新しい旅立ち
「おい、ローズ……急げ!」
遠くの方からウィルが叫ぶ。
「はぁーい! って、待ってよぉ!」
今日、わたしたちは海に出る。
広くて壮大であたたかく、そして何度も何度もわたしの心を呼び覚ます海の向こうへ。
「遅い! 早くしねぇとあれ見損ねるぞ」
「わ、わかってるわよ。あ、ママがね、これを持ってけって」
両手いっぱいの荷物を見せてニッとする。
「それでね、レイも土産話を待ってるって」
「そっか」
ウィルは優しく微笑んでわたしの頭をくしゃっとする。
「パァパ~メルもぉ~、ってここであの子なら言うだろうね?」
「ああ、きっとな」
そしてウィルは静かにわたしの手を握り、遠く海の先を見つめる。
「きっとどこかで見守っててくれてるさ」
「そうね」
「あの、お熱いところ申し訳ないんですが」
げっ、というウィルの声と同時に姿を表したのは彼の付き人だというエルスさんだった。
我が物顔でブラック・シー号からわたしたちを迎え入れ、呆れた表情をこちらにむけている。
「え、エルス! なんでおまえがここに!」
「ここからの旅路はわたくしが貴方様おふたりのお供いたします」
「はっ?」
「ウィリアム様のそのようにしまりなく浮かれた表情を見る日が来ようとは、わたくしはただただ嬉しい限りでございます。しかしながらこれからの目的はただの夢色桃色の旅路ではございません。節度ある行動を心がけていただけると助かります」
「な、なんだと!」
ぽんぽんと飛び交うふたりの会話に圧倒されながらも、わたしはウィルが再び船に乗ることを許された理由を思い出し、ぐっとこぶしを握る。
これは、期間が決められた旅だ。
だけど、その間に第一王子の呪いを解く鍵を見つけるという大仕事が待っているのだ。
気持ちを新たに臨もうと思う。
それだけにエルスさんの助っ人は有り難い。
「エルスさん、心強いです」
絶対に、期間内に救ってみせる。
今度はわたしが彼の力になりたいのだ。
「ええ、ヤボかとは思いましたが、僕が野獣から君を守るよう申し出ないと兄貴にも殺されかねないからね」
「そ、そんなに危険な旅路になりそうですか?」
(や、野獣って……)
生半可な気持ちではいけないというわけだ。意気込みを改める。
「ええ、ある意味ね」
「え、エルス、てめぇ……」
意味深に笑うエルスさんに猛抗議するウィルにいつもの余裕はなく、絶対的に叶わない相手とはやはり彼のことだったんだな、とウィルの新しい一面になんだかちょっと嬉しくなったのはここだけのお話だ。
(メル……)
何度目かになるセリフを海に向ける。
(メル、もう一度海に出るわ)
わたしたちは信じてる。
何が待っているかわからないこの広い海のどこかできっと、あの子は音色を奏でてる。
きっと今も、そしてこれからもずっと。
一瞬も止まることなく、生き続けるこの広い海のどこかで。
「さて、行きますか」
「おまえが仕切るなよ!」
「いえ、この中で一番海に心得があるのはわたくしですから」
ああ、懐かしい、と微笑む相変わらずのエルスさんとウィルのやりとりにわたしはニッコリ笑った。
デッキの色が赤みを帯びだしている。
今日も一日が終わる……そんな合図が見えた。