後宮の怪異【弐】
最後に会った時、五十鈴は八歳だった。時の帝が亡くなり、任を解かれた当時の伊勢の斎宮の代わりに選出されたのが彼女だった。それから七年、先帝の斎宮として彼女は伊勢で暮らした。一年ほど前に帝が代替わりしたために、任を解かれて戻ってきたのだ。今は別の皇族女性が斎宮に任じられている。
つまり、別れてから八年が経過しているわけで、今彼女は十六歳のはずだ。女童だった五十鈴も大人びた。夜なのでよくは見えないが、輪郭にはもう子供らしさはないし、座っていても背が伸びたのがわかる。面影はそのままに美しい大人の女性になっていた。
「……お前は変わらんな」
八年ぶりの再会で、こちらは緊張したというのに。八年ぶりである、と言うことだけが理由ではないが。きょとんと眼をしばたたかせた五十鈴は少しむくれる。
「そうですか? 裳着も済ませましたし、立派な大人の女になりましたよ」
と、胸を張るしぐさが子供っぽいのだが。
「そういうのなら、家族でもない男にむやみに顔を見せるな」
一応親戚ではあるが、時嵩と五十鈴は家族ではない。たとえ一緒に育てられたことがあったとしても、家族ではないのだ。
「ええ……でも宮様ですし。家族みたいなものではありませんか?」
「お前の品性が疑われるという話だ」
「普段はちゃんとしていますよ。品性を疑われるのはわたくしだけではなく、お姉様もですから」
「相変わらず仲がいいようで何よりだが」
弘徽殿の女御は五十鈴が伊勢にいる間に帝と結婚している。帝がまだ東宮だった時の話だ。母親も違うのだが、仲の良い姉妹だと思う。
「よいですよ。宮様にもお会いできてよかったです。もしかして会えるかもしれないとは思っていたのですが」
にこにこ。緊張していた自分が馬鹿らしくなるほど、五十鈴は朗らかだ。時嵩は思い悩むのはやめて一度息を吐くと尋ねた。
「それで、五十鈴。何を見ていた」
それを訪ねた途端に、彼女の顔がすっと引き締まった。甘えたような表情と声音が引っ込み、落ち着いた冷静な声に変った。
「わたくしの霊視能力はおそらく、宮様のものよりも弱いと思いますが」
「かまわん」
見るだけではなく、感じる力もあるのだ。それに、五十鈴が『視える』のは確かなのだ。
「そうですね。綾綺殿や温明殿のある方を見ていました。わたくしには何が見える、と言うわけではないのですが……瘴気のような、黒い靄のようなものが見える気がして。概念的なものの可能性もありますが」
「……なるほど」
時嵩が違和感を覚える方向も、証言があった方向も、綾綺殿の方だ。このあたりに何かあるのは間違いない。
「綾綺殿と温明殿、どちらだと思う?」
「……難しいですね。綾綺殿は必要な時しか使いませんし、何かあるかもしれない、とも思います。ですが、温明殿は内侍所ですよね」
内裏女房達の仕事場である。綾綺殿は行事の際に控えの間や更衣の場として使われるが、温明殿は内裏女房の控えの間があり、そして何より、三種の神器がある。
「……確かにそうだが、あそこには神器がある。そうそう何かが入り込めるとは思えないんだが」
「何かが入り込むことと、怪異が存在するのは別の話だと思いますけれど。内裏、大内裏には結界が張られていますが、それはすべての怪異の進入を防ぐものではありませんもの」
「そうなのか?」
時嵩が驚いて見せると、逆に五十鈴に「ご存じなかったのですか」と驚かれた。時嵩は首を左右に振る。
「私はそれなりに知識もあるし、破邪の力もあるが、そう言った結界術や占術についてはよく知らない」
人には得手不得手があるのだ。時嵩にはそれらの才能がなかった、と言う話だ。
「わたくしが得意なので大丈夫ですね。結界術にもいろいろありますが、内裏に張られている結界は、魔の進入を防ぐものですわね。古の術であり、かなり強固ではありますが、欠点はございます」
「それは?」
「招かれると、簡単に侵入できる、ということです」
時嵩はまじまじと五十鈴を見た。半月が出ているとはいえ、夜で暗く、はっきりとは彼女の顔が見えない。
「……つまり、お前は、内裏の中の誰かが怪異を招き入れた、と言いたいのか?」
半分陰になっている中でも、彼女が肩をすくめたのが見えた。夜なので当然だが、彼女は夜着姿に打掛を羽織っているだけで、かなり薄着であるということに今気が付いた。
「可能性の一つです。結果的にそうなっただけかもしれませんし」
「……なるほど。大事なのは、結界があるからといって絶対に安全とは限らない、と言うことだな」
「そうですわね。賀茂神社だって、強固な結界がございましたが、伯母様は呪殺されております」
「……そうだな」
さらりと話題に出され、時嵩は少々動揺した。五十鈴の言う伯母様は、当時の賀茂の斎院で時嵩の面倒を見てくれた女性だ。八年前、五十鈴が斎宮に選出される前に亡くなっている。
この斎院がなくなった時に、時嵩は五十鈴に大人げないふるまいをした。九歳も年上の、当時すでに元服も済ませていた時嵩がとる態度ではなかったと猛省した。謝る前に、五十鈴は伊勢の斎宮に選出されて初斎院に入ってしまったため、それから初めての邂逅なのである。
それなのに五十鈴はけろりとしたものだ。理不尽だとわかっているが、時嵩はわずかに怒りを覚えた。だが、ここで八つ当たりをするわけにはいかないので、息を吐いて気を落ち着かせる。
「……五十鈴。お前さえよければ、協力しないか。私では後宮の詳しいこと調べられん」
五十鈴は首を傾げた後、「よろしいですよ」とあっさりと了承した。断られる可能性は低いと思っていたが、了承されてほっとする。
「わたくしでは、朝廷内のことがわかりませんもの。尚侍の君にもお話を聞きたかったのですけれど」
内侍所の長官である尚侍に、五十鈴は話を聞きたかったそうだが、内裏の女官である尚侍は、一年前まで伊勢の斎宮として同じく官職にあった女王相手とは言え、女御の妹である五十鈴には差しさわりのないことしか言わなかったらしい。
「それはそれで好感が持てますよね。どの妃に対しても中立公平、と言うことでしょう?」
だが、それでは五十鈴が話を聞けない。時嵩なら朝廷の官僚で、立場的には尚侍の君と同じ立場だ。五十鈴に言わなかったことも聞けるだろう。たとえ後から情報共有されるとわかっていても、身分差で話をしてくれる可能性が高い。
「承知した。代わりに、内裏内のことは任せてもいいか。私では下手に女御様の女房から話も聞けん」
「承りましたわ。まあ、動くのはわたくしではありませんけども」
ちょっとずれている五十鈴は、女房からの情報収集に向かないようだ。時嵩が思わず笑うと、彼女はむっとむくれた。
「どうせわたくしは人と話すのが苦手ですよ。適材適所と言うではありませんか」
「何も言っていないぞ。それに、私も苦手な方だから、そんなことを言わん」
得意なものに任せておけばいい、と言うのは賛成だ。子供のころから変わって居なくて少し安心しただけである。
「いや、お前は変わらないなと思って」
「変わっています! 大きくなりました!」
むくれて反論する様子が子供のころと変わっていないと思うのだが。時嵩は尚侍の君に話を聞くこと、殿舎の中を調べることを約束して、五十鈴と別れた。少し離れて振り返ると、五十鈴は簀子にまだいて、こちらに気づいて軽く手を振った。
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