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さよならの前に

 彼は『ヒロ』と名乗った。


 本名かどうかはわからない。


 でも、あえて聞かないことにする。


「王妃様に聞いたよ。シャヤは生きてるって」


「え、ええ」


 元婚約という立場だったこの人に、どこまで話していいのやら、的確な言葉を探す。


「と、とても元気にしています」


「そうか」


 すっと鼻筋の通った横顔を盗み見る。


 年下の私にも紳士的で話しやすくて見るからに悪い人ではなさそうだ。


 どうしてママは、この人を選ばなかったのだろう。


 懐かしむように彼の瞳は細められる。


「シャヤの夢は叶ったんだな」


「夢?」


 ママのことは、できるだけ知りたい。


 そんな気持ちが先走って、思わず乗り出してしまう。


「マ、母に、夢があったんですか?」


 初耳だ。


 話す機会もあったかもしれない。


 でも、聞いたことがなかった。


 一度も触れてこなかったのだ。


 ママは生まれたときからずっとわたしのママで、勝手に彼女の世界観を決めつけていた。


 実際に離れてみて聞いてみたいこと、話したいことがたくさん増えたことを実感している。


 今は以前とはまた違う気持ちで会いたくて仕方がない。


「こんな狭い世界にいたくない!」


「え?」


「それがシャヤの口ぐせだったんだよ」


 ヒロさんの声色は優しい。


「ほら、呪いがかかってるって聞いてると思うけど、どうせ短い命なら、これからの人生はいろんな景色を見て目一杯楽しんでやりたいわっていつも遠くを見て言ってたよ」


「わ、わたしと同じ……」


「え?」


「あ、わ、わたしもずっと海の向こうの世界が見たいって思っていて……」


「で、船に乗り込んで旅に出たってわけだ?」


「は、はい……」


 驚いた。


 十五歳のママも同じように思っていたなんて。(まぁ、わたしと当時のママでは覚悟が違うのだろうけど)


「はは、じゃあ君はやっぱりシャヤ似なんだね」


 漆黒の瞳にわたしが映る。


 大人の魅力というか、この人も目を惹くものがあり、ついつい視線のやり場に困る。


「懐かしいなぁ」


 そんなわたしをお構いなしに彼は続ける。


「こうして話していると、シャヤと話しているみたいだ」


「に、似てますか?」


(わ、わたしとママは……)


「ああ、よく似ているよ」


「初めて言われました。いつかはあんな風になれたらいいなって思っていましたけど」


「シャヤはきれいだからな」


「そうですね」


「手がつけられないじゃじゃ馬だったけどな」


「え? そうなんですか?」


 想像がつかない事実の数々に思わず声を荒げる。心なしか楽しい。


「そうだよ。城は抜け出すし、取っ組み合いの喧嘩はするし、男装して馬で遠乗りに出かけたこともあったよ」


 いつもめちゃくちゃ怒られてたけど、と笑うヒロさん。


「ここに閉じ込められているべき人間じゃないなって思ってたよ」


 この人は……


「あのキラキラした海賊が現れたとき、悟ったんだ。ああ、お別れだなって」


 本当にママのことを好いていてくれたのだろう。


「海外の話をひとつ聞くごとに大興奮して、まるで水を得た魚のようにイキイキしだしたんだ。もう別人のようだったよ」


 恋心はもちろん、最愛の友として。


「ご、ごめんなさい……」


 別にわたしが謝ることではない。


 でも、言ってしまった。


「行くなら幸せになれって約束したんだよ」


「え?」


「ここを抜ける前日、シャヤは俺の元へきたんだ」


 これはみんなには秘密だよ、と彼は自身の口元に指をやる。


 聞かずにも伝わってくる。


 ママにとっても、この人は大切な人だった。とてもとても。


「約束を守ったようなら俺は安心したよ」


 ヒロさんの大きな手はいつの間にか流れたわたしの涙を拭ってくれた。


「ジェ、ジェクラムアスという街にいます。毎日、幸せだって言って、わ、わたしのことも、本当に大切に……」


 この気持ちはなんというのかわからなかった。


 だけど、目の前の存在があまりに大きくて暖かくて、流れる涙を止めることができなかった。


「はは、なんだか変な感じだなぁ。シャヤを泣かせているみたいだ」


「ご、ごめ……ごめんなさい……」


「いやいや、嬉しいよ。形はどうであれ、またこうしてシャヤと話せているみたいで、本当に嬉しいんだ」


 彼はゆっくり夜空を眺める。


 そこには無限の星々が瞬いている。


「今では憎っくき海賊にも感謝をしないといけないなって思っているくらいだよ」


「わたしも会ったらどう罵ってやろうかと思っていました。言えませんでしたけど……」


 鼻をすすると、ぐびっという変な音がして恥ずかしくなった。


「まさか、本当に呪いを解くなんて思っていなかったよ」


「え……」


 ヒロさんが表情を引き締める。


「の、呪いって、け、結局なんだったんですか?」


 ママからは聞いたことがなかったけど、この旅の中で少しずつ 耳にした呪いの存在。


「解けたっていうのは本当に?」


「俺も詳しくはわからない」


 ヒロさんの声を落として言う。


「俺も生まれた頃だったから人づてに聞いている。シャヤが赤ちゃんのころにある魔術師にかけられたのだと」


「魔術師?」


「ああ。彼女の誕生は良くも悪くもこの国に影響を及ぼすと言われていた。それを望まなかったものは少なくなかったそうだ。そのうちの仕業だと聞いている。この国のものではない特殊な魔術だったのだと国の祈祷師たちも頭を悩ませたのだとか」


 誕生を望まなかった?


 それで魔術をかけたと。


 あまりに生々しいお話に背筋がぞっとする。


「専門家たちは調べに調べ尽くした。そこで知ったんだよ。外の国に、どんな病も浄化してくれる湖があるのだということを」


「石というのは……」


 以前、ウィルから聞いたことがある。


「そこでとれるものだそうだ」


「じゃあ……」


「ああ、海賊、いや、君のお父上は無事その地へ辿り着けたようだな」


 敵わないよ、とおどけて見せるヒロさん。


「姫なんて興味はないって、最初はツンツンしてたくせにさ」


「え? そうなんですか?」


「おっと、これ以上言ったらシャヤにどやされるな。あとは本人から聞いてくれ」


 そう言ってヒロさんは片目を閉じる。


「それに、これ以上君を独占すると彼に攻撃されそうだ」


「え?」


 ははっと声を上げるヒロさんの視線の先を見てぎょっとする。


「う、ウィル!」


「攻撃なんてしませんよ」


 王妃様にここだと伺って、と突然現れたウィルは肩をすくめる。


「うちの部下たちがずいぶんお世話になってるみたいだな」


「こちらこそ。ずいぶん体が訛っていましたから、お相手いただけて光栄です」


「え? え? どういうこと?」


 状況が把握できないのはいつものようにわたしだけのようだ。意味がわからない。


「ああ、お昼にヒロさんの部下の方々に稽古をつけてもらったんだよ。ジパン国の構えは独特で、学んでみたいと思っていたから」


 会わないと思ったらそういうわけか。


「想像以上だった」


「そ、そう……」


 瞳を輝かせるウィルは楽しそうだ。


 いろいろ意識をして避けてしまっていたけど、いつも通りの様子で安心した。


「よく言うよ。一瞬にして部下たちの半数をこてんぱんに倒してくれて、ほとんどのものを自信損失させたくせにな」


 平和ボケしていて困る!と笑ってヒロさんは立ち上がる。


「時間を取らせたね、ローズさん」


「い、いえ、お話できて嬉しかったです」


 本当はもっと聞きたかったのが本音だ。


 だけど、お別れは近づいていた。


 それはわたしたちに背を向けたヒロさんの背中が物語っていた。


「ひ、ヒロさん!」


「ん?」


「は、母を、母をずっと守ってきてくれて、ありがとうございました」


 ママとこの人の関係をこの目で見たわけではない。


 それでもいつも友人は大切なのだと言い続けていた母はきっと彼の姿を思い出していたに違いない。


 呪いにかかっていても、変わらず隣にいてくれた人。


「こちらのセリフだよ」


 それだけ残し、ヒロさんは夜の闇に姿を消した。


 ママの幼なじみだった人。

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