海の上での暮らし
「マァマー、おきてぇー!」
ポテポテポテ、という床を一生懸命踏みしめて近づいてくる足音が聞こえ、いつものようにメルがやってきたのがわかった。
「起きてるわ」
そう言ってわたしはまただらしなくも冷たい床に倒れ込んだ。
暑くて暑くて仕方がない。
あれから数日。
わたしたちは次の目的地である『ユーシスア国』に向かって進んでいるのだけど、それがまた思っていたよりも遠くて遠くて。
本当に無事目的地へ近づいているのだろうかという不安も抱えつつ、日に日に暑くなる太陽の光に照らされ、ずっと船の上で生活していた。
備え付けのファンを回したところで窓から攻撃してくる直射日光には勝てそうにない。
そのため、影を探して転がる日々が続いた。
あんなにたくさん買い込んだ食料も尽きてしまわないか最初の頃は心配していたものだけど、今は食欲も減りつつある。
すべての原因は、この暑さにあった。
服は真ん中の部屋にあったTシャツが何枚着られそうで助かったんだけど、どっと流れる汗のおかげでデッキの上はほとんど連日の洗濯物で埋まっている。
「わああああ! おばけぇええええ!」
「ちょっと、メル、洗ったばかりのものをかぶらないで」
暑さに体力を奪われて大きな声を出すにも限界がある。
そして、あんなに心を閉ざしているようだったメルも日に日に懐いてきて、今ではべったり離れることなくくっついてくるようになった。
最初はママと呼ばれることにずいぶん抵抗を感じたものだけど、だんだん慣れてきたのも逆に面白い。
あだ名だと思えば気にならないと言ったウィルの言葉には一理ある。
それからというものメルは『さすがの三歳児パワー(ウィルがつけた)』を全開に発揮し、船内でもデッキ上でも暴れまくるわ何やらで、大変だった。
まぁ、我慢をしていた頃よりはいいと思うんだけど、三歳児のパワーをなめきっていた。
「メル、ウィルは?」
「うえでまってゆよぉ〜」
「げっ、本当?」
「本当だ」
いつの間にか部屋の前に現れた当の本人にぎょっとする。
「ウ、ウィル!」
「おまえの洗濯物がかなりたまってんだけど」
いつも早く取り込まないと次のが干せないと苦言する彼は今日も大きなかごを抱えている。
家庭的な姿がここまで似合わない人がいるなんて。
そしてだんだんこの姿も見慣れてきたのも変な感覚だ。
へばっているわたしに比べ、涼し気な表情を崩すことがない彼はさすがだ。
「俺が取りこんでもいいならそうさせてもらうけど」
「え、いや、待ってっ!」
下着もあるのだ。
無理に決まっている。
「早く取らないともうすぐユーシスアに着くぞ」
「え? もう?」
「ああ。風の匂いが変わった」
「え、そんなものなの?」
(どんな嗅覚してるのよ!)
「信じられないんだったらデッキに出てみろ」
思わず窓の外へ目をやり、息を呑む。
「な、なんか急に緊張が……」
もしもまた怖い国だったらどうしよう。
「この前よりはマシだと思うけど」
「そ、それならいいんだけど」
「しかもあんなの、国の一角でしかないから」
「え?」
「俺らの見たイナグロウ国はほんの一部分。おまえの住む街と俺のいた中央地区が違っていたように、イナグロウ国もすべてがあんなわけではないから」
「そうなんだ……」
中央地区との違いさえもわからないわたしには、ぼんやりした想像で世界をイメージするしかない。
ただもしもまたイナグロウ国へ行くことがあるのなら、今度はもう少し笑えたらいいなとひっそり思う。
その少し後で、わたしはウィルの特殊能力をバカにしたことを悔いることになる。
半刻もしないうちに小さな島が見えてきて、地図上にある次の目的地『ユーシスア』の部分が点滅し始めたのだった。




