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歌合せ【壱】







 東四条の自分の邸に帰った時嵩は、東の対に顔を出した。


「まあ。おかえりなさいませ」


 にこりと笑って出迎えてくれたのは五十鈴……那子だ。まだ残暑の厳しかったあの夏の終わりの日、勢いで言ってしまった提案に那子がうなずいてから、彼女は二条の自分の邸ではなく、時嵩の邸で暮らしている。たまに、二条の邸には帰っているようだが、基本的にこちらにいた。


「今戻った」


 端的に挨拶をする時嵩だが、那子は気にした様子もなくにこにこしている。小さいころからこういうところがあった。あまり相手の反応を気にしない、というか。


 こうして那子はにこにこしているのだが、周囲の女房達はじっと鋭い目で時嵩を見てくる。那子についてきた女房はもちろん、東四条で雇っている女房達も同じように時嵩を見てくるのでたまらない。那子がこの邸に住まうようになってからひと月あまり。使用人たちは那子の味方だった。


 そもそも、時嵩が那子を連れてきた時から好意的だったのだ。時嵩の邸は、かつて那子の伯母でもある賀茂の斎院が所有していたものだ。それを、彼女の死後に時嵩が相続してから彼が住んでいる。


 相続した時に望む使用人も継続して雇用したため、大半の使用人が当時とかぶっている。つまり、幼い那子のことを覚えているものが多いのだ。


 なので、最初に那子を連れてきた時も大歓迎された。那子は父親の五条の邸で育てられたが、母親の朔子は那子の強い霊力を持て余した。時嵩の母のように拒否することはなかったが、自分が持たない力を持った娘にどう接してよいかわからなかったようだ。


 だから、那子の父・久柾は姉である賀茂の斎院・志子の元へ那子を連れてきた。志子に力の使い方を教わるためだ。


 久柾の一番上の姉である志子は、その当時もっとも力の強い術師であったと言われている。その当時の陰陽師もかなわなかったほどだ。久柾が那子を連れてきた時、時嵩はすでに志子の元で養育されていた。


 那子の母・朔子も霊力の強い子供の扱いに戸惑ったそうだが、時嵩の母もそうだった。と言うより、時嵩の母ははっきりと拒否を示した。自分には理解できない力を持つ我が子を気味悪がった。おびえた。それに気づいた時嵩の父、つまり先々帝であるが、彼が自分の女一の宮であった志子に相談したのだ。そうして、時嵩は志子に預けられていた。


 そんな中久柾が連れてきた那子は、時嵩が初めて接する自分より小さな、そして自分と同じ霊力を持った子供だった。那子は人見知りしない子だったから、気難しいところのある時嵩にもなついたし、志子も可愛がった。だからもちろん、東四条の邸の女房達も可愛がったのだ。


 那子も力の使い方を学ぶ必要があったから、よく志子の元を訪れて教えを乞うていた。時嵩が彼女の相手をしたこともある。しばらく滞在することもあって、その時に使っていた局を今も使っている。


 志子がいなくなって接点がなくなったはずの那子を連れてきたため、女房達は、時嵩が那子を妻にしたのだと思ったそうだ。違う、そうではない、と言ったのだが、女房たちが盛り上がっているので好きにさせている。下手に水を差すと時嵩が口論で負ける。


 大人の女性となって現れた那子だが、やはりすぐに打ち解けた。この対人能力はとてもうらやましい。最近は女房達から時嵩の愚痴を聞いているらしい。何を言われているのか非常に怖い。


「どうなさったのですか?」


 まじまじと見つめられた那子がきょとんと首をかしげる。那子に「おかえり」と出迎えられるのがいいな、と思ったのだが、別のことを口にした。


「今日は何をしていたんだ?」

「冬用の衣を縫っておりました」


 ほら、と見せられた。まだ途中のようだが、蘇芳色の鮮やかな布地だった。これまで知らなかったが、那子の裁縫の腕前はなかなかのものだ。


「お前に似合いそうな色だな」

「ふふっ。宮様でもそういうことをおっしゃるのですね」


 珍しいことを言った自覚はあるが、指摘されると気まずい。少々憮然としてしまった時嵩を見て、那子はくすくす笑った。


「姫様。せっかくですから、宮様の冬物も仕立ててみませんか? 殿方の衣装を縫えて、損はありませんよ」

「ええー。そうかもしれないけど」


 俐玖が二条邸から連れてきた女房の空木が身を乗り出して那子に提案するが、那子は困惑気味だ。空木を見て、時嵩を見上げた。時嵩も見つめ返す。


「私は、仕立ててもらえると助かるが」


 少し下心がないとは言えない。憎からず思っている娘の仕立てた衣なら、着たいと思えた。裁縫の腕のほどはわからないが、おかしなものができることはないだろう。


「姫様。殿を好きなように着飾らせることができるのですよ」


 そうささやいたのは、この東四条の女房だった。年かさの女房で、那子が幼いころを知っている女房だった。


「うーん、そこまで言うなら」


 不承不承の体だったが、那子は了承した。目の合った那子をそそのかした女房達がにやりと笑う。感謝してくれてもいいのだ、と言うような表情に、時嵩は目をそらした。付き合いが長いからか、みんなに筒抜けのようでいたたまれない。実際、書斎にしている局に向かっている途中で言われた。


「大事に囲っておくのもよろしいですけれど、妻にしてしまえばよろしいではありませんか」


 姫様も憎からず思っておいでですよ、とそう言った女房は時嵩よりも二十ほど年上で、時嵩と那子のことを子供のころから知っている女房だ。


「外堀を埋めるのも結構ですが、姫様は少々浮世離れしているところがございますから、はっきり示さなければ伝わらないと思いますよ」

「……忠告、感謝するが、そう言うことではない」


 そう。少なくとも、那子をこの邸に連れてきた当初は、確実にそんな意図はなかった。だが、時嵩が帰ってきたら、那子が迎えてくれるというこの現状。時嵩の衣を仕立てるのは初めてだが、これまでもほつれを直してくれたことがある。そうでなくても、時嵩の目が届かなかった邸の奥向きのことをあれこれと整えてくれているらしかった。


 だが、それだってこの女房達の差し金である可能性がある。指摘されたように、那子は浮世離れしたところがあり、本人もそれを自覚している。外に出る機会のほとんどない姫君だ。女房達に言われて、素直に受け取った可能性がある。気丈で肝の据わったところがあると理解しているが、それでも素直な少女なのだ。


「……妻とするときは私が自分で何とかする。だから、あまり口出しするな」


 煩わしくなってそう言うと、女房は驚いた表情を浮かべた後に破顔した。


「それもそうですね。けれど、申し上げておきますと、私ども一同、姫様をお方様とお呼びできるのが楽しみなのです」

「お前たち、昔からだが五十鈴贔屓だな」


 呆れたように時嵩がそう言うと、「少し違いますね」と真顔で言われた。


「どういう意味だ」

「私どもは宮様贔屓なのですよ。子供のころから知っている宮様が夫婦になれそうな女性が姫様なので、そう見えるのですね」


 つまり、時嵩は那子以外とは結婚できないだろうと思われているということだ。気にかけられているのはわかるし、結局のところ那子のことも小さいころから知っているので、子供のころを知っている二人が仲良さそうなのがいいらしい。








ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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