ウィルという青年
踏み入れた時、呼吸を忘れた。
そこは、まばゆい光で覆われた楽園だった。
「うわぁーーーー! きれい!!」
まるで海の上に浮かんでいるようだ。
心地のいい波の音に爽快な風が私の体を優しく包む。そしてあたり一面に広がる青々とした海に魅了されてしまっていた。
止まらないと思っていた涙も一気にひっこんでしまったほど。
「そうだな」
くすっと笑ってウィルは先端の方へ歩いていく。あまりの単純さに呆れられたのかもしれない。
遠目に見慣れた景色が見える。
少しずつ少しずつ、距離が離れていく。
寂しくないといえば嘘になる。
ついにこの時がきたのだと全身で感じる。
そして思う。
前方を歩く真っ黒な布に覆われた男。
今は隙きだらけである。
ウィルという男は、何者なのだろうか。
落ち着きを取り戻した途端、だんだん彼のことが気になってくる。
あまりに不気味であるその姿のわりに所作は美しい……気がする。
どうしてだろう。
気にはなるものの、少し怖い気もした。
彼はなぜ、姿を隠してまでこの船に乗り込む必要があったのだろうか。
(そりゃたしかに……)
実際にこの男は船を盗んだ。
傍から見れば私も一緒に拐われたも同然だ。状況だけならかなりのやばいやつなのである。顔を隠す必要はもちろんあるはずだ。
それにしてもこの隙の多さ。
(わたしをなめているのかしら?)
後ろから攻撃されないとでも思っているのだろうか。さきほどから完全に背を向けた状態で海を眺め、思いに耽った様子はずいぶんのんきなものだ。
だからこそなんとなく悪い人に思えない部分もあるのだけれども。
何歳くらいなのだろう?
布を被った後ろ姿を日の光が照らす。
声や話し方からして、そんなに年を取っている気がしない。むしろ若い気がする。
この人は……
「おまえは父さんの部屋を使えよ」
「え?」
バサッという音がして、顔を上げる。
どういうこと?と聞きたかったのだけど、それどころではなかった。
目の前で豪快に黒い布を脱ぎ、それを片手に振り返ったウィルの姿に釘付けになってしまった。
「俺は『タルロット』の方を使うよ」
日差しが強いせいか、その姿はまるで別世界の生き物のように輝いて見えた。
まるで、かつてレイと一緒に観た舞台の一場面を見ているような感覚というか。
「………」
思わず『開いた口が塞がらない』状態になってしまったことを自覚した。
(え、ええっと……)
目の前には同じ年頃くらいの青年が立っていた。
(ええっ?)
髪は少し赤みがかった明るい金色(パンに塗るはちみつのような色)でまるで光沢を含んでいるようにきらきらと輝いている。
瞳はそれによく映える深い新緑を連想させる色だ。
鼻筋がしっかり通っていて整っているというか、芸術作品のように美しい。
この顔こそが特殊メイクかなにかの変装ではないのかと思えてくるほど。
布に隠れていたときはわからなかったけど、全体の見た目だって背が高く、均衡のとれた体つきをしていた。
目を奪われるには十分だった。