語られた過去
わたしたちのために用意されたお部屋へ案内をしてもらう途中、大きな人物画が大広間から見えて、足が止まる。
「うわ、美しいな」
わたしの視線の先に目を向け、ウィルが驚く。
「あれが娘のシャヤよ。十五の時かしら」
王妃は嬉しそうにその姿を眺める。
頬を緩めて柔らかい笑みを浮かべるママの姿がそこにあった。
(き、きれい……)
驚いて声も出ない。
先ほどの居場所のない思いもどこへやら、純粋に見入ってしまった。
(ママ……)
懐かしいその姿に、ほんの少しだけほっこりした気持ちになれた気がした。
「こんな超絶美女と君をどう間違えたんだろうねぇ……」
ニシシ、とわたしを見て笑うウィルの足を思いっきり踏んづけてやった。
ウィルは小さく声を上げたけど、すぐにムッとした表情をわたしに向ける。
「あらあら。ローズ様は十分美しいと思うわ」
「い、いえ、そんな……」
いざ褒められるといたたまれなくなって、満面の笑みを浮かべる王妃にぽっと頬が熱くなる。
クスクスと彼女は笑う。
(ああ)
やはり、似ている。
この人は、わたしのおばあちゃんなのだろう。
わたしにはそう呼べる存在がいないものだと思っていたから、なんだかとっても嬉しかった。(もちろん、言えるわけはないけど)
「メルちゃんはこちらのお姉さんと一緒に連れていってもらってね」
王妃の言葉に何人かの若い袴姿の女性達(メイドさん?なのかしら)が現れて不安そうなメルを抱き上げる。
「で、でも……」
「ご心配なく。メルちゃんは責任を持ってお世話させていただきますから。あなた方も今日はおひとりの時間をごゆっくりなさるとよろしくてよ」
すぐ隣のお部屋にご案内するわ、と王妃。
「しばらく俺もついてるから」
おまえはゆっくり休め、と頷くウィルに甘えることにしたわたしが通されたお部屋はとても素晴らしいものだった。
真っ赤に燃えるような夕日が室内を染めていた。
部屋は全面畳という竹の皮を編んで作った(らしい)もので座り心地も良く、窓の向こうに見える景色は絶景だった。
ウィルやメルもこの景色を見ているのかしら。この感動を伝えに行きたくなる。
さくらと呼ばれるお花がはらりはらりと城下町に散っていて、薄紅色に染まった川の水面は真っ赤な夕日が浮かんでいた。
川にかかる橋や堤防沿いにはいくつかの赤い光が幻想的に灯されている。
あの明かりは提灯というのだそうだけど、静かな明かりが暗くなった街を照らしてくれているのだそうだ。
まさに、風流という表現はこのためにあるのだろう。見惚れてしまう。
「気に入っていただけた?」
王妃がにっこりする。
「ええ! すごく! すごくきれい!」
「そう、よかった……」
そして王妃は遠い目で外の景色を眺める。
「あ、あの……王妃様。あの……」
「なぁに?」
やっぱり少し、ママに似ている。
「あ、あの……すみません。王妃様に直々に案内していただいて……」
本当にそう思う。
メルもウィルもお姉さんたちに案内されていたのに、わたしにだけこの人がついてきてくれた。
廊下ですれ違う方々も申し訳なさそうにこちらを見て頭を下げた。
「ただわたくしが、もう少しあなたと一緒にいたかっただけなのよ」
寂しそうに微笑んで、王妃は部屋に飾ってあるお花を指差す。
「あのお花はね、『薔薇』というの」
赤と桃色のとても美しい花。
「と、とっても美しいですね」
見たことのないお花だった。
「娘が大好きだったお花よ」
「マ、シャヤさんが?」
驚いてしまう。
(ママがこの花を好きだったなんて)
お花が好きだったなんて、聞いたことがなかった。
「あ、触ってはダメよ。この花は見た目は美しくても、刺があるのよ」
触れようとしたわたしを制して、王妃はニッコリする。
「あの子もね、刺があるというか、人に心を開かない子だったのよ。婚約者に対してもね」
「こ、婚約者……?」
「そう。幼馴染だったのだけど」
(う、嘘でしょ……)
いろんな思考が脳内でぐるぐるしてうまくまとまらない。
「こ、婚約者がいたんですか?」
なんだか、とても複雑な気分だ。
ママに婚約者……だなんて……
想像したくもない。
「親の勝手に決めたものよ。あの子はすごく嫌がっていたわ。大きくなるに連れて反発することも増えて、どんどん人に自分の心の内を見せなくなってしまったの」
(ローズ)
記憶の奥から高らかな声が聞こえた。
(ローズ、ねぇ、ローズったら!!)
わたしの名を呼んで、わたしをからかって、大きな口を開けてケラケラ豪快に笑う美しい人。
わたしの知る人は、そんな人だ。
人に心を開かない人なんて、わたしは知らない。
「あの、海賊以外は……」
「海賊?」
思わず変な声が出た。
情報量が多すぎて整理できない。
「さ、浚った奴らに、ですか?」
そんなやつらには心を開いたというのか。
「そうよ。彼らは今までであった誰とも違った不思議な雰囲気を持っていた男の子達でね」
彼らを語る王妃は、恨めしい様子もなく穏やかな表情をしていた。
「娘にはなかった『自由』を全身にまとった人間達だった。だから、近づいてきた彼らに娘はすぐに夢中になった」
楽しそうだったわ、と王妃。
「浚われたのは、あの子の心よ」
声が出ないわたしと裏腹に王妃はウインクする。
「三人いてね、十歳くらいの男の子と、あとの二人は十七・八だったわ。銀色の長い髪の少年と、そしてもうひとり、金色に輝く髪色で青い瞳を持つ見たこともないような美しい少年が……」
「金……色の髪で……あ、青い瞳……」
「そうね。ちょうどあなたのような強い光を持った青い瞳よ。まるで海を映すような」
(ま、まさか……)
「彼が現れてから、あの子は笑うようになったわ。とっても幸せそうに。そして嬉しそうに話すのよ、彼のことを……。だから、だからね……あの子の残りの人生も……」
王妃はまた大粒の涙をポロポロ零す。
「王妃様……」
王妃を抱き抱えるわたしの腕は震えていた。
「ごめんなさいね、ローズ様。こんな話……」
「い、いえ……そんな……」
「どうしてもね、あなたが……あなたがあの子に見えてしまって……もう……生きているはずがないのに……」
王妃は涙を拭い、ごめんなさいと繰り返す。そして、ほんの少しだけ沈黙が流れる。
「い、生きてないって……」
沈黙を破ったその声は震えていた。
「どうして……」
「娘はね、呪いがかかっていたのよ。二十までしか生きられない呪いが」
長いまつげが王妃の表情に影を落とす。
「でも、わたくしはね、あの子が最後の最後まで幸せだったと信じていますのよ。残りの五年間を大切な人達と幸せに過ごしたのだと思っているの」
そして優しくわたしの額にキスをした。
「さぁ、今日は疲れたでしょう? ゆっくり休むといいわ。明日はこの城も忙しくなりますからね」
「忙しく?」
「明日はお祭りなのよ」
「お祭り……?」
「そうよ。あそこの大きな橋のね、石碑の下に眠る方を祭るものよ」
そう言われてもピンとこない。
困惑するわたしの気持ちを読みとったように王妃は静かに微笑んで、そして続ける。
「娘が呪われていることで不吉に思い、密かに暗殺を企む者が幾度となくいたの。明日で十七年目になるのだけれど、娘が狙われた時、娘を庇い、そして亡くなられた方なのものなの」
胸が締め付けられるようだった。
ママの過去が知りたかった。
ずっと知りたかったはずなのに、それはとても重くて、とてもじゃないけど今のわたしには抱えきれそうになかった。
「感謝と追憶の意を込めて」
王妃の言葉が遠くに聞こえた。
おやすみなさい、とだけ残して部屋をあとにする王妃はなんだかすごく寂しそうに見えた。




