海と人魚の物語
歌が聞こえた。
息が詰まる。
ごほっと咽せて、目が覚める。
揺れは止んだようで、ゆっくりと瞳を開くと淡い光が少しずつ視界に広がる。
「大丈夫か?」
ずぶ濡れになったウィルがそっとわたしの頬に手を添えたところだった。
「へ、平気……でも……」
ここは……と体を起こすと、柔らかい光に包まれた。
朝なのかお昼なのかわからない。
先程までは夜だったはずなのに、空はほんのりと明るい。
ずいぶん長い時間眠ってしまったのだろうか。
ウィルは立ち上がり、そして海に目をやる。
「何だ?」
遠くの方に見える違和感は、わたしにも目視できた。
一点に広がる明るく輝く赤い光。
歌声は留まることを知らない。
どこからともなく響き渡る。
隣でぼんやりと体を起こしたメルからもじわじわと同じ色の光があふれ始める。
衣装が光っているわけではない。
体中から自然に出ている様子だ。
思わずメルを抱きしめる。
「ま、ママ……」
メルも訳がわからないのだろう。
ぎゅっとしがみついてくる。
「う、ウィル?」
「ローズ、人魚だ……」
勇敢にも船の先端まで歩き、手摺から見下ろしていたウィルの声が響く。
「下で歌ってる」
「い、嫌!」
わたしはさらに力を込めてメルを抱きしめて必死に叫んでいた。
「どうして人魚がいるのよ!」
(だって人魚は伝説の生き物なんでしょ……)
メルの存在を知っているのに、どうしてもこの現実を信じたくなかった。
ひどく嫌な予感がする。
「ロー……」
ウィルが口を開きかけた時、バシャっという音とともに急に水面が上昇してきて、気づいた時には多数の人魚にこの船を取り囲まれていた。
赤い瞳の人魚達が目に入る。
まるでメルのようだ。
「メロディ……様……」
ひとりの人魚が涙を流してメルに呼びかける。
メルはビクッとしてわたしにしがみつく。
海水に濡れた足は尾に変わっていた。
「お返し下さいませ……そのお方を……」
「あ、あなた達は一体……」
「その方はわたくし共の大切な守神様なのでございます」
人魚は涙を流す。
つるんと光を帯びた美しい髪がキラキラ光って揺れる。
「ま、守……神……?」
「メロディ様がいなくなり、海にはひどい災が起きました。生き物たちは住むところを奪われ、わたくし達も……」
「ここは人魚の入り江ですか?」
突然そう尋ねるウィル。
とても真剣な瞳で。
「ええ、そうです」
「それではどうして、メルはイナグロウ国にいたんですか? しかもひとりで……」
ウィルの声がだんだん鋭くなったのがわかった。自身を抑えるように握られた拳がそれを物語っていた。
何人かの人魚はビクッとしたようだったけど、それでもウィルと向き合った人魚はしっかりした声で言った。
「ある人魚が、人間に恋をしたからです」
「え……」
「それは我々人魚にとってはタブーなもの。それでもその人魚は海の魔女に頼んで、自分の心と人魚の命とまで言われる声を売り払って人間になりました。それを知った海の神は怒り、そしてその人魚の生まれてくる子供に海の全てを託し、自分も姿を消されてしまったのです」
人魚は悲しそうにメルを見つめて微笑む。
「その人魚……わたくしの姉は心を失い、メロディ様が生まれて間もなく亡くなったと聞きました。そしてメロディ様ただおひとりがあの場に残されたのです」
想像もしていなかったお話にごくりと息を呑む。
どうすればいいのかわからない。
「メロディ様は心をなくしたままだと存じておりました。ですが……」
ああ、よく似ている……と体を震わせ泣く姿を見てしまうと、愛しいメルに対する気持ちが痛いほど伝わってきた。
それでも……
「ママ……?」
メルは赤い瞳で心配そうにわたしを見つめる。
わたしも精一杯の力でメルを抱きしめた。
(大丈夫)
今は、メルのママはわたしなのだ。
そう自分に言い聞かせた。