こんなにも愛している【玖】
空木に起こされて目を開けると、すでに日はのぼり時嵩はいなかった。
「宮様は?」
「朝方、おかえりになりましたよ」
前にもこんな会話をした気がするな、と思いながら那子は「そう」とうなずいた。昨日も褥で寝た記憶がないから、時嵩が運んでくれたのだろう。
「文を預かっております」
「まめな方ねぇ」
時嵩はこうして夜間に那子を尋ねたとき、たまに文をくれる。たいてい、続いている文のやり取りが時嵩の晩の時で、やり取りの続きが書いてある。今朝もそうで、前に那子の出した文の返事だった。だが、和歌も詠まれていて那子は少し面白い。
「そんなに嬉しそうになさるなら、夫婦になってもいいものと思いますけれど」
空木があきれたように言うが、那子は「そうねぇ」と生返事だ。身支度を整え朝餉を取ると、邸の中をうろうろする。意図的に結界を緩めたので、また張りなおさねばならない。
浩子に思いを募らせた殿方も、頭中将に思いを募らせた女房も、その後どうなったのだろう。気にはなるが、那子は調べる術がない。時嵩の報告を待つしかないのだ。浩子の様子を見に行きたい気もするが、まず時嵩の調査結果を待とうと思う。
果たして、午後になって彼は慌てた様子でやってきた。相変わらずの先ぶれが急である。最近は出されるだけましなのだろう、と思うことにしている。
「お急ぎでどうなされたのですか、宮様」
らしくなく慌てた様子で簀子に姿を現した時嵩は、有無を言わさず御簾を越えてきた。女房達が悲鳴を上げる。
「宮様! さすがにお控えください!」
空木が気丈に指摘する。今さらな気もするが、時嵩はいつも伺いを立ててから御簾を越えてきたので、違和感のある行動ではある。那子も驚いたが、彼が彼女に害をなすはずがないので平然としていた。
「五十鈴」
「はい」
那子の前に膝をついた時嵩は那子の肩をつかむと口を開いた。
「落ち着いて聞け。左近大夫が死んだ」
「え……」
そもそも左近大夫って誰、と思ったが、浩子のところに生霊として出てきた男性だ。頭中将の部下のようだ、と思ったのだが、本当にそうだったらしい。左近衛府に所属する武官なので、左近大夫。
「えっ、え? どういうことですか?」
「どうもこうもないが、自宅で変死したらしい」
「変死……」
いちいち時嵩の発言が衝撃的すぎて理解するのに少し時間がかかる。左近大夫が変死して、それが時嵩の耳に入ったのだ。そして、彼は昨夜の一件を知っているから、人為的なものを感じたようだ。文官と武官の差はあるが、同じ官人だ。そして、時嵩はそもそも、二年ほど前までは兵部卿宮だった。
「……すまん、急に変なことを言ったな。大丈夫か?」
「はい……」
那子が青ざめたので心配した時嵩が那子の手を握る。那子もぎゅっと握り返した。
「変死……って、どういう……?」
「……服毒死、と判断されたようだ」
どうやら、武官の人事をつかさどる兵部省が調査を行い、さらに呪殺を疑われて陰陽寮まで出てきたそうだ。陰陽道は中務省の管轄なので、時嵩の思惑が絡んでいる可能性もあるが。
「今のところ、呪殺の証拠は出ていない」
「そう、ですか」
那子のせいではない、ということを言いたいのだろうと思った。那子は呪詛返しのように生霊を返したわけではないが、力にものを言わせて引き下がらせた。その影響がないとは言い切れない。
「あの~、姫様」
そろそろと顔を出したのはなずなだ。自分が沈んだ表情をしている自覚のある那子は、慌てて笑みを浮かべた。
「どうしたの?」
「あの、これ……」
なずなが差し出した文を受け取ったのは空木だ。空木は差出人を確かめ、「弘徽殿の女御様からです」と言って那子に差し出した。
「お姉様から?」
弘徽殿の女御たる姉の倭子は趣味の良い人だ。だから、こうした妹への手紙でも花を散らした和紙などを使ってくるが、今回はその辺にあるような普通の紙だった。直筆であるが、急いでいたのか字も乱れている。
中を開くと、白紙だった。
「?」
首をかしげながらも、那子はすっと紙の表面をなでる。那子の霊力に反応して文字が浮かび上がった。たまに那子と倭子のやり取りで使う方法であるが、大抵は普通の墨で文章が書いてあり、空いた場所に霊力に反応する文字が書かれている。今回はその余裕もなかったのだろうか。そう思いながら内容に目を通して、那子はざっと青ざめた。
「み、宮様」
差し出された文を受け取った時嵩は、一応那子に「見てもいいのか?」とたずねた。那子はこくこくうなずく。了承を得て文に目を通した時嵩は顔をしかめた。
内容は、簡単に言うと右大臣の邸宅の女房が一人亡くなった、というものだ。そんな内容をわざわざ、という思いと、昨日現れた女房の生霊が、右大臣の娘の女房だったことと何か関係があるのか、という思いが入り乱れる。
「これ……やっぱり」
「直接確認を取ったわけではないから何とも言えないが、可能性はあるな」
右大臣家の姫の女房は、「法師に言われたのだ」と言っていた。その法師が、役に立たなくなった二人を始末した可能性がある。那子はぞっとして時嵩にしがみついた。彼の手が優しく那子の背をなでる。
「怖いなら、うちに来るか?」
「……えっ?」
不意の提案に、まじまじと時嵩を見上げる。提案した張本人であるはずの時嵩も驚いた表情をしていて、勢いで言ってしまったことがわかる。那子はぱちぱちと何度か瞬きして、言った。
「妻になるわけではありませんよ?」
自分で言って、そうではないな、と思った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
最後はちょっと短めでした。




