好きな人
「俺のは平気だ。なんとかするから」
ウィルの真剣な瞳はしっかりとラマ国のある方向を見据えている。
「それにもう……」
「………」
信じたくない現実はここにもあり、返す言葉もなくなる。
「あ、あの、ウィル……」
「ローズ」
「はっ、はい!」
「話すから」
「え?」
「全てが解決したら、ちゃんと話すから。俺が言ってなかったこと全部」
「全部って……もうっ、本当に隠し事が多いんだから」
もう慣れたわよ。
努めて笑ってやると、ウィルも力なく頬を緩める。
「言えないことは言わなくていいわ」
「悪いな」
いいのよ。
ウィルの言う『すべてが解決した』とき、まだその隣に自分がいることが許されたような気がして嬉しかったのだから。
「あれ……? そういえば、メルは?」
「ああ、わたしの部屋にいるわよ」
「また、寝てるの?」
心配そうに聞いてくるウィル。
「ずっと窓の外を見ているわ」
「なんで?」
えっと……と、言葉を選ぶ。
言いにくい。
「京さんの弟の扇君に、別れの挨拶をしてないからよ」
メルはラマ国で、京さんの弟の扇君ととても仲良くなった。
五歳の扇君は歳も近いこともあり、メルの良き遊び相手になってくれていた。
メルもいつも楽しそうに笑っていた。
だから出航が遅れることになっても、メルが退屈しなくてよかったと思っていた。
「確かに仲はよかったけど、まだ引きずってんのか? メルらしくもねぇな」
やっぱりこの人は鈍感だ。
「ウィルは人を好きになったことないの?」
はーぁと大げさに溜息を付きながら言ってやった。
「なんだよ、いきなり……」
「興味なさそうだなぁ、と思って」
「なっ、王子が好きなおまえに言われたくねぇな! って、まさか……」
「そう。初恋じゃないかしら?」
十六で初恋をした人もいるけど。
「は……」
「は・つ・こ・い」
そんな単語聞いたことがない!というように顔をしかめるウィルに笑ってしまいそうになるのをこらえ、わたしは続ける。
「あの子は扇君が好きだったんだと思うのよ」
ウィルが固まるのがわかった。
「なっにぃーーーーーーーーーーーー!」
それも束の間。
珍しく興奮するウィルの声が響く。
「な、何もそんな大声出さなくたって……」
だけど、わたしの声は彼の耳には届いておらず、ただ一転を見つめて呆然としている。
あまりにショックのようで、その姿がますます笑えてくる。
父親という存在が、娘の恋を知るときは本当にこんな反応をするのだろうか?
舞台の中でもお決まりの出来事だったけど、実際に目の当たりにしたことがない。
そのため、珍しく取り乱したウィルの姿が楽しい。
「すっかりパパになっちゃって……」
「何がおかしいんだよ!」
笑いごとじゃないぞ、とウィル。
「あはは、そうね。ごめんなさい」
普段は絶対涼しい顔を崩すことのないこの男にこんな顔をさせられるのはメルくらいではなかろうか。
そう思うと、さすがはメルである。
「でも、確かに心配ね」
ずっとこもったままなのである。
まだなにか憤慨しているウィルをおいて自分の部屋へ向かう。
室内ではメルがボーッと窓の外を見つめていた。
先程と同じように。
「メェ〜ル♪」
「ママぁ……」
明るく振る舞って入室したわたしはメルの寂しそうな瞳を見て言葉を失う。
「今日はお船が変ね。勝手に進んでるのよ」
できるだけ穏やかに、にっこり笑って隣に座るわたしにメルは力いっぱい抱きついてくる。
「メル……」
メルは声を押し殺して泣いていた。
「ママ……メリュ……メリュね……」
メルの言葉は咽せながらでよく聞こえない。それでもメルは続けた。
「メリュ……ばいばい…いってないのにぃ…」
「扇君に?」
わたしの服をしっかり掴んでメルは頷く。
「ということは、お別れじゃないんじゃない?」
「え……」
涙で顔をぐちゃぐちゃにしたメルは顔を上げ、わたしを見つめる。
「ママは、また出会うために言わなかったんだと思うけど、どうかな?」
きょとんとするメル。
「ほんとう……?」
「ええ。メルの好きな人だもの」
また会えるわ。
「しゅきなひと?」
メルの金色に輝く髪を優しく撫でる。
「そ。好きな人。違うかな?」
決めつけは良くないけど、大切な人。
「そえってなぁに?」
うるうると大粒の涙を溜めたメルの赤い瞳に興味津々にわたしを映す。
「ママにもいるの? しょの人……」
「え……わ、わたし……?」
今度はわたしが戸惑ってしまう。
そう切り返されてもねぇ。
子ども相手になにを焦っているのか、情けない話だけど困ってしまう。
「い、いるわ」
意を決してそう告げると、やっぱりウィルの笑顔が脳裏に浮かび、顔が火照ったのがわかる。
「しょおなの?」
「好きにはたくさんの種類があるのよ」
目をごしごし擦って、興味津々にわたしを見つめるメル。
「お友達やパパやママに対する思いも『好き』のひとつだし、その人のことを想うだけで心が暖かくなれる……そんな『好き』もあるのよ」
わたしも今の今までわからなかった感情なのだけど。
脳裏に浮かぶその人を思うと、自然と頬が緩んだ。
「メルには難しいかもね」
思わぬ自分の言動からはっと我に返ってまた燃え上がるように熱くなり、そう慌てて付け加えた。
「で、でもね、どちらの好きでも大切な気持ちに変わりはないわ。また会える。ね? メルもそう思うでしょ?」
メルは少しの間、わたしをじっと見つめていたけど、それでも満面の笑みを浮かべて頷く。
「うん!」
「よし! それでこそメルね! ディナーはデッキに行きますかぁ~!」
「オー♪」
すぐにメルはダッと部屋を飛び出して行く。
真ん中の部屋からピクニックセットを物色しているのだろう、ゴソゴソと音を立てて移動するメルを見て、微笑ましくなった。
「さっすが、母上」
いつの間にか戸口に立っていたウィルがにこっと笑ってガッツポーズを送ってくる。
「き、聞いてたの?」
「そりゃ、あんな大声で話してたらなぁ」
クスクス笑う彼に、顔から湯気が出そうだった。
(ど、どこから聞いたのよ?)
「特にあの、その人のことを想うと……ってやつが良かったよ」
「は?」
さ……
「王子様への想いがよくわかったよ」
最悪である。
楽しそうに踵を返すウィルはメルの持つ荷物を奪い、ともにデッキに向かうよう促している。
メルも満面の笑みできゃっきゃとはしゃぎながら後ろに続く。
その姿を、わたしはただじっと見つめる。
「王子様への想いじゃないわよ」
唇をわずかに動かしたその言葉は、きっと誰にも届いていない。
想えば想うだけ、胸がきゅっとなる。
(ウィルはどう想ってるのよ)
もうこの気持ちは止められないのに。
(この前の、あれは……)
言葉にならない想いを胸に、わたしはその場に座り込んだ。