~第3幕~
マジカルバブリー。
彼らが結成されたのは伊達賢治と江川傑のそれぞれが20代前半の時のこと。
賢治は高校生がお笑いに挑戦する番組で名声を集め、高卒とともに吉原興行に入社。
それからお笑いコンビを結成しては解散してを繰り返していた。
長いこと地下芸人として活動し続けるなかで愛知の大学でお笑いサークルの活動に励む傑に声をかけられて新たにコンビを組む事に。それが世に羽ばたくマジカルバブリーの誕生だった訳だが、それからも彼らは辛酸を舐め続けた。
傑は大学を卒業すると同時にマジカルバブリーを解散するつもりでいた。
就職活動で内定をとっていたからだ。
しかしその決断をしようとする最中で彼らは漫才王GPでの躍進を遂げる。
数年突破できなかった準々決勝を突破したのだ。
それに合わせてお笑い番組やライブのオファーもくるように。
傑はその躍進に奮いたって吉原興行の芸能学校に入学、大手自動車メーカーの内定を辞退した。
翌年、遂にマジカルバブリーは漫才王GPの決勝に進出する。
しかしその結果は散々なものだった。
審査員の下村江里子から散々な酷評を生中継のなかで喰らう。
彼らの心は折れてしまっても可笑しくはなかった。
でも、彼らはめげなかった。それからもコンビとしての活動を続ける。
数年後、再び漫才王GPの決勝に彼らは現れた。そして念願の優勝を果たす。
「もう、ここまできたら馬鹿馬鹿過ぎるのが芸術! 素晴らしい!」
下村江里子からも絶賛のコメント。
しかし当時から流行り出したSNSで「これは漫才なのか?」という声が溢れだす事態に。
マジカルバブリーはリズムにのりながら漫才を展開するスタイルでずっとやってきていた。
それが本当に漫才なのかとここに来て議論を呼ぶ事に。
だが、そんなもの彼らにとっては何でもない嫌味に過ぎない。
伊達賢治が飛ぶ勢いで人気テレビタレントとなったのはこれまで記してきたとおりだ。
そんなドキュメンタリー番組をホテルの一室で煙草を吹かしながら観る。
彼ほど忙しくはしてない相方の江川傑。
お笑いからは離れて彼も賢治と同じく役者としての活動をメインにしていた。
ドアをノックする音。
「おう。入れよ」
明日は吉原買収を世に発表する日だ。
おそらくこれまでの人生のなかで最も話す日になるだろう。
「高平? 松井?」
入ってきたのは賢治でなかった。
クリスタルエデンで経理を担う男と渉外マネジメントを担う男だ。
「すいません。伊達さんから今日は俺たちが行ってくれと頼まれて」
「いや、お前ら、明日の会見でも参席しないだろうが?」
「明日の会見は中止っすよ」
「何だって!?」
「吉原が動いています。伊達さんが何者かに襲われました」
突然の出来事に傑は言葉を失うに他ならなかった――