後宮の怪異【壱】
新連載です。よろしくお願いします。
なんちゃって平安時代ですので、薄目で見ていただけると…。
京の都は内裏。今は使われていない藤壺のあたりから弘徽殿の方を見た時嵩は、数人の華やかな装いの女性が渡殿を通って弘徽殿に入っていくのを見た。今、弘徽殿にいる女御は弾正尹宮の娘だ。
「ああ……そういえば今日でしたね。弘徽殿の女御様の妹姫がいらっしゃるの。しばらく滞在なさるそうですよ」
「……そうか」
時嵩は侍従の話にうなずいた。そういえば、そんな話を聞いた気がした。弘徽殿の女御の妹姫と言えば、先ごろ五位蔵人と結婚したはずだ。これは弘徽殿の女御の父親から聞いたので間違いない。それなのに姉の求めに応じて内裏に参じたのか、と思っていると、見覚えのある横顔が見えた。身分の高い女性は扇などで顔を隠しているが、少し離れている時嵩たちには注意を払っていなかったようだ。
「さすがは弘徽殿の女御様の妹姫。美しい方ですね」
垣間見えた顔に侍従の少年はまじめくさって言った。それには同意できるので、うなずいておく。
「それで、お前は私を呼びに来たのではないのか?」
「はい。宮様、主上がお呼びです」
案内を受けて、帝の昼御座に入った。書き物をしていた帝が、侍従の声に反応して顔を上げる。招き入れられた時嵩は「出直しますか」と問うが、帝は苦笑して手招きした。
「来い。早めに話をしておきたいのでな」
廂から中に招かれたため、密談をするように近くへ侍る。
帝は今年十九歳で、時嵩より六歳年下になる。関係性としては甥と叔父で、帝の父親が、時嵩の同母の兄にあたるのだ。つまり、時嵩は先々帝の息子で、親王にあたる。中務卿を任じられていることから、中書王と呼ばれることが多いだろうか。
「耳に入っていると思うが、弘徽殿の妹が来ている」
「先ほど、お見掛けいたしました」
「そうか」
帝はうなずくと、話を続けた。
「では、参内した理由は聞いているか?」
その質問に、時嵩は何と答えたものか少し悩む。悩んでから、言った。
「……参内された理由としては聞いておりませんが、官吏たちからの話は耳に入っております。内裏で怪異が起こるそうですね」
「相変わらず耳が早いな」
耳が早いわけではなく、様々な情報が時嵩の耳に入ってくる仕組みになっているのだ。中務省は主に宮中事務等を掌握している。基本的に四品以上の親王がその長たる中務卿に着くことが多いが、名前だけのことが多い。だが、時嵩はそうではない。彼は実務をちゃんと掌握しているし、報告が上がってくる。下から吸い上げた情報が、時嵩の耳に届くようになっている。なお、親王が中務卿に任じられると、中書王と呼ばれる。
「怪異が起こる、と言っても、決定的な何かがあったわけではないのだ」
最初に違和感を覚えたのは麗景殿の女房達らしい。夜、自分しかいない局に影が映る。うめき声が聞こえる。側に何かがいる気配がする。朝起きたら、仕舞っていたはずの袿がすべて外に出ている……などだ。
気のせいかもしれないし、自分でやったことを忘れているのかもしれない。誰かがこっそり侵入してきたのかもしれない。怪異のせいと決めつけるのは早計だ。
宮中事務を掌握している中務卿の時嵩には、その顛末が報告されていた。陰陽寮に占と修祓を頼んだことも聞き及んでいる。
麗景殿だけの訴えであればそこだけで完結したのだが、そうはならなかった。今、後宮には今、三人の女御がいる。弘徽殿、麗景殿、宣耀殿の三つの殿舎に女御が入っている。
尤も格式の高いと言われる弘徽殿に一品親王、弾正尹宮の娘、麗景殿に左大臣の娘。宣耀殿に大納言の娘。宣耀殿の女御は、右大臣が後援している面もある。なお、皇后不在であるが、そろそろ弘徽殿の女御が中宮になるのではないか、と言われている。
その話はおいておき、怪異の件である。最初に異変を確認したのは、先も述べた通り麗景殿の女房だ。綾綺殿、温明殿の方からうめき声のようなものが聞こえてきたという。この時は、彼女らも聞き間違いかなにかだろう、とさほど気に留めなかったようだ。
だが、異変は変化し、現象は大きくなっていった。頻繁に影が現れ、唸り声が大きくなる。さらに、そばを何かが通っていく気配がする。影どころではなく、何か獣のようなものが駆けていくのを目撃した……。そこまで来たら、帝としても介入せざるを得ない。内裏は帝の座所でもあるのだ。
だが、帝が動く前に麗景殿の女御の父、左大臣が動いた。寺の僧侶などを招いて修祓を行ったのだ。対抗するように、宣耀殿の女御の後見をしている右大臣が陰陽師などを招いて加持祈祷を行った。一歩出遅れたが、帝は陰陽寮や尚侍に調査を命じている。そして、調査を命じられた一つが、中務省である。
さて。麗景殿と宣耀殿が僧侶や陰陽師を招いたというのなら、弘徽殿も何もしないわけにはいかない。弘徽殿の女御もその父の弾正尹宮も大らかな質で、そう言ったことを気にしないが、何事も外聞があるのだ。
そこで、招かれたのが弘徽殿の女御の妹なのだ。なぜ妹、と思わないではないが、弾正尹宮の傍流皇族は、異能者を多く輩出しているのだ。
「なので、妹と言っても、三の君ではなく、前斎宮の君が狙いだな」
「なるほど……」
三の君が先日、五位蔵人と結婚した娘だ。前斎宮の君は、その姉にあたる。呼び方の通り、先帝の御代の伊勢の斎宮だった女性だ。と言っても、彼女が斎宮に選ばれたとき、彼女は八歳だった。
斎宮は卜占で選ばれる。選ばれる基準はよくわからないが、少なくとも、前斎宮の君は本物の力を持つ斎宮だった。斎宮に選ばれた時点で、一つ未来を予知していたことを時嵩は知っている。
前斎宮の宮は『視える』人だ。鬼見の才能がある。破魔の力があるかまではわからないが、少なくとも原因がわかるだろうと呼び出したのだろう。しかも、帝の口ぶりからすると、姉の弘徽殿の女御に呼ばれたというのは建前で、帝が呼び出したようだ。
「協力しろとは言わんが、対立はするなよ。私はお前と前斎宮の君の正面衝突など見たくないぞ」
「異能対決なら、あちらに分があるでしょうが」
「だから、対立するなって」
時嵩と前斎宮の宮では能力の方向性が違うので、一概に対決にはならないだろう。そう。時嵩も『視える』人だった。
「承知しております。私の方でも、調べてみましょう」
「頼む」
時嵩が前斎宮の君と直接協力できなくても、帝まで奏上すれば、少なくとも帝が情報を突き合わせることができるはずだ。
「私としては、旧交を温めるのもまた一興と思うが」
帝にからかうように言われたが、聞こえなかったふりをして退出した。時嵩はこれまでに集まっている調査結果を確認し、夜を待った。今日は宿直ではないが、上から数えた方が早い身分の時嵩に文句を言う人間はいまい。それに、内裏の女房との逢瀬のために夜出入りする男はそれなりにいるので、時嵩がいたところでさほど目立つまい。
ひとまず、綾綺殿のあたりを確認してみようと、紫宸殿のあたりから綾綺殿に向かう。渡殿があるので回り込まなければならないが、むしろ周囲の状況を見たいのでそれでよいのだ。ぐるりと梨壺から回り込んだ時、弘徽殿と承香殿の間の簀子縁に人影を見た。女性だ。夜なので寝る支度をしていたのだろう、やや軽装に見える。
「……五十鈴?」
つぶやきが聞こえたわけではないだろうに、その人影はこちらを見たのがわかった。頭の動きが見えたのだ。顔の角度が変わって半月が女性の顔を照らした。
「まあ、宮様!」
読唇術の心得はないし、距離があるので読み取れないが、そんな感じで手を振られた。時嵩は一度紫宸殿の方へ回り、清涼殿を通って弘徽殿へ向かった。庭から入ったので、見上げることになる。弘徽殿の細殿には簀子がないので、彼女は濡れ縁に座り込んでいた。
「やっぱり宮様! お久しぶりです」
「……久しいな、五十鈴」
にこにこと笑う彼女に苦笑しながら、時嵩も挨拶を返した。五十鈴は幼名だ。彼女が帝が呼び寄せた弘徽殿の女御の妹、前斎宮の君である。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
そんなわけでなんちゃって平安時代(怪異あり)です。なんとなーく調べてはいますが、勢いで書いているのでおかしいところも多々あると思います。
とりあえず、弾正尹である親王は弾正尹宮、中務卿の親王は中書王でいいのかな…。