夢から現実へ
すべてが夢であってほしいと願った。
それでも朝はやってきて、現実を告げる。
目が覚めた時、やっぱりメルの姿はなく、どこかの岸に到着したのか船は止まっていた。
そしてウィルの姿もなかった。
夜明けが近いのか、遠くの方が少し明るい。
「ウィル……?」
はっと身を起こし、あたりを見渡す。
「ウィル!」
どこにも見あたらないウィルの姿。
ゾッとしてしまう。
まさか、まさかウィルまでいなくなったんじゃないのか……そう思ったら怖くなった。
慌てて二階に下りると『アカメル国』と書かれた部分が淡く点滅していた。
ウィルの部屋に人の気配はない。
怖い。
ウィルもいなくなってしまうのが。
「ウィル……」
思わず船から飛び出していた。
どうやら船は着いたばかりだったようで、波はかなり立っていた。
薄暗い空の下でウィルがひとり立っているのが目に入り、心の底からホッとした。
「ウィル!」
わたしに気が付いたウィルは軽く口角を上げ、そしてこちらに背中を向けて歩き出す。
これは夢なのだろうか。
ウィルがわたしに背を向けて歩く……だなんて。
「ま、待って! ウィル……」
諦めずにウィルを追いかける。
だけど、浜辺を走るのはかなりきつい。
足が砂の中に沈み込む。
なのにウィルは待ってくれないし、ついに転んで砂まみれになってしまう。
「ぷへっ!」
口の中に砂が入る。気持ち悪い。
髪にくっついていた砂を払っていた時、いつの間にか戻ってきたらしいウィルが目の前に立っていた。
「こんな長い髪してるからだ」
ムスッとしながらも砂を払ってくれる。
「もうっ!」
その瞬間を逃すことなく、ウィルにしがみついていた。
「うわっ!」
不意打ちだったのか、ウィルはバランスを崩して倒れ、その上にわたしまで覆い被さるように倒れ込んでしまった。
本物のウィルだと実感すると離れることができなかった。
怖くて辛くて寂しくて悲しくて……そんないろいろな感情が入り交じってしまい、そのままウィルにしがみついていた。
「ローズ……」
「ダメ! 離さない! ウィルまでいなくなっちゃうつもりなんでしょ! それなら絶対に離さないっ!」
ウィルにしがみついたまま、駄々をこねる子どものように声を荒げるわたしに自分自身も驚いていた。
「怒ってないの?」
倒れたままウィルはわたしの髪を撫でる。
「俺が……俺のせいで、メルを人魚の所に戻したのに……」
「え……」
しがみついていた体を起こしてウィルの顔を見てしまう。
悔しいほど整った顔が間近にあって、一瞬我に返ってぎょっとなったものの、ぐっとこらえるような彼の表情を見ていたら何も言えなくなった。
真っ赤になったウィルの瞳を見ていたら、責める気なんて起きるはずがない。
何かが遠くの方で光ったような気がした。
だけどわたしは吸い込まれそうな彼の瞳に夢中だった。
「怒ってる訳ないじゃない」
「でも……」
「ウィルのせいじゃない! これは誰のせいでもない。ウィル、言ってたでしょ。仕方がないんだって……これは仕方ないことだったんだから!」
だけど、やっぱり涙が出た。
「自分を責めないで。わたしだって、ママやレイのことを忘れたことは一度だってない」
ひとりになると故郷を、あの笑顔を思い出した。
ひとりじゃないのに寂しいと思ったこともあった。
仲間と離してしまうことがどんなことか、わたしは知っている。
「ああするのが一番だったって、わかってる。でも……」
わかっているけど悲しいのだ。
まだこの事実を理解したくないのだ。
いつもわたしの手を握っていた小さな手。
どこからでも聞こえるポテポテという足音。
寝ているわたしに飛びついてきては抱きついてくる、あの小さな体。
ウィル後にくっついて歩き、くすくす笑う、あのメルはもういない。
人魚に戻ってしまったのだから。
「俺はあの時、俺を呼ぶメルに、振り返ることができなかった」
赤くなったウィルの瞳が悔しそうに歪む。
「最後まてかっこいいパパだったわ」
涙が流れたけど、自然に笑みが浮かんだ。
「さみしくなるね」
一生懸命笑うわたしを見て、驚いていた表情を見せたウィルだったけど、つられたように微笑んだ。
そして、また何かが遠くの方で光った。
「ねぇ、何が光ってるのかしら?」
「何って……?」
きょとんとするウィル。
「何か、さっきから光ってる気がするんだけど……気のせいかしら……」
少し明るくなってきたこの海岸を見渡してみる。確かに光った気がしたのだ。
霧も晴れ、景色が一望できる。
香りが……なんとなく懐かしい。
「おい、船の鍵はかけたか?」
ウィルが珍しく語気を強める。
「なぁ!」
「か、かけてない」
そのまま飛び出してきてしまったから。
「ウィル?」
突然、事態は一変したようなウィルの真剣な表情にビクッとする。
「……くそっ。行くぞ、ローズ!」
「え?」
わたしの手を強く引いてウィルは言う。
「ど、どうして……」
「ここを離れるぞ、今すぐに!」
「え?」
「ここは、ジェクラムアス国だ!」
振り返ることもせず、ウィルはただ私の手だけをしっかり引いた。
「でも、アカメル国だって……」
地図上にはそう記されていた。
だから……
「アカメル国はジェクラムアス内にあるんだよ。ジェクラムアスには東と西の海岸があって、おまえの町が西ならここは東だ」
そしてだんだん明るくなり、目の前に聳え立つ、大きなお城が目に入る。
「俺が住んでた辺りだ」
ウィルはそう振り絞るように言って、それから何も言わなくなった。