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真名【玖】









「姫、改めて、田津を助けるために手を尽くしてくれて感謝する。臘月も、姫を助けてくれたな。ありがとう」


 改まった父の言葉に、那子はうなずいただけだったが、時嵩は「たまたまですよ」と肩をすくめた。


「それでも、助けられてよかった」


 思いのほか優しい声が那子に向けられて、那子はぐっと唇を引き結んだ。母があらあらと顔をのぞき込んでくる。


「だが、あまり危ない真似はするな」


 続いて小言が飛んできて一気に那子の機嫌は急降下した。


「だって、そこにいるのがわかっているのに、怖いからと逃すわけにはいかないではありませんか」

「そうじゃない。兄上に声をかけるとか、家人を連れて行くか、方法はあっただろう」

「とっさにそんな冷静な判断下せませんよ!」


 ふふっとすぐ隣から笑い声が聞こえた。袂で口元を押さえ、母が肩を震わせている。時嵩の手前、笑うのを我慢しているようだ。


「……話の腰を折るが、つまり、姫は外に宇治がいるということが分かったんだな? なぜだ?」

「探査用の結界を張る、と言ったではありませんか。霊力による接触がありましたもの」


 何をわかり切ったことを、思って応えると、質問した父は「確かに言ったが」と困惑気味に顎をさすった。


「ひとまず、お前の結界術が強力であることはわかった」


 宇治にも同じようなことを言われているし、確かに那子の結界術は強力だと思う。少なくとも、当代一のはずだ。


「いっそ、結界を張ってそこに引きこもればどうだ?」

「宮様、本気でおっしゃっています?」

「……いや、無理だな」


 那子の性格を理解していて結構だ。那子はじっとしていることなどできないと、自分でも思う。

 時嵩が一度大内裏へ行くと言うので、お開きになった。自分の房へ戻ると、茅子が駆け寄ってきた。


「お姉様」


 茅子の女房が「姫様」と追ってくるが、茅子は止まらず、そのまま那子に抱き着いた。


「よかった。大丈夫ですか? 朝からわたくし、動くなと言われて」

「ああ、そうね」


 今日は朝から那子が動き回っていたので、茅子は東対を動かないように言われていたようだ。確かに、術に巻き込まれては困るし、結果的に術師もやってきていたし、何なら時嵩も訪ねてきた。


「……田津、目覚めたんですのね」

「うん」


 その間にいろいろあったが、当初の目的は完遂していると言える。那子は首をかしげて茅子の顔を覗き込んだ。


「複雑?」

「……目覚めなければいいとまでは思っていません。お姉様が叱ってくださったのでしょ」

「女房から聞いたの?」


 那子が父や母、時嵩と話し合いをしている間に、誰かが茅子の元にまで報告に行ったらしい。動くな、と言われていたのなら、その命令を解除することも必要だ。


「たたいて叱るなんて、わたくし、思いつきませんでした」

「わたくしはこのお邸に住んでいるわけではないもの。茅子はやめた方がいいわ」


 那子が強く出られるのは、普段この邸におらず、田津と接することがほとんどないからだ。


「お姉様、顔に似合わず気が強いですわよね……ところでお姉様、香を変えました?」


 もっと軽やかな荷葉だったと思うのですけど、と言われ、思わず首を傾げた。香を変えた覚えはない。


「気のせいかしら」

「……中の君、宮様がいらしたからではございませんか?」


 那子についていた綾目に言われて、ああ、とうなずいた。多分、時嵩に抱きしめられたからだ。彼は黒方くろぼうの香りをまとっていた気がする。


「宮様って、東四条の? どういう状況だったの……」

「知らない方がいいと思うわ」


 那子は肩をすくめて茅子を引き離した。


「おなかがすいたわ。茅子、甘いものでも食べましょう」

「食べますけど……」


 納得いかないような表情だったが、茅子は深く聞かずに那子に押されるまま房に向かった。









 夏の夜は遅い。夕刻まで屋敷の結界と邪気払いを確認していた那子は簀子から月を見上げていた。月は忌むものであるという考えと同時に、愛でるものである、と言う考え方もある。今日は下弦の月だ。数日前、新月だった。


「……もしかして、新月の日だったのかしら」

「何がだ?」


 独り言に返事があって、さしもの那子もびくっとした。簀子を渡ってきた姿が細くとも強い月明かりに照らし出され、こわばらせていた肩の力を抜いた。


「宮様。こんな夜更けに、何の御用ですか」

「夜更けに男が女をおとなう理由など一つではないか」

「宮様でもそう言う冗談を言うのですねぇ」


 新しい発見だ。冗談を言うにしては声が真面目過ぎるし、真顔だ。時嵩は勝手に那子の隣に座り込む。


「日中の話を思い出して、お前が心配になって顔を見に来てしまった」

「邸にこもっている間は大丈夫だと思いますけれど」


 それに、那子自身は殿方二人の意見に懐疑的だ。そう言う考え方もある、と言うくらいで。法師陰陽師に興味を示されたのは事実であるので、気を付けはするが。


「なるほど。いっそ、私がお前を囲ってしまえばいいのか?」

「宮様、酔っておられます? というか、よくここまで入れましたね」

「女房が普通に案内してくれたが」

「わたくしの邸なら、たたき出しているところなのですけど」


 夜に何の連絡もなく那子の邸に来たら、よほどの用事がない限り追い返すだろう。だが、ここは父の邸だ。ここではどうやら、那子と時嵩がいい仲である、という茅子の思い込みが浸透しているようなので、通されてしまったらしい。


「それは怖い。気が強いな、お前は」

「……嫌になりましたか」


 那子は、時嵩の前では甘えて子供っぽく振る舞っている自覚がある。子供のころ遊んでくれて、優しくしてくれた時嵩に、親以上になついていた自覚があった。時嵩は再会した那子を子ども扱いしたが、那子も当時と変わらないように振る舞おうとしていたのだ。時嵩に嫌われるのは、怖い。


「嫌ではない。お前も裳着を済ませた女性なのだと気づかされただけだ」

「前からそう言っているではありませんか」


 むう、と頬を膨らませる。安心して、甘えが出てしまった。時嵩は笑って那子の頬をつつく。


「別に私には甘えてくれてかまわん。どちらでも、五十鈴は五十鈴だ」

「……はい」


 はにかんでうなずくと、那子は時嵩の膝を枕に横たわった。想定外な甘え方に、今度は時嵩がびくりとする。


「宮様が甘えてよい、と言ったのではありませんか」

「言ったが、お前はもう子供ではないんだぞ」

「わかってますよ」


 寝ころんだまま頬を膨らませる。時嵩が頭上でため息をついて那子の頭をなでた。遠慮なく甘えて頬を摺り寄せる。時嵩がびくっとした。


「なんですか?」

「いや……お前、もう大人の女性だと言うことをわかっているか?」

「宮様、前と言っていることが真逆ですけど」


 さんざん子ども扱いしていたのに、急に大人扱いされる。理不尽。


「どうせわたくしは子供ですよ。本当は一人で眠るのが怖くて妹のところに行こうとしたら、妹のところには婿殿が来ていて入れなくて疎外感を覚えているくらい子供ですよ」


 思いっきり拗ねていってみる。茅子のところに五位蔵人が来ているのは事実だ。昨日ほぼ丸一日邸を閉ざしていたので、妻の様子を見に来たのだろう。良い夫である。那子はさみしいけど。


「そうか。眠るまでついているから、大丈夫だぞ」


 軽く肩をたたかれて、那子は「はい」とうなずいた。素直に目を閉じる。いろいろあったので、疲れてはいるのだ。軽くたたいていた手はなでるしぐさに代わり、那子は口元に笑みを浮かべた。







「姫様。ご起床のお時間です」


 御帳の向こうから声をかけられて那子はゆっくりと目を開けた。いつも通り褥に横たわっているが、自分でここまで来た記憶がない。ゆるりと身を起こすと、声をかけた綾目が姿を見せた。


「もうずいぶんなお時間ですよ。起きてくださいませ」

「……起きてる」


 てきぱきと綾目に支度を手伝われながら、那子は尋ねた。


「宮様は?」

「夜中の内におかえりになりました。姫様を運んでくださったのですよ」

「あ、うん」


 今度お礼を言っておこう。というか、那子に褥まで行った記憶がないからそうだろうと思っていたが、やはり時嵩に運ばれたらしい。


「それと、こちらをお預かりしております」


 と差し出されたのは百合の花と文だった。思わずふふっと笑う。後朝の文みたい。色気より食い気な那子だが、女として多少のあこがれはあるのでちょっとうれしい。文の中身はあまりうかつな真似はしないように、とか、お小言だったが。


「百合は一輪挿しに。お父様のところへ行ってくるわ」


 身支度を終えてそう言ったが、その瞬間、ぐう、と腹が鳴った。


「……その前に、何か食べるわ」








ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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