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真名【肆】







 そうしているうちに、聞き取りを終えた女房が戻ってきた。早蕨さわらびと呼ばれる彼女は、ちらりと茅子を見て、「よろしいですか」と那子に尋ねた。


「かまわないわ」


 茅子も口を挟まないが動く気はないようで干菓子をぱくついている。


 父と母が言っていた通り、賀茂祭当日、母は茅子と、田津は父と見物に出かけたそうだ。しばらくして、父は職務上の問題が起こったようで、牛車を下りた。


 その間に、別の牛車が隣につけたらしい。見晴らしが悪くなったことで、田津はその牛車に文句を言った。それだけならまだよかったのだが、扇を牛車に投げつけ、それが御簾にあたった。


 御簾は固定されていないので、扇が牛車の中に落ちた。当然と言えば当然なのだが、その牛車は父の所有するものよりも粗末だった。粗末だと言っても、田津が乗っているものと比べて、ということだ。普通に見れば立派な部類に入る。


 茅子の言う通り、甘やかされて育った田津が傲慢だったということだ。その牛車の持ち主の従者の一人が進み出た。


「な、なんだお前は! 割り込んできたのはお前だぞ!」

「あなたは五条の宮様のご子息でしょうか」

「見てわからないのか! 不敬だぞ!」


 その従者は「失礼しました」と言い、主に話をすると、そのある時からも謝罪があって、その牛車は移動していった。田津は自分の従者たちにも口止めし、それからほどなくして父が戻ってきたそうだ。ちなみに、父は五条に邸を構えていることから、五条の宮とも呼ばれる。


「うーん、その従者かな。その割り込んできた牛車と言うのは、どこの牛車なの?」

「家紋は藤の紋だったようですが……」

「該当者が多すぎるわね」


 牛車には家紋が書かれているものだ。父や母が乗っていた牛車にも描かれていたはずで、それを見れば身分がわかる。だから、身分の低いものは高いものを避けるものなのだ。ちなみに、父の家紋は桐の紋で、那子はこの父の桐の紋か、花菱紋を使う。花菱は伊勢の神職にあったためだ。ほかには、例えば時嵩は片喰だったと思う。


 どうしても、家紋が被る場合などもあり、該当者がなかなか見つからないこともある。今回はその場合だ。しかし、割り込んできたというその牛車が怪しい。


「……と言うか、その田津に口止めされた従者たちはどうなったの?」

「宮様に話を通しましたので、今頃処罰を受けているかと」

「そう」


 とはいえ、物理的に始末するか、そこまでしなくても今は邸から出せない。田津が起きない、と言う事実を外に広めないために。


「茅子の婿殿も、来られないかもしれないわね」

「そうなれば仕方がないわ」


 けろりと茅子は言った。彼女はこういうところがある。あっさりしているというか、こだわらないというか。


「お姉様はその従者が気になるのね。まあ、普通、従者がわたくしたちと直接口を利くはずがなわよね」

「そうよね……」


 多分、その従者と思しき男は人の心を操るすべを持っていたのではないだろうか。主の嫡男とはいえ、子供である田津の命令に従者たちが従ったのも気にかかる。父が知らなかったということは、誰も田津のこの狼藉を報告しなかったということだ。


「呪術の一種かしら。神がかりに近い? うーん……精神の方向を任意の方向に向けているのだと思うけど……」

「お姉様、何?」


 ぶつぶつとつぶやく那子に、茅子が眉を顰める。考えが口から洩れていたことに気づいた那子は、はっと袂で口元を覆った。


「ごめんなさい。考え事」

「それはわかるわ」


 肩をすくめて茅子は言った。那子は首をかしげると、近くに侍る早蕨を見た。


「早蕨、お父様に田津に同行した従者たちを見たいと伝えてくれる? 直接話せなくてもいいわ。話しているところに同席したい」

「承知いたしました」


 かなり妥協した提案だ。それがわかったのだろう。茅子は早蕨が立ち去ったのを見た後、「いいの?」と尋ねた。


「直接話した方がよいのではなかったの?」

「そうだけれど、わたくしだって立場はわきまえているわ。それに、必ずしも面と向かって話をしなければならないわけではないわ」


 少なくとも、那子は直接対面しなくても相手に暗示をかけることができる。こういうことは、伯母の志子が得意だったと記憶している。しかし、彼女に直接師事した時嵩は苦手な部類だ。おそらく、能力の方向性が違うだけだとは思うが。


 ほどなくして、早蕨が父の許可が下りた、と伝えに来た。もともと許可が下りる可能性が高いと思っていたが、思ったより早かった。よほど早く解決したいと見える。


 那子はさっそく父の元へ向かった。父とともに御簾越しに当日田津と共にいた従者たちを見ることになった。那子はもう少し近づきたかったのだが、さすがに許可されなかった。いや、那子も良しと言われるとは思っていなかった。言ってみただけだ。


 従者たちも、那子はともかく、この邸の主が見ていることをわかっており、話し方は緊張気味だ。さすがに、娘の那子が見ているとは思わないだろうが。


「先ほども、お話しした通りですが……」


 と家人相手に話し始める。全員が一言以上は話すように指示を出しているので、仕えて長い家人は順に話を振ってくれる。


「確かに……はい。何かを投げつけていたと思います……」

「止めようとする声はしていました」

「ですが、あちらの従者も非常識ではありませんか。直接話しかけてくるなんて」

「宮様の不在を狙ったようでしたし」


 もう、彼らは暇を出されることが決まっているので言いたい放題だ。少なくとも、彼らは父が処刑などするはずがない、と知っている。父の側に控える女房が腹立たし気な表情をしている。


「姫様の要望でなければ、こんな奴ら……!」


 でてるでてる。本音が出てる。那子も指摘しなかったが、父も無視することにしたようだ。那子に問いかけてくる。


「さて、どうだ?」

「現在は暗示などにかかっていないようですね」


 だから、詳細は伏せられても状況が知らされたのだろう。父は重々しくうなずき、引っかかりを覚えた部分を繰り返す。


「現在は?」

「あ、はい」


 思わぬところを突かれて、反射的にうなずく。引っかかる人はいないと思っていたが、父は気になったようだ。


「つまり、過去に暗示にかかっていた可能性もあるということだな」

「そうですね……お父様もご存じでしょうけど、その場合、大抵は残滓があるものです。けれど、そう言った様子が見られません。つまり、本当に暗示にかかっていないか、かけても痕跡を残さないほどの優れた術者が相手か……どちらかです」

「うむ……」


 個人的には前者であってほしいが、おそらく後者だ。父もそう思ったのだろう。難しい顔になった。


「残滓があれば、そこから術者を探ることも不可能ではないのですけどね」

「うむ……」


 今日の父は会話のほとんどが「うむ」のような気がする。


 術者をたたく方法が使えないなら、やはり田津本人を起こした方が早い。話を聞いた従者たちは解放し、那子も東の対に戻る。興味津々の茅子が待っていた。







ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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