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イシュタルと涙と未来

「わたしは、この国を変えたいと思っています。ここで生きるすべてのものが武力に怯えることのない生活を作りたい」


 王の目つきが変わった。


 その様子はまるで、自分にも言い聞かせているようだ。


「あなたが先の戦いで剣を使わなかったように、わたしも強さが全てじゃないと示せる努力をします」


 時間はかかるかもしれませんが、必ずと王は自嘲気味に笑ったものの、力強く頷いたウィルに頬を緩めた。


(剣を、使わなかった……?)


 なんとなく会話に置いていかれたのはわたしだけのようだ。


「この国の者も、あなたと戦った者達もそう気付いたはずです。今回、怪我人が少なかったことも含めて、本当に感謝しています」


 若い王は頭を下げる。


 とても深々と。


「い、いえ。僕も腕が鈍ってしまっていたんでちょうどよかったです」


 謙遜しつつも、ウィルは満足気に微笑む。


「イシュタル、あなたもです」


「え?」


「あなたさまのお導きが、彼を強くするのですね」


「は?」


 王は至って真剣だ。


 冗談を言っているようには見えない。


 そうですね、と言いつつ、今にも吹き出しそうなウィルを横目に再び困惑する。


 ここへ来てから『イシュタル』という名を度々耳にするようになったけど、なんのことなのだかさっぱりわからない。


「あの、イシュタルとは?」


 ここでは大切なことなのかもしれないけど、初めてここへ来た人間としては無知なのを許してほしい。


「愛と戦の女神ですよ」


「め、女神!」


(ず、ずいぶん畏れ多い例えなのでは……)


「この国ではずっと『守護女神』に守られていると伝えられてきました。その存在を見たものは現代の世にはいませんが、神話にもなり、広く伝えられてきました」


 それが、とそこで言葉を選びながら、彼の瞳がわたしをとらえる。


「誰もが目にしたことのないその存在が、わたしの生まれる数年にも現れたそうで、その伝えられた姿のあなたの雰囲気がよく似ているのです」


「わたしと、よく似た?」


 この珍しい髪色が関係しているのだろうか?


「最初は半信半疑であなたの様子を拝見していましたが、ウィルさんを見守るあなたの様子を見て、そう言われていたことに納得しました」


「わたしもそう思ったわ」


 王の後ろからスズが前に出る。


「ありがとね、励ましてくれて」


「スズ……」


「あんたの真っ直ぐな目を見てたから、わたしは立ち上がることができた」


「そんな……」


 泣きそうに細められた瞳に、わたしも泣きそうになった。


「わたしは……ただ……」


 ただ怯えて待っていただけだ。


 本当はいろいろと逃げるための計画を立てていたはずなのに、結局それを決行することができなかった。


 いつも誰かのおかげでわたしは生かされている。


「あんたは諦めなかった」


 それで十分でしょ。


 そう笑うスズに、やっぱり泣いてしまった。


 怖かったし、もう穏やかな生活に戻れないかもしれないと嫌な想像ばかりをした。


 考えると考えるだけ嫌なことしか思いつかないし、考えることさえ拒否しかけた。


 ずっと気を張っていた。


 ウィルともう一度会うことができてほっとしたし、その瞬間に泣きそうになった。


 それでも泣けなかったのは、自分の不甲斐なさも少しだけ感じていたからだと思う。


 だけど、そんなわたしに、励まされたと言ってくれる人がいる。


 わたしの方がその言葉に救われた気がした。


 その後、王のレムさんはそれから持ちきれない程の食料を持たせてくれた。


 買い込んだ食材は道に置いてきてしまったのだとがっかり肩を落としていたウィルは溢れんばかりの食料を前に、助かります!とレムさんの手をしっかり握りしめたほどだった。


 おいしそうな果実が増えたことはわたしも嬉しい。


 見たことのないものもたくさんある。


 どう手を加えてみようかと考えることも楽しい。


 そして、そうこうしているうちにわたし達はまた、出航するべく時がやってきた。


「ウィルさん、この国を変えるであろうあなたの木刀はこの国の守神として飾らせてもらってもよろしいですか?」


 船まで見送りに来てくれる、みんなの中でレムさんが言った。


「い、いえ、そんな大したもんじゃ……」


 苦笑するウィル。


「木刀?」


「木で作られた刀だよ」


「そ、それは知ってるけど、それが何?」


「ウィルさんは木刀で戦っていたんだよ」


 王が誇らしげにニッコリする。


「だから彼と戦った者は打ち身はあっても、ほとんど怪我はなかったんだよ」


「へ……」


 照れ隠しなのか、困ったようにウィルは外方を向く。


「すごい……」


 そんなウィルのすごさを改めて実感して、彼の想いとは裏腹に、その様子をまじまじと見てしまった。


「あの構え、そしてその船といい、ウィルさんは『ラマ国』の方ですか?」


 レムさんの淡い青の瞳がウィルを捕らえる。


「この船を知ってるんですか?」


 ウィルが切り返す。


「はい。と、いうよりこの国の歴史書の中に、この船とその構えの海賊の図が書かれてないものなどありませんから」


 レムさんの笑顔のまま。


「海賊、ですか……?」


 ウィルはそう言って、ブラック・シー号を見上げる。


「あ、いえ、海賊というのは先日もお話したわたしの生まれる少し前のことなのですが」


 一度目にしてみたかった、と王。


「昔、海賊と自由に憧れた人から教わりました」


 目を輝かせたウィルが堂々と言い放った。


 その目はウィルがどのくらいその人を慕い、尊敬していたかがわかる気がした。


「女性方を、スズを大切にしてくださいね」


 わたしが言うと、王は力強く頷いた。


「そうですよ。女性は強いですからね。俺なんて、出会ってすぐに一発でこいつにやられましたから……」


 わたしを指してウィルはいたずらに笑ってくれたおかげで見送りに来てくれた街人たちの視線を一気に浴びることになる。


 この国で誰も敵わなかった人間を打ち負かした女だんて言われても、笑える問題じゃないんですけど……


 腕中で眠っていたメルが目覚めた。


「きゃはは!」


 気候が合わないのか眠ってばかりのメルもその様子に上機嫌で両手を上げる。


 それを見たウィルは嬉しそうに、


「お、メル! 起きたのか!」


 なぁんで言って、さっきから自分のせいでジロジロ見られているわたしの気も知らないで、ひょいっとメルを奪っていく。


 はしゃぐメルの声が乾いた大地に響く。


 その姿を見て何人もの人が目を細めた。


 わたしは立場がなく、悔しかったから船に乗り込む時からからかうように言ってやった。


「さて、メル姫。今日はウィルパパによる『双子の王子』の話で眠りにつきましょうか」


「な!」


 ウィルが飛び上がる。


「なんでそれを!」


 久しぶりに動揺したウィルの様子を見るのは気持ちよかった。


 その日、メルの寝かせ当番のウィルパパは、一体メルにどんな話を聞かせたのだろうか。


 再び取り戻された夜は静かに更けていく。


 そして、わたしたちは東の都『ジパン国』に向かって船を出航させた。


 波の音を聞いてわたしは眠りについた。

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