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こんなにも愛している【陸】










 頭中将は職場での上司だった。同い年ではあるが、家の家格がまるで違う。雲の上の人だ。


 だが、同い年の上司は明朗で面倒見の良い男だった。同性にも人気が高く、慕われている。身分もあって性格もよく、教養もある。おまけに顔もよい。これだけそろっていれば恨まれることもあるが、上司はからりとしていて気にしない。


 上司は年の近い者たちを邸に呼び、宴を開いてくれることがある。この間は管弦の催しが開かれた。


 実を言うと、それほど雅楽が得意ではなかった。上司の頭中将はもちろん、他の参加者も見事な龍笛や琵琶を披露したが、自分は途中で音を外し、一度乱れると戻れなくて赤面したものだ。多少不得手なものがあったほうが親しみやすかろう、と頭中将は擁護してくれたが、他の参加者たちには裏で笑われていることはわかっていた。


 そんな時だった。頭中将の北の方が引っ張るように琵琶を演奏してくれた。合わせることになって緊張したが、わかっている、と言うように気にかけて引っ張ってくれた。これほど演奏しやすかったことはない。後で北の方のほうが合わせてくれたのだと気づいた。普通、身分ある人の妻は、こういった場所に出てこない。裏で差配をしていても、表には出てこないものだ。


 なのに、自分を気にかけて、あまつさえ助けてくれた。いたく感動した。北の方が下がるとき、下げられた御簾の隙間からその凛とした横顔が見えた。内親王にふさわしい気品のある女性だった。


 この時、恋に落ちたのだ。











「……すず。五十鈴! 那子!」


 真名を呼ばれて、那子ははっと目を覚ました。小声だが鋭く那子を呼んだのは、もちろん時嵩だ。本当に一夜を共にしてしまった。ただの添い寝だけど。


「寝言を言っていたぞ。覚えているか?」

「……夢を見ていた気がします」

「つまり、覚えていないんだな」


 ため息をついた時嵩は寝起きには見えなかった。いや、寝起きと言えばそうなのだが、那子より先に起きていたのだろう。那子は寝起きのけだるい体を起こした。


「何を言っていましたか?」

「優しくしてもらったのだ、と言っていた」

「ああ……」


 内容は全く思い出せないが、那子自身のことではないはずだ。時嵩が那子の記憶を見るために夢渡を行ったため、ほかの誰かと那子の夢殿がつながったのかもしれない。そう言うと、時嵩は「あり得るな」とうなずいた。


「大丈夫か? 調子の悪いところは?」

「いいえ。むしろ、それまではよく眠れていた気がします」


 暑くて寝苦しい日々だったのだが、今日はよく眠れた気がする。時嵩は疲れたように「そうか」とうなずいた。


「宮様、寝ていないんですか?」


 もしかして、と思って尋ねると、「そんなことはないが」と帰ってきた。


「お前の記憶を見るのに、私も隣で寝ていたからな」


 それは横になっていた、と言う意味ではなく? 文字通り寝ていたのだろうか。聞いてみたかったがさすがに突っ込みすぎかと思ってやめておいた。


「わたくしの記憶、見ることができましたか?」

「ああ。相手がわかったと思う」


 おお、さすがだ。この時点で、那子はこの件は時嵩に投げてしまおうと思っていた。どちらにしろ、男性が相手では那子は前に出られない。


 時嵩の手が延ばされる。なでるように頬に触れられた。そのままふにふにと頬をつままれる。那子はきょとんと首を傾げる。しばらくそうしていた時嵩だが、手を降ろすと言った。


「私はこれから出仕してくる。相手を確認し、必要なら脅し、もとい、説得してみよう」

「言い替える必要はありました?」


 中書王で親王である時嵩に『説得』されれば、それはもはや脅しだ。頭中将も一緒だろうから、とんでもない圧力になる。


「逆恨みされないようにお気を付けくださいね」

「そうだな」


 肩をすくめた時嵩は、那子の頭をひとなですると、自分が与えられた局に戻っていった。那子も連れてきた空木を呼んで身支度を整えると、浩子の様子を見に行った。


「ここ最近で一番調子がよいと思います」


 そう言って朝からにっこり笑った浩子の顔色は、確かに那子が見た中で一番よかった。少なくとも言っていることに嘘はなさそうだと判断した。


「昨夜の祈祷が効いたのですね。よかったです」

「五十鈴様も助けてくださったと聞きました。ありがとうございます」

「いいえ」


 大したことはしていないので、那子は少し肩をすくめるにとどめる。女房達にも頭を下げられて居心地が悪い。確かに追い払ったけれど、他には何もしていないのに。


「五十鈴様はお邸にお戻りになるの?」

「はい。調べたいこともございますので」

「このままこちらにいらしていただくことはできないのですか?」


 年かさの女房が懇願するように那子に言った。女王である那子になかなか図々しい物言いだが、主である浩子は内親王であるし、女房として主のことを考えるなら不自然な主張ではなかった。だが、那子のことを強制的にとどめることもできないはずだ。


「おやめなさい。わたくしは大丈夫です。それに、土御門にとどめては宮様の怒りを買いますよ」


 那子が口を開く前に浩子がたしなめた。女王の那子よりも親王として権力を持っている時嵩の方が現実味があるのだろう。申し訳ありません、と引き下がった。


「いえ。また何かございますれば、お呼びくださいませ」


 微笑んで土御門殿を退出することにする。待たせていた牛車に乗り込んだ。


「宮様はすでに内裏へ向かっております」

「知ってるわよ」


 先に牛車に乗り込んでいた空木にそう報告され、那子はうなずいた。知っている。那子も時嵩から直々に聞いている。頭中将もそうだが、朝議に出るために朝早くに出立したはずだ。


 那子は二条の自邸に帰る。確かめたいことがあるのだ。土御門殿はしばらくは結界の浄化能力が効いているはずだから、一日程度なら大丈夫だ。そも、精神的圧力をかけてくる以外は影響力がないはずだ。


 にしても暑い。土御門殿も二条の邸も敷地内に水を通しているが、それでも限界があるというものだ。今が一番暑い時期で、これを乗り切れば多少過ごしやすくなる、はず。


 自分の邸に返ってきた那子は、まず屋敷の全体を見て回った。と言っても、暑い中外に出る気にはなれなかったので、建物の中だけだ。


「姫様が元気になられたようで、ようございました」


 にこにこと女房達が言うが、別に元気がなかったわけではないし、暑いのは変わらない。事実、那子は日が暮れる前に暑さで伸びた。


「うう……そろそろ雨が降るかしら……」


 陰陽寮が天気を占っているはずだから、時嵩に聞けばわかるだろうか。事実、このまま晴天が続くと川が干上がってしまう危険性がある。陰陽寮も雨乞いをしていると思うが。


「姫様が祈れば降るのではありませんか」

「どうかしら」


 試したことはないが、できるかもしれない。那子は霊力が高い。巫女としての素養もあるので、祈りが届く可能性はある。とはいえ、やってみるつもりはない。準備が大変なので。


 日が暮れても暑い。というか、日が長いので眠るくらいの時間になっても暑さが残っている。暑いが、那子は寝支度をして自分の局にこもった。


 ひとまず褥に横になり寝たふりをするが、もちろんふりなので眠れない。結局むくりと起き上がった。


 ……来ない。いろいろと、来ない。せっかく自分の邸に帰ってきたのに、意味は。わざわざ結界も緩めたのに、狙ったものは入ってこなかった。


「別の方法を考えるしかないかしら」

「何がだ?」


 独り言に返ってきた返事に、那子は笑みを浮かべて振り返った。振り返り切る前に背後から抱きしめられた。









ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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