女心と儀式の日
翌朝目が覚めると、もうすでに日がずいぶん高いところまで登っていて、外から聞こえる村人達のざわつく声が聞こえた。
(え? い、今何時?)
昨夜は想いに想いを巡らせてなかなか寝付けなかったこともあり、ようやく睡魔が襲ってきたのが明け方で、どうやらそのまま今の今まで爆睡してしまったようだ。
例の儀式の当日だというのに、なんてことをしてしまったのだろうか。
慌てて飛び起きる。
廊下に人の気配はない。
みんな外にいるのだろうか?
ウィルは? メルは?
そう考えて、ぼっと顔から火が出そうになった。
ウィルにどんな顔で会えばいいのだろうか。
考えれば考えるほど胸の高鳴りが大きくなる。
普通に接することができるのだろうか。
「お、おはようございまーす……」
おはようという時間ではないかもしれないけど、昨日一番最初に案内された大きな客室をノックしてみる。
すぐにどうぞ、という声がしてあわてて入室する。
室内にはひとりの女性が窓の側に立ち、振り返ったところだった。
すらりと伸びた手足は長く、所作は上品で美しい。
「お、おはようございます! あの、お、遅くなって……」
言いかけたときに、外の方でまたわっと大きな声が上がって驚かされる。
「どれだけ有名な儀式かは知らないけど、野次馬が見に来てるんだよ。次から次へと。本当、迷惑な話だ……」
ウィルの声がした気がした。
「え?」
咄嗟にその姿を探す。
だけど、この部屋にはわたしと、そしてかなりの……びっくりするほど華やか容姿の美しい女性しかいなかった。
長い黒髪をポニーテールにして赤と白のリボンで結い、すっと伸びた体は昨日見せてもらったあのお姫様のような衣装で包み込まれている。
形のいい唇は赤く塗られ、長い睫毛に透き通るような深緑色の瞳……思わずうっとりしてしまう……
吸い込まれるように見入っていると、その惚れ惚れする口元が優雅に弧を描く。
「どう? かわいい?」
「え?」
女神のようなその容姿とそこから発せられた声があまりにもアンバランスだった。
一瞬、頭の中に異空間がめぐる。
(え、えーっと……)
み、緑……?
深緑色の……瞳……
ゆっくり、ゆっくりと思考を巡らせたわたしは、絶対にあるはずがないであろう仮説にたどりつく。
「ま、まさか……」
目の前の美少女は微笑む。
それはもう満開のお花がぱぁーっと咲き誇るほどあたりが明るくなる。
背景に春の光を感じる。
ますますうっとりしてしまう。
けど……
「ウ、ウィル……?」
(う、うそでしょ?)
胸がバクバク言っている。
尋常な音じゃない。
唖然とするわたしを見て、彼女……いえ、彼はしてやったりという表情を浮かべている。
笑うにも笑えない。
「ウッ……」
きれいすぎて……
「ウィル、かわい~~~~~!!!」
思わず飛びついてしまった。
(す、すごいすごいすごい!!)
彼の頬を両手で包むとほんの少しむっとしたようなその表情はまるで別人のようだった。
ママも美人だ美人だと言われていたし、いつも近くで見ていたせいかきれいな人は見慣れていると思っていたけど、これはまた違う種類の美女だった。
「ったく、本当は思ってねぇだろ……俺だって嫌だよ。なのに朝からこんな……」
わたしの反応にようやくいつもの彼に戻り、苦言の数々を漏らし始める。
珍しくほんのり頬を染めているのはメイクの効果なのか。
どこからどう見ても本当に完璧で、そんな姿でさえ見惚れてします。
「ううん。とっても素敵。絶対女の子ならみんな羨ましく思っちゃうわよ!」
ウィルと会ったらどう接したらいいのかと悩んでいた。
それでもそんな気持ちも吹っ飛んでしまうほどわたしは興奮していた。
あまりにもまじまじと至近距離で眺めてしまうものだから、呆れたようにウィルは肩をすくめた。
「あ~、ウィルちゃん可愛いよぉ~!」
いつまでも見ていられる。
「そう可愛い可愛い言うなよ。一応気にしてんのに……」
「自分でも聞いたじゃない、さっき……」
「………」
「だけど、本当……かわいいよ、ウィル……」
この誇らしい気持ちはなんなのか。
同じ言葉ばかり繰り返すわたしに珍しくウィルは耳まで赤くしてそっぽ向く。
「メルに見せなくてよかった……」
ウィルは半ば諦めたように乾いた笑みを浮かべる。
「そういえば……メルは……?」
「着替える前に遊びに行ってもらったよ」
「え? そうなの?」
どこに?と問いかけて、
「こんな姿、見せられるか!」
と怒られる。
ごもっともです。
メルもわたしとよく似ているところがあるから大喜びだったと思うけど。
「京さんの弟さんがいい遊び相手になってくれているんだ。とはいえ、適度に休憩させてやらないといけないんだけど。今日はメルには頑張ってもらわないといけないからな」
「うん。ここからのことは任せて」
事前に話していたとおりにする心の準備はできている。
「メルのこと、よろしく頼む」
そう自然に告げるウィルに、思わず笑ってしまう。
「メルのこと、なんだ? 不審な出来事をしっかり探れ! とかじゃなくって」
この人も変わったなぁとしみじみ思う(見た目だけ見るといつもと全然違うけど)となんだかおかしい。
「当たり前だろ。俺らに命をかける義理はない。おまえも危険だと思ったら自分自身を優先してすぐに逃げろよ」
「うん」
もともと優しかったけど、謎が多くてどこか壁を感じていたウィルがずいぶん近く感じられるようになったようにしみじみ思う。
「仕返し!」
「え!」
そんなときにわたしの背に添えられたウィルの手に力が入ったのがわかり、ビクリとして飛び上がってしまう。
息を呑む。
は、反撃だ……
「ちょ、ちょっと……ウィル!」
「おまえが先にからかったんだろ」
はははっと声をあげて笑うこの人は一体どういうつもりなのだろうか。
昨日のことといい、聞きたいことが多すぎる。
そしてなにより、間違いなくわたしの顔は真っ赤!
真っ赤、真っ赤、真っ赤、真っ赤、真っ赤よ。
「もぉ〜、昼間っからいちゃつくのはやめてよね~」
こっちが照れちゃう、と京さんがドアから覗いて、きっとわたしと同じくらい顔を赤らめていた。
「京さん、隠れてなくて平気なの?」
なんてやつなのだろう。
自然な素振りでわたしを離してウィルは問う。
「うん。ウィルさん、ごめんね」
悲しそうにする京さん。
それなのにわたしは昨日、京さんに起こったあの出来事のことを思い出して、またゾクリとした。
あれから顔を合わせるのは初めてだ。
あれは、一体なんだったのだろうか。
あの、不思議な言葉のこと……
「気にするなって。それより今の間、メルのこと見ててやってくれないかな。今からちょっと作戦を最終確認するからさ」
ウィルの言葉に真剣そのものの京さんは頷き、部屋を出ていった。
「おまえが山奥に行くって訳じゃねぇんだ。ビクビクするなよ」
タイミングを見計らって、ウィルは言う。
「ウ、ウィル……」
「え?」
そしてわたしは昨日の夜の京さんとの間に起こった出来事を全てをウィルに話した。
昨日は怖くて口にできなかったけど、言葉にしたら堰を切るように話し続けた。
「奴、か……」
ウィルは平然とした顔で言う。
「ウ、ウィル……怖くないの?」
「ああ。安心しろ。その『奴』ってものの正体をしっかり掴んできてやるよ」
「ち、違う! ウィルがよ、危ないでしょ! 無茶なことは……」
「心配しなくてもいいって。おまえは何も気にしないでメルの最高の歌声を聞かせてくれ」
「一緒になって寝ぼけないでよね」
「誰に言ってんだ」
ウィルはポンポンとわたしの頭を撫でる。
少しずつ心がざわつき始める。
嫌な予感がする。
先程までは感じなかった何かが、わたしの中でうごめく。
その時、外の方でわっと歓声が上がった。
始まったようだ。
「さ、そろそろだ……」
「ウィ……」
「ローズ……」
真剣な瞳で私を捕らえるウィル。
まるで別人のような見た目だとは思っても、ドキッとしてしまう。
「な、なに……?」
「女って、つらくねぇ?」
「はい?」
「長い髪とか……スカートとか……めちゃくちゃ重くねぇ?」
「………」
にっこりするウィル。
(もうっ!)
調子が狂わされる。
でも、おかげで吹っ切ることができた。
わたしはわたしにできることをする。
わたし達はともにそれぞれの作戦を実行することにした。