長い旅の終わり
目が覚めた時、エルスさんが心配そうにわたしを見ていた。
ダーウィン・スピリ号に乗ったらしい。
ここは、わたしの部屋だ。
「気付かれたみたいだね。もうすぐ君の故郷の街に着く頃だから」
「わ、わたし……」
頭が痛い。息が荒くなる。
そんなわたしの頭をエルスさんは軽く撫でてくれる。
「あの後、船に乗ったんだよ。君は気を失ってしまっていたんだけどね」
よく頑張ったね、と力無く微笑むエルスさんが悲しく見える。
「それにしても、君の旅の相棒が、まさかうちの王子だったなんて思いもよらなかったよ」
「わ、わたしも全然思わなかった……王子様……だったなんて……」
そしてまた思い出して唇を噛んでしまう。
「驚くことばかりだよ。あの王子がローズさんを気に入られたなんてなぁ」
嬉しそうにくすくす笑うエルスさん。
「最後だったとはいえ、あんなにも感情をあらわにしたウィリアム様が拝見できるなんて」
「ま、まさか……」
思わず声を荒げてしまう。
「ずっと彼は王子様に憧れていたわたしをバカにしていたのよ。わ、わたしだって彼がその張本人だと知ってたら、そ、そんなこと言わなかったのに……」
また涙ぐんでしまう。
さんざんやめておけって本人から言われてたんだから。
「いや、あの王子が興味のない女性とおふたりで過ごすなんて、どんな理由であれ、可能性はないはずだよ。たとえ婚約者でもね」
この人にとってのジェクラムアスのウィリアム王子という人の認識はどのようなものなのか。
「でも……」
わたしは……
「幼い頃から王子を見守ってきたよ。兄として、付人として……それでもあの方が女性のことで声を荒げられたのは初めてなんだ」
ふふ、と笑うエルスさん。
「いや、あんなにも感情を露わにされたのは初めてかもしれない」
「えっ……」
「我慢ばかりされていたから、ご自身の感情を表に出すことが苦手なんだよ」
わかる気がする。
「……な、なんだか、嬉しそうですね」
何て言ったらいいのかわからなくて俯くわたし。
彼のことをもっと聞きたいと思ってしまう反面、聞くのが怖かったりする。
今すぐ忘れたいと思っていても、やっぱり気になってしまう。
「すごくすごく嬉しいよ。あの王子が女性に心を動かされるし、なにより若い頃のシャヤ様をまた見られたんだから」
「若い頃の、ママ……?」
どういうことだろうか?
「妹姫と婚約者の前で、堂々と王子の唇を奪ってしまうんだから……」
笑うエルスさん。
「かっこよかったよ、ローズさん」
一体ママってどんな人だったんだろう……
って、
「え? ってことは後ろで泣き出した女性って……」
「ええ。アネリア姫です」
さらりというエルスさんに目眩を覚える。
いや、わたしは一ミリも笑えない。
だ、だって、二ヶ国の姫を敵に回すなんて……
「ローズさんは、王子様に憧れてたの?」
エルスさんがしみじみ聞いてくる。
「か、顔も知らなかったんですけど……今思えばおかしな話ですよね」
毎日に不満があったわけでもつまらなかったわけでもない。
ママもレイもいたし、毎日には満足していた。それでもずっと、本の世界にあるようなあの頃の生活にない何か他の日々に憧れていたのは本当だ。
「僕も、海に出ることに憧れていたよ」
優しい微笑だった。
「ずっとね。そして今も……海には憧れている。ローズさんは、今は、もう王子様への憧れはなくなってしまったのかなぁ?」
「………」
ウィリアム王子。
ずっと、顔も知らなかった王子様。
だけど、物語の王子様と重ね合わせてずっと憧れていた。
本当は意地悪で口が悪くていつも私をバカにして……それでも肝心な時は頼りになって優しくて、辛い時はいつも側にいてくれた。
だから私は自然に彼に惹かれてしまったんだ。
側にいるのだけで、幸せだったのだ。
「今は……」
考えるだけで胸が締め付けられて悲しくなる。
「今は、前より……前より憧れてます」
その言葉を発するのには、やっぱり涙が必要だった。
「本当は、すごく好きだったんです」
言葉にしたら、気持ちがあふれて止まらなくなった。
「ずっとずっと、一緒にいたかった」
王子様じゃなくてもいい。
彼が好きなのだ。
「それなら、やっぱり嬉しいなぁ」
あ、でもそれなら僕が兄貴から怒られるのかな?と笑いながら私の頭を優しく撫でてくれるエルスさんは優しい瞳で外を見つめる。
遠く、遠く……
「さてと、シャヤ様が待っているよ。そして、お友達も……」
エルスさんの微笑みとともにジェクラムアスと記された土地のランプが赤から黄色に変わる。
街に戻って来たんだ。
そして、夢のような旅路は終わりを告げた。