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真名【陸】









 那子は呪符を確かめる。強力な呪符だ。持っているだけで心身に変調をきたすだろう。調べたい気もしたが、那子は軽く呪符を持った手を振ると、その手の中で呪符が燃え上がり、灰になって崩れた。花野が悲鳴を上げる。


「……姫、どうなったの?」


 怖がるように母に尋ねられ、那子は「危ない呪符だったから、燃やしたんです」と答える。呪符自体はただの紙である。


「……大丈夫なのね?」

「大丈夫ですよ」

「あなたも、田津も?」

「はい」


 しっかりとうなずいた那子はじりじりと後ずさる花野に視線を向けた。目が合う。


「眠りなさい」


 那子の暗示の力はそれほど強くないのだが、相手が動揺していたためにてきめんに効いた。ほかの女房達が、急に気を失って倒れた花野を見て悲鳴を上げる。こわごわと那子を見たが、母に命じられた。


「何をしているの。早く花野を運びなさい」

「は、はい……」


 こういう時の母は強い。こういうところが、母と那子はよく似ている、とよく言われる。いざと言うときに肝が据わっているというか。


「……それで、花野は何をしようとしていたのかしら」


 母に聞かれて、那子は口を開いた。


「呪符を使って、田津の真名を封じようとしたのではないでしょうか」


 呪符は封じの文言が書かれていた。おそらく、那子が五条の邸にいることに気づいた術師が揺さぶりをかけてきたのだ。


 那子は自分がそれほど活動に適していないことを知っている。自らの足で術師を探しに行くことができない。そもそも、彼女の能力は守る方に特化しているのだ。


「宮様を呼んだ方がいいかしら……」


 少なくとも、男で親王である時嵩なら、那子よりも活動範囲が広いはずだ。というか、氷を贈ってくれた礼状を書かなければ。この騒動ですっかり忘れていたが。


 とはいえ、那子の仕事は田津を起こすことだ。術者を捕まえるのは、それこそ検非違使や時嵩などに頼んでおけばいい。これ以上複雑な呪をかけられる前に田津を起こさなければ。


 清拭され、着替えさせられた田津の周囲に、儀式用の懐刀や鏡、勾玉を置く。そうこうしている間に、朝食を終えた母と、花野の処分を下していた父が合流した。


「どうするんだ?」


 興味深そうに父がのぞき込んでくる。母に「おやめなさいませ」と言われて、すぐに身を引いたが。


「田津の真名を縛っている箱を開けるのです。相手の術師との引っ張り合いですよ」


 いや、押し合いだろうか。那子の霊力は伯母や時嵩より弱いが、勝算はある。おそらく、田津はおとりなのだ。


 引っ張り出そうとしているのが、那子なのか時嵩なのか、わからないけど。


 那子の儀式は神式である。神に仕える斎宮だったのだから、当然と言えば当然だが。那子が持つ鈴を振ると、誰も触れていないのに飾られた榊が揺れた。動いた。わかっていたが、抵抗がある。だが、開けられないほどではない。


「お父様、お母様、呼びかけてください」


 祝詞を上げ終えると、那子はそう言った。両親が田津の名を呼ぶ。もちろん、呼び名の方であって真名ではないが、今、田津の真名の封じが緩んでいる。呼びかければ聞こえるはずだ。


 空気が揺れた。燭台の火が消え、立てていた榊が倒れ、壺から水があふれて床を濡らした。控えていた女房達が悲鳴を上げる。田津の体から見えない何かが飛び出し、門の外へ向かうのがわかった。那子の結界は外からの侵入はもちろん、中から出られなくしているものだ。田津から飛び出したものは結界にはじかれる。だが。


「っ!」


 那子は立ち上がると、そのまま駆け出した。重い袿を脱ぎ、軽装で門から外に飛び出した。背後から呼びかけられるが、無視した。


 門から飛び出た瞬間、右手から攻撃が飛んできた。とはいえ、那子がそれに気づいたのは、彼女の結界が攻撃を防いだからだった。攻撃した術師から舌打ちが聞こえた。


「結界術は大したものだな」


 男だった。三十代前半から半ばほどだろうか。少なくとも、時嵩よりは年上に見える。狩衣をまとい、手には呪符を持っている。どう考えてもこいつが術師だ。那子は田津の中から飛び出したものが自分の結界にはじかれるのを感じたが、同時に外にその飛び出したものと同じ霊力を感じた。


「さすがは、本物の斎宮と言ったところか。だが、お前では私に勝てない」


 決めつけられてむっとしたが、事実だ。そもそも、那子には攻撃する能力が低い。ならば、拘束するしかない。


「遅い!」


 次の攻撃でお守りがはじけとんだ。さらに攻撃が飛んできて、那子は声にならない悲鳴を上げた。


「五十鈴!」


 真名ではないとはいえ、外で大声で女性の名を呼ぶものではない、とツッコみを入れている場合ではない。那子は肩をつかまれて後ろに引っ張られた。倒れる前に背中がぶつかり、目の前で術による攻撃と攻撃がぶつかって、消滅した。術師が舌打ちする。


「冬宮様か。分が悪いので、失礼いたします」

「待て!」


 禁縛の術が目の前を通り過ぎるが、突然かかった霧が晴れると、術師どころか誰もいなかった。


「逃がしたか……」

「み、宮様」


 那子は自分を抱き込んでいる男を見上げる。時嵩だ。時嵩も、那子を見下ろした。


「ああ、すまない。大丈夫だったか?」

「は、はい」


 大丈夫かはわからないが、けがはない、と思う。自分の力とお守りが、那子を守った。


「姫様!」


 綾目が那子が脱ぎ捨てた袿を持って飛び出してきた。那子を抱えた時嵩を見て目を見開く。


「中書王様……」

「それは五十鈴のものか? 着せてやれ……お前、よく見たらはだしじゃないか!」

「あ」


 身をひねって足元を見ると、確かにはだしだった。草履をはいた覚えがないので、当たり前だが。平民だとはだしで出歩く者は多いが、貴族階級にはいない。ましてや、那子は皇族につらなる女王である。


 綾目に袿を羽織らされると、時嵩に抱え上げられた。慌てて彼の首に腕を回す。


「ぬるい湯を用意してやれ。足を洗った方がいいだろう」

「は、はい」


 綾目がうなずいて先に邸に戻っていく。時嵩は那子を抱えたまま門をくぐる。


「すみません……」


 さすがにしょんぼりして言うと、時嵩は「かまわん」と何でもないように言った。


「お前が存外、お転婆だと言うことを忘れていた」


 それはうんと小さいころ、庭を走り回って池に落ちたときのことを言っているのだろうか。九歳の年の差があるとはいえ、那子は子供のころの話を持ち出されてむっとする。


「昔よりは落ち着いています」

「どうだか」


 時嵩は苦笑して取り合わない。ひどい。那子はますますむくれた。









ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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