され、那子はあいまいに笑った。那子が狙われているかもしれないこと、今計画していること、どちらを踏まえても、那子が内裏に行かない選択肢はない。
「まあ、女房も連れて行くわけだし、できるだけお姉様の側を離れないようにするつもりだし」
だからこちらを気にするな、と言いたかったが、そうはいかないようだ。茅子とは「些細なことも気になってしまって」と少し自分にうんざりしているように見えた。妊娠中は些細なことでも気にかかってしまうことがある、と後から聞いた。
「お姉様。悪阻を軽くしたり、不安を解消したりする呪いはありません?」
「うーん、わたくしは知らないわね。気をそらしたり、痛みを和らげる方法で対処できるかもしれないけど……ああ、安産祈願はできるわよ」
「それは実際に産むときにお願いします」
お姉様の祈願はよく効きそう、と茅子は言った。よく効くかはわからないが、妹のためならやるつもりだ。
「……気をそらす呪いでもしてみる? 病ではないから、あまり効かないと思うけれど」
術師の中には薬などに精通しているものもいるが、那子はそうではない。巫女としてある程度の薬草の知識はあるが、伊勢の斎宮であった那子の役目は、神の声を聞くことだった。確かに力のある巫女と言えるが、こういう時困る。
「いいえ……耐えられないほどではありませんし」
でも、安産祈願はお願いします、と真剣に言われたので、その祈願はしておくことにする。
「私としては、お姉様と東四条の宮様のことも気になるのですけど」
それについては母にも探りを入れられている。どうやら、父は時嵩本人に探りを入れたらしく、那子には何も言ってきていない。
「茅子たちが気にするほどのことは何もないわ。よくはしてもらっているけれど」
東四条の女房達も見知ったものが大半なので、結構住み心地がよい。時嵩がどう思っているかは聞いたことがないけど。
「なんというか、お姉様たちって熟年夫婦のようですわね」
呆れたように茅子に言われたが、どのあたりがそう思えるのかわからなくて首を傾げた。前々から思っていたが、妹の方が早熟である。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。




