海に憧れた女の子
潮風によって運ばれてきた海の香りに足が止まる。
胸が高鳴る。いつものことだ。
「……ズ、ローズ!」
いつの間にぼんやりしていたのだろうか。
親友の声がしたような気がして、ふと顔を上げる。
「ローズ・ビガースタッフ! 聞いてるの?」
「れ、レイ……」
それは聞き間違いでもなんでもなく、目の前に呆れた様子で親友のレイチェル・ミーガンが腕組みをして立っていた。
「まぁーたぼんやりして!」
「ご、ごめん……」
「また海に魅了されてたの?」
困ったように肩を竦め、彼女は苦笑する。
「ローズって本当に、海が好きよね」
腰まである長く切り揃ったオレンジ色の髪が弧を描いて美しくなびく。
幼い時から何度も目にしている姿だったけど、今日もまた目を奪われた。彼女はわたしにはないものをたくさん持っている。
ふと胸元で揺れる緩くまかれた自身のダークブラウン色の長い髪に目を向ける。
この髪の色が嫌いというわけではない。
むしろ気に入っている。
明るい髪色が多いわたしの街では珍しい『夜』を連想させる色合いで、青い瞳が良く映えると小さい頃から言われていた。
だけど、物語に出てくるお姫様のようにきれいなレイの髪色はやっぱり格別だ。
「泳ぐのは得意じゃないくせにね~」
海育ちなのに、とレイは笑う。
「わ、わたしはそういう意味で好きなんじゃなくって、あ、憧れてるっていうか……」
小さな街だけど、海がとってもきれいな街で育ったわたしは母と二人で暮らしている。
本を読むことが大好きで、いつも様々な物語に胸をときめかせた。
特に魅了されたのは、まだ見ぬ世界の物語だった。
『夢見がちがあまりに重症だからそろそろ本を置いた方がいい』
そんな風にレイに言われるわたしは十六になった今でも恋を知らず、冒険記に胸を躍らせていた。
顔も見たこともないこの国の王子様との結婚に憧れたり、海を越えた世界(七つあると言われる大陸のこと)を見てみたい、とその話題になると今でも興奮してしまうことが多々ある。(ううん、ほとんどよ!)
けれどそれは物語のお話。
わたしには到底手を伸ばすことのできない物語の世界の中だけで輝く夢物語だということは大きくなるにつれて徐々に理解できるようになっていた。
だからこそ、それらすべて叶う物語の世界を楽しむくらいは自由にさせてほしい。
「この海の向こうにまだ見ぬ世界が広がっていると思うと、どんなところなんだろうって考えちゃうのよ。アカメル国、イナグロウ国、カルロベルラ国、ジパン国、ラマ国、ユーシスア国、図書館の文献に残っている探検家の実録にも描えがかれているけど、そんな世界が本当に存在するのだろうかって。それに……」
「我が国・ジェクラムアス国」
あとを継いでレイが得意げな顔をする。
「耳にタコよ! ローズの海のお話は!」
「だって、知りたいじゃない。未知の世界だなんて、ロマンがあって素敵だわ」
こうしてわたしはいつも自分の世界に入り込んでしまう。
これはとっても悪い癖だと自分でも自覚しているけど止まらない。
「すでに図書館にある冒険家の実録を全て読み切っているローズの方がすごいと思うけど」
だからレイが呆れるのも無理はない。
「ローズは絶対に地理学の学者に向いているわね」
男の子だったらもっと専門的な分野で学ぶこともできただろうにね、と瞳に海の色を宿して呟くレイの言葉に胸がぎゅっとなる。
今だ古い考えが凝り固まったこの街に住む女の子の将来は悲しきかな男の子たちよりも限られる。まだ教育が受けられるだけマシなのだけど、昨今の問題ではある。
だけどわたしの言いたいのはそういうことではない。
この魅力をどう伝えたらいいのやら。
わかってる。
この街に生まれ、この街で育ったわたしの人生はきっとこれからも今のまま変わることなく過ぎていくのだと、本当はわかっているんだけど、想像せずにはいられなかった。