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招かれざる客

 まだ温まりきらない朝方の張り詰めた空気の名残を感じながら、彼女は天井の開け放たれたその場所で紅茶を嗜んでいた。

 突き抜けるような青を天井がわりにしたその空間を彩るのは圧倒的な赤。

 瑞々しくも鮮烈な色を放つそれらは、背中をぞくりと震わせるような毒気、色香を漂わせるようだった。

 そう、そんな彼らをここまで育て上げた、彼女のように。


 ディアナ・ローズ・グリーンフィールドにとって、このバラの温室で朝のひと時を過ごすのは物心ついた時から変わらぬ習慣であった。

 豊かなダークローズの髪をおろし、簡素ながら質の良いベージュのドレスに身を包み、くつろぐ姿は、まさしく薔薇の国の女王のよう。

 ケティッシュと呼ばれる白磁が特徴的な名のあるティーカップを、普段使いとして当然のように傾けるその姿は、王家のものにも劣らない気品を漂わせている。


 「モニカ。今日の予定は何かあったかしら?」


 「いえ、特には」


 「そう。傷心中の御令嬢というのは退屈なものね」


 まるで他人事のように自分の予定への感想を述べたディアナは、手元のカップを口元に運び、その香りを深く吸い込んだ。

 紅茶特有の色合いよりも赤やピンクに近い色をしたそれは、グリーンフィールド公爵家で薔薇をもとにして作られた特別なもの。

 芳しくも濃厚な薔薇の香りがするその紅茶は、ディアナにとって決して手放すことのできない、愛用品となっている。


 「本日はどのように過ごそうかしら。いい加減、やることがないというのは退屈なのだけれど」


 「では、鍛錬はいかがでしょう。久しぶりに軍部の施設を借りて思いっきり動かれては」


 ディアナ生まれたグリーンフィールド公爵家は、ブルフェンが建国するその前の王国時代から続く古き騎士、現在は軍部を取りまとめる家柄だ。

 そんな公爵家の王都の屋敷には、敷地の半分を占める軍人養成所が設置されており、寄宿している訓練生はもちろん、グリーンフィールド家の人間もそこで日々鍛練を続けている。


 「あら、それはできないわね。うちにいる候補生の中には当然貴族もいるわ。いくら我が家に身を預けてくれているとはいえ、彼らの口が硬いかと言われれば話は別。王家との婚約が立ち消え、傷心の娘に仕立て上げたい公爵が許すわけなくてよ」


 ディアナはまるで面倒だと言いたげに軽く息を吐き出し、手にしていたティーカップをソーサーに戻し、それらをガーデンテーブルへとおいた。

 その仕草だけで、彼女の侍女モニカは、速やかにガーデンテーブルにあるティーセット一式をワゴンに片し、速やかに退室していく。


 「本当に、愚かなこと。英雄王の真実を知りながらその偶像に縋るなど、それは忠臣ではなく狂信だと理解してないのね」


 自分の肉親のことを話しているとは到底思えない底冷えした声が、ディアナ以外には誰もいない空間によく響く。



 グリーンフィールド公爵家は軍部の中核であるということ以外に、初代ブルフェン王妃 ローズ妃の生家として有名な血筋だった。

 さらにいうなら初代国王であり英雄王と呼ばれた、今もなお国民に慕われるレオナルド王も、グリーンフィールド家の分家筋の者だったが、そこは政治の都合上巧妙に語り継がれることはなく、隠された歴史となっている。


 つい先日まで、ディアナはその英雄王の生まれ変わりと持て囃されたブライアン第二王子の婚約者候補と呼ばれる立場にいた。

 英雄王の血筋とその英雄像に固執するディアナの父、グリーンフィールド公爵は、何としてもブライアンにディアナを輿入れさせようと画策していた。


 だが、その目論見はブライアン第二王子がある子爵令嬢に惚れ込み、廃嫡と臣下に下ることを望んだことで一変したのだ。

 現在グリーンフィールド公爵は、そんな身勝手な行動を起こしたブライアンと、それを許した王家に対して、抗議の意を示すためにさまざまな嫌がらせを行っている。

 辺境伯となったブライアン元第二王子、現レヴィフォーサイス辺境伯とその辺境伯軍への軍務協力を拒否。それから王宮の警備のためにグリーフィールドの取りまとめる軍人の派遣を拒否。

 そして、婚約者候補であったディアナの公的な活動、支援などの一切を傷心を理由に拒否。


 よって現在のディアナは、公爵によって屋敷での軟禁を強要されているのであった。


 外部との一切の繋がりを断って早2週間。

 国母となるべくあらゆる分野にその影響力を広めていたディアナの不在は、じわじわと各所でのトラブルを産んでいる。


 「ディアナ様、お寛ぎのところ失礼します」


 「急用ね。何かあったの」


 専属侍女のモニカが下がり、誰もいないはずのその場に現れた謎の男の声。

 姿を現さないその存在を当然のようにディアナは受け止め、発言を許可する。


 「先程、招かれざるお客様がいらっしゃり、旦那様がご乱心です。居合わせた訓練生や使用人で静止を促しておりますが、やはり腐ってもグリーンフィールド。力任せにお暴れになるので手こずっております」


 「そう。傷心に仕立て上げた娘を自らの失態で引っ張り出すなど、呆れてものが言えないわね」


 感情の乗りづからい(かんばせ)の中で僅かに琥珀色の瞳をすがめながら、ディアナは素早く立ち上がり、件の公爵が暴れている玄関ホールへと足を急がせる。


 「ディアナ様、」


 「モニカ、その時間はなくてよ。相手もこんな時間から訪問する無作法は承知の上でしょう。格好や体裁より、お客様の生命の危機を気にするべきよ」


 ティーセットを片し終え、事情をどこから聞いたらしいモニカが、先を急ぐディアナに声をかけ、それをディアナが制した。

 今の彼女は屋敷内で寛ぐには遜色ない格好だが、客人を迎えるには不適切だ。

 だがだからと言って着替えていて、その最中に国の要人、王家の人間を失うなど愚の骨頂に他ならない。


 「公爵も公爵なら、彼の方も彼の方ね。なぜこのような時期に来たのやら」


 ディアナは自分の予想する招かれざる来訪者との対面を面倒に感じながら、ただひたすらにその足を急がせた。




 

 「こりゃすごい。まるで飢えた獣のようだな」


 招かれざる客こと、ジェフリー・オースティン・ブルフェンは目の前で暴れる人物と、彼によって引き起こされた惨状を何処か面白がるように観察し、そう言葉を漏らした。


 第一王子である彼が早朝から無礼も承知で訪れたのはグリーンフィールド公爵家の王都屋敷。

 再三訪問したい旨をしたためた手紙を無視した件の公爵は、通達もなしに突然屋敷を強襲したジェフリーに怒りを通り越した殺意を向けて出迎えた。


 『よくもぬけぬけと我が屋敷に足を踏み入れられたな!』


 『おや、公爵。随分と荒々しい挨拶だな。まるで政敵を相手にしたかのような煙たがりようではないか』


 言外に、もうお前にとっての旗印はいないと伝えてやればそれがさらに気に障ったのか、グリーンフィールド公爵は烈火の如く怒り狂い、ジェフリーの首をへし折ろうと躍起になった。

 最初に彼を拘束しようとした近衛たちはまるで塵紙かのようにすぐに投げ飛ばされた。

 その後グリーンフィールドの屋敷にいた訓練生たちや腕利きの使用人たちが、彼を無力化しようと取り囲み、それを払い除けようとする公爵により玄関ホールにあった調度品や壁や柱が次々と破壊されていく。


 -今代のグリーフィールドは英雄王狂いと言われた厄介者だが、それでもなおグリーンフィールドということか。


 グリーンフィールド公爵家はかの英雄王を輩出した武の血筋。

 その血を受け継ぐ長もやはり、化け物に違わぬ馬鹿力なのは頷けた。


 「殿下、お逃げください!」


 「そうは言ってもここで引いては手遅れになるからなー」


 公爵の乱心とも言える暴れ振りに恐れをなした側付きのヨハンが、ジェフリーを安全な場所に逃がそうと必死に忠言するも、当の主人はそれを呑気に聞き流す。

 その様子はまさしく『春色の王子』と呼ばれるに相応しい優雅さと麗しさに溢れていたが、正直今の荒事の場にはあまりに似つかわしくない姿に見えた。


 -それに。こうなった以上、彼女が静観しているはずはない。


 ジェフリーはこれから姿を現すであろう目的の人物を思い、その王子様然とした顔立ちには相応しくない、悪どい笑みを浮かべた。

 芽吹き始めた若葉を思わせるペリドットの瞳は、虎視眈々と獲物を狙う狡猾な光に満ちている。


 そして、


 「随分騒々しいですね」


 ついにジェフリーの待ち人はその場に現れた。

 女性にしては硬質な、よく響く低めの声音。

 彼女が一言発するだけでその場の空気を変えるカリスマ性。

 人前に出る予定がなかったからだろうか、ジェフリーが数度社交の場で見かけたときのような豪奢なドレスも華やかなメイクもしていない彼女は、それでもなお『紅薔薇姫』と呼ばれるに相応しい風格と気品に溢れていた。


 -これがディアナ・ローズ・グリーンフィールド…思っていた通り、いや、それ以上だな。


 彼女が現れた途端、公爵をはじめに騒がしかった皆が動きを止め、彼女の一挙一動に目を向ける。

 そしてそんな視線を集めてもなお、堂々としたその姿はまさに女王の風格。

 ジェフリーが今、まさに欲した理想像がそこにはあった。


 -以前踊った際の着飾った姿は好みではなかったが、これなら問題ないな。


 こちらに近づいてきたことにより、はっきりと目にしたディアナの素顔に、下世話な評価を下しながら、ジェフリーは彼女に微笑みかける。


 「やぁ、グリーンフィールド公爵令嬢。久方ぶりだね」


 「第一王子殿下、このような場所で御尊顔拝するとは、恐悦至極に存じますわ。ただ、まだ日が昇ったばかりのにも関わらず突然のご来訪とは、さすがの軍務を賜り、朝に慣れている我がグリーンフィールド家といえども困惑いたしますわ。今後このような戯れは控えていただけますよう切にお願い申し上げます」


 「それは失礼した。しかし、何度も屋敷に伺いたいと公爵に手紙で願い出てもなかなか返事がなくてね。想い募ってしまった私は居ても立っても居られずにこうして屋敷に押しかけてしまったのさ。私の切実な思いを汲んで、今回は大目に見てもらえると有り難いかな」


 涼やかな微笑みに織り交ぜられる嫌味の数々に内心苦笑しながら、ジェフリーも態とらしい困り顔でそう言葉を返す。

 10人いれば10人とも見惚れてしまうであろうジェフリーの美しい顔から作られる母性をくすぐる表情にも、ディアナは一切動じる様子を見せず、今度は未だに拘束されている公爵へと目を向ける。


 「いつから客人の出迎えをまともにできない家にグリーンフィールドはなったのです?」


 「それは客などではないっ!敵だ!」


 「派閥が違う政敵であるのはそうかも知れませんが、その前に殿下はこの国の王族です。ブルフェンの一翼を担い、忠誠を誓う者がその頂にある方々にとる行動ではありませんよ」


 「黙れっ!ブライアン様を引き留められもしない能無しが。お前がしっかりせんから彼の方はいっときの迷いであのような異国の血が混ざった小娘に誑かされるのだ!だがそれも今だけのこと。今にあの娘が死ねば、全てうまくいくに決まっている!」


 5、6人がかりで羽交締めのように拘束され、なお顔を真っ赤にし吠える公爵を、ディアナは冷たく見下ろした。

 その表情には家族の情というものが一切なく、ただそこにあるものが使えるのか、不要なのかを見定めいるような、そんな淡々としたものに見えた。


 「本当に哀れですこと。まぁ、このように狂信で目を曇らせ、愛だの情だの理解せぬ男の娘が、男の心を引き留める女に育つわけあるまいに。貴方は結局、母の時から何も変わっていない」


 それだけ言うとディアナは後ろに控えていた侍女から香水瓶のようなものを受け取ると、何の躊躇もなくそれを公爵の顔面へと吹きかけた。

 途端、公爵の血走った目や表情が一瞬で蒼白になり、まるで何か抜け落ちたかのように脱力し、抵抗しなくなる。

 そんな公爵の姿をディアナは横目で確認すると、もう用はないと言いたげに公爵に背を向け、片手を上げてこの屋敷の執事と思われる男を呼んだ。


 「公爵様は持病の悪化により、急ぎ静養が必要と判断されたわ。MP205を処方ののち、グリーンフィールド領の別荘で過ごされるわ。手配なさい。今日の公爵様の用事は全てキャンセル。私が後日代わりに行うわ。緊急のものは午後に対応するから予定を調整して」


 「かしこまりました」


 公爵令嬢とはいえ、当主ではないその娘の指示を執事は当然のように了承し、頭を下げ他のものに的確な指示を出し始める。

 ジェフリーは背後で、今までの奇妙な一連の出来事に近衛たちが動揺しているのを感じながら、こちらに振り返った彼女と改めて視線を合わせる。


 「お見苦しいものをお見せした上、玄関ホールで失礼しましたわ。今からお部屋にご案内いたします」


 そう言った彼女の瞳は、ただの御令嬢ではなく、この国の軍部をまとめ上げるグリーンフィールドらしい、戦う人間のそれであった。

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