招かれた場所
「まぁまぁ〜、このしゅーぷ、おいし~よぉ」
メルがサーモンスープを口に含むたび、おいしいおいしいと笑顔を作る。
口のまわりをパンの粉だらけにしていて、可愛い。
「ありがとう」
「確かに。初めの頃に比べてずいぶん食べられるようになったよな」
ウィルもいたずらに口角を上げる。
「なっ!」
言い返せない。
悔しいけどウィルの言うとおり、初めの頃は本当に何を作ってもうまく行かず、幾度食材を無駄にしたことか……思い出すだけでも申し訳なくなる。
でも、今はなんだか懐かしい。
「確かにおいしい」
不思議だ。
どうして今日はこんなにもあの頃のことを思い出して感傷に浸ってしまうのだろうか。
「はいはい。ありがと……」
「誉めてんのに?」
「最初の言葉が余計よ!」
「きゃははっ……」
そんなわたし達を見て笑うメルの明るい声は暗い海に遠く遠く響く。
この暗い海が怖くてディナーはずっと中で食べることがほとんどだったけど、今日は何とも思わなかった。
そしてわたしも自然と微笑んでいた。
「なぁ、ローズ……」
ウィルが果てしなく広がる暗い海を見つめる。
なぜか勝手に進み続けているダーウィン・スピリ号。
この船は、一体どこを目指して進み続けているのだろうか。
珍しく言葉を詰まらせるウィルを見てしまうと、やっぱり不安になってしまう。
「これ、どこに向かって進んでるのかしらね?」
わたしの言葉にウィルは立ち上がる。
「何をどう触ってもピクリとも動かねぇんだ」
低いウィルの声にぞわっとした感覚が走る。
「あの場所は、イナグロウとジェクラムアスの間だ」
「そ、それって、戻ってるって……こと……?」
声が震えた。
すごく怖かった。
幽霊が出たり、嵐が来るのも、どこへ進んでいるのかわからないこの現実が怖かった。
(ああ……)
だけど、それと同じくらいジェクラムアスに戻ることが怖かった。
「ローズ……」
ウィルがまたわたしの名を口にする。
今度は真剣にわたしの方を見て……
「三人で住まないか?」
「え……」
「このまま、三人で……もう、戻らないで……」
ドキリとした。
だって、そう言ったウィルの顔が、凄く寂しそうだったから。
それに、ウィルがこんなことを言うなんて思ってもみなかったから。
「ウィル……それってどういう……」
どういうも何もそのままだろう。
だけど聞き返さずにはいられなかった。
「このまま、海で暮らすんだ。よく合う土地が見つかれば、そこに住んでもいい。俺は……」
待っていた。
ウィルが話し終わるのを。
全身が心臓になったようにドキドキしている。
「あ、いや、おまえが王子にふられたら……かな」
「なっ!」
ほんの少しの間をおき、何も答えないわたしにそう付け加えるウィル。
嫌だと誤解されてしまったのだろうか。
「そ、そんなんじゃなくって……」
顔にほてりを感じる。
(今、伝えるべきなのだろうか)
本当はもう王子様のことは心の片隅にもなかった。
今、わたしが想っているのは……
「ウ、ウィル……」
でも、もしこの関係が崩れたら……
「わ、わたし……」
とても怖い。
言葉が続かなくなってしまう。
消え入る言葉を必死に紡ぐわたしを見つめるウィルの瞳がとても優しくて、いつもの調子でうまく言えない。
いつでも言う機会はある。
そんな風に思っていた自分の甘さが嫌になる。
だけど、この時、はっきり言っておけばよかったのだ。
あとから悔やんでも、もう遅い。
その時、ことは起こった。
「きゃっ!」
がたっと船が揺れて、急に波が強くなったことを感じ、わたしたちは動けなくなる。
「な、何だ……あれ……」
メルとわたしを支えながら、そう叫ぶウィルの指差す方向を見て、息を呑んでしまう。
日の光が沈み、失われた空や海の色とはまた違う真っ黒な穴が、この船向かって迫ってきている……というか、この船がそっちの方に向かって進んでいた。
「ウ、ウィル……」
「ダメだ! もう、ハンドルを切ってる暇もねぇ! 来るぞ!」
抗う術がない。
わたし達を乗せたダーウィン・スピリ号はその穴に引きずられるように吸い込まれ、力一杯私とメルを自身の体でカバーしてくれるウィルにしがみついていた。
海水がデッキに入ってくる。
お気に入りだったマットや食べ物は流れてしまう。
船もガタガタ揺れて、目を開くことさえできなかった。
生きた心地がしなくて、終わりの時を感じた。