理想とは遠い関係性
その一言が、相手の怒りを買う、核心とも呼べる部分に踏み込んだ事がジェフリーにもはっきりとわかった。
勝手に鳥肌が立つようなヒリついた空気。
異母弟とは違い、武術に秀でたわけでも、戦場に出たこともないジェフリーだが、今自分が感じているものが息苦しいほどの殺気だということは理解できた。
玄関ホールで公爵が暴れていたのとは全く違う。ここから一歩でも間違えば確実に自分は死ぬだろうと想像ができてしまう、そんな恐ろしさ。
何ものっていない、無表情なディアナから発せられる空気に、ジェフリーは畏怖を抱いている。
-やはり彼女にとっての弱味は、自らが慕うブライアンのことか。確信はしていたとは言え、これは親子で形は違えど狂信の域だな。
先ほどの言葉を言う前と後で、表情はもちろん、体制は何も変わらないのに、先程までとは全く別の人間と対峙しているようにジェフリーには思えた。
意識して息をゆっくりと吐き出し、表情を保ちながら、口角を上げる。
「何か気に障ったかな?」
「いえ、意外だっただけですわ。貴方様が自ら戴冠なされるのに、その隣に旗印を求められるなんて。ブルフェンを変革するとおっしゃりながら、自らの力でそれを成す自信がありませんの?」
「いいや、強硬な手段取ればできなくはないさ。ただ俺は、このブルフェンという国においてはあまり支持を集めにくい人間だと理解している。最善を求めるのであれば、やはり皆が納得する旗印を隣に求めるのは悪いことじゃないだろう?」
-自分で言うのもあれだが。このブルフェンという国は実に歪で、厄介なことだ。
ブルフェン王国は、前の王国に対しクーデターを起こした英雄レオナルドに賛同した者たちによって作られた国なのもあり、ブルフェン国民は「英雄王」や「ブルフェンの血筋」に強いこだわりを持つ者が多い。
加えて王国の貴族の大半は騎士の気質が強く、武に優れたものに従い敬意を示す傾向がある。
ジェフリーは、ブルフェン王国の王族、高位貴族の色濃い血統の王子ではあるが、どんなに鍛えてもあまり筋肉はつかず、武術は人並み。
さらには語り継がれている英雄王精悍で力強い容姿とは違う、異国の御伽話に出てきそうな王子様のような優美な外見は、ブルフェン王国の各家の当主からは好感を集めづらくもあった。
-エヴァンズ侯爵たちは、ただ俺がエヴァンズの血を引いているから俺を支持しているだけだしな。
冷静に己の支持の薄さを改めて分析しながら、ディアナの出方を静かに観察する。
「…私が了承しなければ、ブライアン様をということですが。その時は辺境伯夫人を暗殺でもなさるおつもりですか?貴方様にそのような用向きの部隊があるとは思えませんが」
「面白い事を言うね。俺はもうただの王族ではなく王太子だ。王太子には王家の影への命令権があること、君が知らないわけがないだろう」
「…彼の方を狂わせるおつもりですか」
「狂おうが構わない。最悪アイツは玉座に座っているだけでいい。それだけアイツのこの国でのカリスマ性は底知れない。もしかしたら君にとってはそっちの方が都合がいいんじゃないか?狂ったとしても、アイツを君主と崇め、その隣に座ることができるかも知れない」
そのジェフリーの言葉に、ディアナは初めてあからさまに眉を顰めた。基本感情を露わにしない彼女にとって、不快感を隠しもしない、できないほどの発言だったのであろう。
そんな様子を観察しつつ、ジェフリーは彼女の中にあるボーダーラインを探っていく。
「それはあの方の望みではありません」
「だろうな。だが、そうなると道は一つだろ」
-揺さぶってみたが、あくまでも大事なのはブライアンの決定や幸福か。献身的と言えば聞こえがいいが、慕う相手が自分以外の相手と居てもなお幸せを願うとは…全く理解できない。
お人好しとも違う、自分では決して持ち合わせないディアナの価値観、執着を、ジェフリーは内心嘲笑う。
「グリーンフィールド公爵令嬢、貴女は賢い。俺の言葉が全て本気だと気がついているはずだ。もちろん、俺が貴女の価値を"正しく"理解していることも。別に俺の伴侶となり、俺に誠心誠意尽くせとは言わない。俺の妃として隣に立つなら、貴女の敬愛するブライアンと、このブルフェンのためにこの国の持てる力を好きに使ってくれて構わない。その代わり俺の治世の片棒を担いでもいたい」
ジェフリーは伴侶となる、共に道を歩む相手に耳障りのいい嘘は必要ないと考えている。だからこそ提示するのは紛れもない本音と真実。そして彼女は感情ではなく理性で動く気位の高い女性だとわかっているこその発言でもあった。
ゆっくりと瞼を閉じ、静かに再び視線を合わせたディアナは口を開いた。
「他に選択肢を与えないのにその言い様、意地が悪いですわね。不本意ですが、殿下のお申し出、謹んでお受けいたしますわ。改めて、書面での通達をお願いいたしますわ」
ディアナから望んでいた答えを引き出し、ジェフリーは満足気に笑みを深めた。
「なんとかなったな」
グリーンフィールド公爵邸を後にする馬車の中で、ジェフリーはあっけらかんとそう言い放った。
足を組み、タイを緩め、寛ぐその姿は何処か普段の不遜な雰囲気より、子供っぽい印象を抱かせる。
側付きでありながら、話し相手として無理やり同じ車内に乗せられたヨハンが、主人のそんな言動に緩く首を振り、深いため息をついた。
「どこをどう見たらあれをなんとかなったで済ませられるのですか?あんな失礼な物言いに脅すような求婚、あり得ませんし、普通のご令嬢なら泣きますよ」
「俺だって普通のご令嬢相手にはあんなことしないさ」
「だからって普通しないですよ。もう、勘弁してくださいよ。私は胃が痛くて痛くて」
「いい加減その肝の小ささなんとかしろ。ただでさえブライアンとその周辺抜けて味方が少ないんだ。いつまでも情けない面されてたんじゃ何もさせられない」
「味方少ない自覚あるなら、敵を増やすようなそのコミュニケーションの取り方やめてくださいよ。しかも、ディアナ嬢は貴方の妃になる人でしょう?不仲の種をわざわざばら撒く必要どこにあるんですか」
「…他の男に傾倒している女を口説けとでも言うのか。馬鹿らしい」
ジェフリーはヨハンの話を一掃するように小さく鼻で笑った。
王家の人間として生まれ、ゆくゆくは国益の為に婚姻を結ぶ必要があることはジェフリーも理解していた。
そして王太子となった今、自分の妃に選ぶのであればディアナが最善であることもわかっていた。だが、だからと言って、ジェフリーの中に自分の伴侶への理想が全くないわけではなかった。
少なくとも自分以外の男に全てを崇拝の域まで恋慕っている女性など、願い下げであった。
そういう女はいくら賢くても一時の感情で自ら破壊の道を歩むことを、ジェフリーは嫌というほど知っている。
-そう、俺の母やあの人のようにな。
「その地位を望まぬ人間を無理やり妃に据えるんだ。せめて、真実を伝えるのは最低限の誠意だろ。だから嘘はつかなかった。それだけだ」
ジェフリーは不貞腐れたように馬車の窓の外へと視線を流した。
そんな彼の様子にヨハンはまた深くため息を吐き出す。
「貴方の優しさや誠意は本当に素直じゃありませんね」
ヨハンの言葉を無視し、ジェフリーは窓の外の街並みを眺め、考える。
-俺の目指す治世のための駒として、グリーンフィールド公爵令嬢は必須ではあったが、果たして本当に彼女で良かったのか。
ジェフリーの脳裏に思い出されるのは仮面のような微笑みを貼り付けた、人間味のない女の顔だ。
異母弟から事前に聞いていた話や、集めた情報、今までの事実から彼女がブライアンへの忠誠という点では信用に足る人物であるとジェフリーは評価していた。
だが、直接顔を合わせ、ある程度本音を引き出し話したことで不安が浮かんだ。
-あまりにも彼女は、人間味がなさすぎる。
次世代の英雄王のために作られた人形という言葉が似合うほどに、ディアナの言動の主軸は全て己が主人のことであり、そこに彼女個人の感情や意思が乗っかっていない。
感情はあってもそれは、あくまでも主人であり好いた男に与える影響に対するリアクションに過ぎない。
「自分の意思で生きない人間ほど、愚かで脆弱なものはない」
自身の持論を無意識に呟きながら、ジェフリーは眉を顰める。
-今更、己の人格を形成している依存先を変えるとは思わないが、やはり警戒は続けるべきなのだろうな。
自分が仄かにして憧れていた夫婦像からはかけ離れた関係性を築くであろう未来に、ジェフリーは眉の皺をより濃くした。
「本当にブライの奴、自分だけ欲しいものを全て持ってきやがって。恨むぞ」
ジェフリーは舌打ちをしながら、遠い辺境の地にいる異母弟に恨み言を呟いた。
その翌日、グリーンフィールド公爵家に王家から、ディアナをジェフリー王太子の婚約者として選定したことが正式に通達され、グリーフィールド公爵家はこれを受諾した。
それと同時に、現グリーンフィールド公爵家の健康状態を理由とする引退も公表され、後任はグリーフィールド公爵家の分家筋から選出されること、それまでは娘のディアナが当主代理として全権を管理することが発表された。