悲しき呪い
月から目を離さないようにして、強く歯を食いしばった。
(な、泣くもんか)
すっかり泣き虫認定をされてしまっているわたし。
だけど、泣いたらすべてがうまくいくは思っていない。
「ローズ……」
「き、気にしないで。わ、わたし、最近おかしくて……」
お願い。来ないで……
「不安定でごめんなさい」
ひとりにして。
もやもやして、自分でもうまくコントロールできないのだ。
「ローズ……」
ウィルの足音が迫ってくる。
近づいてくるとわかると、鼓動がどんどん大きく主張し始める。挙げ句、
「べ、別に、船が欲しかったわけじゃないの。海に出たくて、それに……」
自分でも思ってもみない言葉が出た。
「ママが大事そうに持ってた物だからよ!」
振り返った先のウィルは大きく目を見開いていた。
なぜこの言葉が出たのか、自分でも驚いた。だけど、これが本音だった。
「おまえこそ、言ってないことがありそうだな」
ひとりにしてほしいのに、どうやらそのつもりはないようだ。
月明かりだけではウィルの表情はよくわからない。怒っているかもしれないし、そうでないかもしれない。
ふぅっと息を吐き、彼はわたしに向き直る。
「これは、おまえの母さんのものだったのか?」
しゃらっという音がして、ウィルの手元にあるブラック・シー号の鍵がきらりと光る。
「ば、バカよね」
ウィルの表情が読み取れない分、話しやすかった。
「捨てられた男の物を未だに大事そうに持ってるなんて……」
「え?」
「バカなのよ」
一度言葉にしてしまったら、わたしはもうブレーキがかからなくなっていた。
「父は海賊だったの。知ってるよね? この船だって、父のものよ」
「ローズ……」
ウィルは何か言いたそうだったけど、わたしはそれを遮って話を続けた。
「死んでなかったのよ」
口を挟まれたくなかった。
同情なんていらない。
ウィルにとってはどうでもいい話をわたしは淡々と続ける。そうでもしないとこの雰囲気に負けてしまいそうだったから。
「父は、わたしが生まれてからまた海に戻ったそうよ。ママにかけられた呪いを解くためにある石を取りに行ったそうなの」
「石……」
ウィルが息を呑むのが見て取れた。それでも構わず話し続けた。
その石は、海の向こうのある場所にしかなかったそうだ。
だから、父はひとりで海へ戻る必要があったのだと。
「本当かどうか、わからないけどね」
誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。
「でもね、私はママに呪いがかかってるなんて知らなかったのよ! とても元気で病気だってほとんどしたことのない人よ。呪われていたなんて、想像さえもしたことがなかったのよ」
徐々に息が荒くなる。
まるでもう吐き出すようだ。
「それだけ早くその石とやらは見つかって家に送られてきたらしいわ。だけど……」
歯を食いしばる。
絶対に、これ以上感情を乱したくなかった。
「父はそれを持ち帰えらなかった」
不思議な術のかかった石は、父ではなく別の人間から母の手に届けられたのだという。
それから、父は行方をくらませた。
「ば、バカじゃないの」
誰かに、聞いてほしかったのかもしれない。
だって、わたしは、弱いから……
だから、きっとわたしは……
「石だけよ? バカなのよ!! 幼い頃からずっと、父は亡くなったって教えられてきた。でも、生きてるって、そいつが生きてるって、それを知ったわたしはどうなると思う?」
わたし……わたしは……
「わたしはそいつを許さない! だから海に出たのよ! そいつに会うために!」
海に出ることは、ぎりぎりまで迷っていた。
ママやレイとも一緒にいたかったし、どちらを選択しようか、本当は迷っていた。
この事実を知るまでまでは。
あの日から、わたしはそいつのことを『パパ』と呼べなくなってしまった。
あの日、レイがわたしのことを『ローズ』と呼ばなかったように。
全身の力を込めてそう叫んでいたから、息は弾んでいるし、きっと体も震えてる。
(どうして……)
どうして、こんなこと、ウィルに言っちゃったんだろう……
「ローズ」
ウィルが近づいてくる。
ただ黙って、表情を持たないまま。
ウィルがどういうつもりなのかもわからなかったけど、ウィルの深緑の瞳が全てを見透かしていそうで怖かった。
後ずさりしようとしても、後ろはない。
背後に広がるのは果てしなく広がる闇の色に包まれた空と海。
ウィルがわたしの腕を掴んだ。力一杯。
「さ、さわらないで!」
力を込めて振り払った右手の衝撃に驚いたのか、一種驚きの表情を浮かべたウィルの鎖骨を軽く押した。
「ぐはっ!」
思った通り、すぐさまウィルは低い呻き声を上げて、片膝をついた。
全身に痺れが走ったのだろう。
「あ、あの時だって……あんたに捕まった時だって、逃げようと思ったら簡単に逃げられたのよ! 鍵だけ渡すことだって! 何も知らなかったらできたのに……わ、わたしだって、本当は知りたくなかったのに……大人しく叶えたい夢で済ませることができたのに!」
左肩を抑え、うずくまるウィルをじっと見下ろす。
ここで彼を痛めつけた所で、わたしの逃げ場はない。途中で下ろされたら、わたしは確実にひとりで飢え死にしてしまうだろう。
泣きそうになる。
わたしはおかしい。
すごくすごくおかしい。
まるで悪魔に取り憑かれたみたいだ。
ずっと、黒い感情でぐちゃぐちゃになっているのだ。
「ったく」
「えっ!」
言葉をなくして俯いたわたしは、痺れで動けないはずのウィルに凄い力で腕を引っ張られて、倒れ込んだ。
「なっ!」
いつの間にかウィルの腕の中にいた。
鬼の形相のごとく怒りで真っ赤だったはずのわたしの顔が、別の意味で真っ赤になってしまった気がする。
逃げ出したくてもしっかりとホールドされていて身動きが取れない。
「う、ウィル……」
な、何が起こったというのだろうか。
感情がおいつかない。
「ごめん」
ウィルが唸るように言った。
「ごめん、ローズ」
「………」
「つらいこと言わせて、ごめんな」
ぐっと息を呑む。
痺れているであろう指先でしっかりとわたしを引き寄せるウィルは、苦しそうに謝罪の言葉を繰り返した。
(な、なによ……)
だから、この人は強いんだ。
(なんでウィルが謝るのよ……)
だからわたしは、この人に言ってしまったのかもしれない。
レイにさえ言えなかったことを。
(どうして……)
いつも欲しい言葉をくれる人だったから。




