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真名【捌】









 結界をものともせず入ってきた父は、几帳の向こうで時嵩と娘を交互に見て言った。いや、几帳越しなので那子のことは見えていないと思うが。


「いえ、密談はしていましたが」


 生真面目に時嵩が応えるので、父は「そうか?」と少し不思議そうだ。那子はあえて気に留めず、尋ねた。


「お父様。どうなさったのですか」

「……いや、姫が飛び出していったからな。様子を見に来た」


 どうやら、那子が時嵩と二人きりになっていることに思い当って様子を見に来たようだ。そう言えば、父も茅子の妄想に振り回されているのだった。


「それから、田津が目を覚ました。ありがとう。強引に連れてきてすまなかったな」


 すでに時嵩から聞いているが、那子は「そうですか」と少し肩をすくめる。几帳越しだから、見えていないけど。


「次からはもう少し穏便にしていただけると助かります」

「善処しよう」


 一応、無理やり連れてこられたことを主張してみたが、これは改善されなさそうな返答である。親子のやり取りに、時嵩が押し殺した声で笑う気配がした。


「いや、すまんな。邪魔をした。続けてくれ」

「というより、状況を確認したいのですけど」


 支度が済んだところに時嵩がやってきたため、そのまま話をしてしまったが、そもそも那子は田津の様子を見に行こうと思っていたのだ。


「私も同席して構わないだろうか」

「むしろ、いてほしいのですけど」


 時嵩が真剣な声音で言うので、那子も真剣に返した。那子に時嵩に父。三人いれば、なんとなく見えてくるものもあるだろう。そう思っただけだが、周りは違ったようだ。女房達から小さく声が上がったのが聞こえた。父が乱入してきたことで、那子の結界が解けていたのだ。


 三人で田津のいる西の対に向かうと、田津が大暴れしていた。いや、渡殿を歩いているときから声は聞こえていた。


「なんでだよ! 僕をこんな目に合わせたやつをやっつけてよ!」

「田津、心配しなくても大丈夫ですよ」


 母がおろおろしながら田津に言い聞かせている。その間にも、田津は癇癪を起したようにわめき散らした。


「なんだよ! 母上は僕がこんな目にあったのに心配じゃないの!?」

「そうではなくて……」


 その様子を見ながら、那子はなるほど、とうなずいた。これが甘やかされて育った生意気な子供。


「癇癪がひどいな」

「宮様は田津に会ったことがおありでない?」


 那子もそれほどかかわりがある方ではないが、時嵩もそうなのだろう。顔を見たことはある、と答えた。異母兄である父と仲が良いので、たまに邸を訪ねるくらいはしていただろうし、そうしていたら顔を見るのもわかる。


「田津、お前を助けてくれた冬宮と中の姫だ。お礼を申し上げろ」


 父も田津の側に膝をついてそう言ったが、田津は聞かなかった。


「助けたって、僕を危ない目に合わせたやつを倒せなかったやつだろ! 無能だ!」


 檜扇を広げて顔を隠していた那子だが、おもむろに檜扇を降ろすと、左手に持ち替えて空いた右手を振り上げた。


「五十鈴!」


 時嵩が咎めたが、一瞬間に合わない。那子の右手はぱしん、と田津の頬を叩いた。


 しん、とその場が静まり返る。那子自身もやってしまったな、と思ったが、腹立たしくて思いっきり手が出てしまった。


「最低限の礼儀も知らないの、お前は。助けてもらったらありがとう、でしょう。それとも何? あのまま眠ったままの方がよかったかしら」


 自分でもびっくりするくらい冷徹な声が出て、田津が涙目で震え始めた。背後で時嵩も驚いている気配がする。彼にとって那子はまだおっとりした女の子なのだ。


「な、な、僕は皇孫だぞ!」


 難しい言葉を知っているが、帝の孫だと言うのなら、母親も同じ兄弟である那子だってそうだ。


「わたくしもそうよ。それに、宮様はお父様の異母弟の親王様よ。礼節をもってご挨拶なさいな」

「ふ、那子。あまり厳しいことは……」


 いざと言うときは肝の据わっている母だが、今はどうしたらいいかわからないようだ。唯一の男児相手に、接し方がわからなかったのかもしれない。


「お母様。ここで礼儀をたたきこんでおかなければ、元服して出仕するようになった時、困るのは田津だと思いますけれど」

「……そうだな。姫の言う通りだ」


 動揺した母は那子を本名で呼んでいたが、さすがの父は那子を名で呼ばなかった。時嵩の目があることをわかっていたのもあるだろうが。


「田津、中の姫と冬宮にお礼を申し上げなさい」


 さすがに父に言われれば、田津もおとなしくなった。那子に叱責され涙目になりながら、小さな声で「ありがとうございました……」とつぶやくように言った。


「どういたしまして。目が覚めてよかったわね」

「私は大したことはしていないが、無事で何よりだ」


 遠慮して簀子縁に立っていた時嵩だが、母が顔を扇で隠したので、御簾の内側に入ってくる。那子も一応、礼儀として顔を隠した。


「それで、田津が目覚めたということは、真名は無事なのだな」

「その言い方が正しいのかはわかりませんが、真名を取り戻したために目を覚ますことができたのだと思います」


 父の疑問に、那子は落ち着いて答えた。田津の方は、見た限り問題なさそうだ。こんこんと眠っていただけだし、そのほかは邪気の影響などもない。


「宮様から見て、どうですか?」

「いや、私の目にも何も見えない」


 時嵩にもそう言われたので、場所を移すことにした。田津の無事を確認できたので、これ以上は彼に聞かせることはない。


「そう言えば、どうして東四条の宮様がこちらに?」


 場所を改めたところで、母が不思議そうに時嵩を見て言った。そう言えばそうだ、と那子も時嵩を見た。文を出そうとは思っていたが、彼女はまだ出していない。


「私が呼んだのだ。こんなに早く来てくれるとは思わなかったが」

「胸騒ぎがしたので」

「まあ」


 慣例的に母と那子は几帳の後ろにいるのだが、母が口元を押さえて那子をちらっと見た。大抵の女性はそうなのだが、母もそう言う話が好きなのだ。那子だって、自分のことでなければ楽しんだと思う。


「して、臘月。相手の術師を見たのだな?」

「はい。先ほど五十鈴にも言ったのですが、宇治重玄だと私は思います」

「あやつか……」

「どなたですの?」


 思いっきり顔をしかめたような声を出す父に、母が尋ねた。父は唸るような声で答える。


「姉上を呪殺した法師陰陽師だ。……と、言われている」

「お姉様……って、賀茂の斎院の?」

「そうだ。そんな気がしていたから、臘月に声をかけたんだが」


 最初は時嵩に声をかけるほどではないと言っていた父だが、どうやら昨夜のことで考えを改めたらしい。単純に、当時のことを知っている時嵩に意見を求めたかったのかもしれない。


「私よりも、五十鈴に興味を持っているように見えました」

「……姫、今日からこちらに住むか?」

「嫌ですよ。お母様たちまで巻き込んでしまうではありませんか」


 むくれて那子は言う。そこまで子供ではないし、家族を巻き込むのは嫌だ。それに。


「宮様がそうおっしゃるだけです。違うかもしれないではありませんか。霊力に関しては、わたくしよりも宮様の方が上なのですよ」

「そう言う問題ではないと思うが」


 時嵩がなんと言ったらいいか、と言うような少し困惑した様子で言った。少し間を置き、父が口を開く。


「……姫、お前は女性だ。女性には、男にはできないことができる。子をはらめる」

「……つまり?」


 聞くのが怖いが那子は先を促す。父は務めて淡々とした口調で答えた。


「臘月ほどではなくとも霊力の強いお前に、やはり霊力の強い子を産ませようとしているのかもしれない、と言うことだ」


 ぞわっと鳥肌が立って自分の体を抱きしめた。母が「殿!」と抗議の声をあげながら那子の背をさする。


「わかっている。可能性の話だ。だが、過去にそうした例はあるんだ。ありえなくはない」


 力を持つものが、同じく力を持つ後継者を得ようと、女に子を産ませる。確かに、ありえなくはない。霊力の強いものの子が強い霊力を持つとは限らないが、その選択をする理由はわかる。


「だから、姫は重々注意するように」

「……はい」


 返事をした声がらしくもなく震えていて、自分がどれほど衝撃を受けているか実感した。時嵩ではないが、那子は自分はそう言ったことと無縁だと、漠然と思っていたのだ。


「……五十鈴を狙っているにせよ、他に別の目的があるにせよ、今回は様子見でしょう。本格的に動き出す前に、相手の確定くらいはしておきたいところですが」

「陰陽師に占わせればよかろう」

「そうですね」


 陰陽寮は中務省の管轄だ。時嵩が命じれば済む。







ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


父は茅子の言ったことは正しかったと思っている。


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