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「実は俺、茹で卵萌えなんだ」(CV:杉田和智)②

 不意に――ヴィエルの脳裏に、過去の記憶が蘇った。

 葛西有利の記憶を取り戻してからは思い出さないようにしていた――ヴィエル・アンソロジューンという男の記憶を。


 ヴィエルを産んだ女は、間違いなく母親としては失格の女だった。


 生まれ持った美貌と若さだけを頼りに、朝から晩までそこらをフラフラと蝶のように惑い、適当な男を見つけてはすぐに男女の関係になり、対価として僅かなカネをもらう生活。アンソロジューン公爵と一夜の関係を持ったのも、わずかなカネを目当てにした故のものだった。


 しかし、その行為の末にヴィエルという子供が生まれると――母は案の定、自分に不相応な野望を抱いた。すぐさまアンソロジューン公爵家に行き、ヴィエルの存在をネタに公爵家を強請りにかかったのだ。


 何度も何度もしつこく公爵家を訪れ、莫大な額のカネをせびる母の姿は、ヴィエルには悪魔のそれとしか映らなかった。自分の手を引いたまま、これこそが公爵家の醜聞の種そのものなのだと主張する母の下卑た声を間近に聞き続ける日常。そんな毎日は、着実にヴィエルの中に消えない闇を形成していった。


 自分は要らない子、公爵家の醜聞そのもの、カネをせびるためだけに生まれた子――。


 しつこく何度もタカリに来る母にうんざりしたアンソロジューン公爵が、遂にヴィエルの存在を認知し、莫大な手切れ金とともにヴィエルを引き取ることになったのは、ヴィエルが十歳のときだった。普通の人間ならば一生分は遊んで暮らせる額のカネを手に入れた母は、それ以降一度も公爵家に顔を見せたことはない。ヴィエルは実の母に売られたのだ。


 公爵家に引き取られてからは、ヴィエルは生活に不自由しなくなった。男の世子がいなかったアンソロジューン公爵はヴィエルを妾腹ながら跡取り息子として遇したし、突然明らかになった弟の存在にも、半分しか血の繋がらないアストリッドの反応は淡白なものだった。しかし――そのことが却ってヴィエルの中の消えない闇を更に大きく、深くした。




 こんなに満たされた生活を送っていても、決して満たされないもの――。

 その心の空虚は、恵まれた生活を送っているからこそ、ますます大きくなる。

 自分は一体何のために生まれてきたのか。

 自分は一体何を手に入れれば満たされるのか。

 自分は――自分は一体、何をすれば、欠落のない、普通の人間になれるのか。

 ヴィエルの心の中に果てしなく広がっていた飢餓感が――今まさに心の縁から溢れ出していく。



 

 悔しいだろう、惨めだろう、恥ずかしいだろう。

 「俺」はこんな嘲りと侮蔑の中で今まで生きてきた。

 誰も何も与えてはくれない人生を。

 一方的に奪われ、嘆くだけの人生を。


 たまたま手に入ったこの人生は偽物、ハリボテだ。

 「俺」が生きるのは常に餓鬼の道だ。

 貪れども貪れども決して満たされることのない飢餓の人生。

 それが「俺」の――「俺たち」の生きる道だ。


 嗚呼――そうかもしれない、そうだったかもしれない。

 これは葛西有利が感じている悔しさではない、ヴィエル・アンソロジューンが感じている悔しさだ。

 誰からも愛されず、誰からも尊敬されず、誰からも必要とされない。

 地面を這いつくばり、指をさされて嗤われるだけの、惨めな人生。

 それがこんなに悔しいことだとは――知らなかった。

 なんでんかんでん普通に生きてきた俺と、お前とでは――何もかもが違う。

 ヴィエル、お前はこんな恥辱の中を、こんな怒りの人生を。

 こんなに深い絶望の中を生きてきたんだな――。




 ヴィエルの頭の中から、コソコソと聞こえてくる嘲りの声が遠のいた。

 代わりに、身体の奥底が冷えて、そこから真っ黒い氷水のようなものが溢れ出す。

 それはやがて心臓を介して指先まで伝わり――全身を冷やしてゆく。 




 心配することはないぜ、相棒。

 「俺たち」には力があるんだ。

 世界を破壊し、歪めても許される力が。

 今回は特別に「俺」の力を貸してやる。

 さぁ、葛西有利――「俺」の無二の相棒よ。

 今こそ奪われる側から奪う側へ回るんだ――。




「……どいつもこいつも、うるせぇんだよ……」




 ぐい、と口元を拭い、ヴィエルはよろよろと立ち上がった。その声の低さに、モブたちの嘲りの声が消えた。


「どいつもこいつも、貴族連中なんてクズばかりか。勝手にあっちとこっちとを分けて、人から奪い取ることを正当化しやがって……」


 どろり……と、ヴィエルの中から何かが溢れ出し、全身に満ち満ちる。突如様子が変わったヴィエルに、ロイドが少し怯えたように見えた。


「ロイド、ロイド・バルドゥール。お前は詳しく付き合ってみりゃ結構いいヤツなのかもしれねぇよ。けど――所詮は貴族なんだ。何が正々堂々だ、何が自分の力を示す、だ。お前も……力のない人間は奪われて当然、って、そう言ったんだよな」

「な、何だと……!?」

「結局はお前も『あっち側』ってこった。奪われる側の痛みを知らねぇ、これまでもこれからも、人から奪ったものに囲まれて生きていく……それがお前らの生きる道だ。自分は奪う側だって信じて疑ってねぇ人間なんだ」

「おのれ、何をゴチャゴチャと……! もういい、これで終わりにするぞ!」


 ロイドが木剣を構え、地面を蹴ってヴィエルに飛びかかった。そのまま両手で構えた剣を大上段に振り上げ、真っ向からヴィエルの顔面を狙う。


 気合の怒声とともに振り下ろされた木剣が――ヴィエルの顔面を捉える寸前で、止まった。


「な――!?」


 ロイドが驚愕の声を上げた。真っ向からヴィエルの顔面を叩き割るはずだった木剣は、電撃的に動いたヴィエルの左手によってガッチリと掴まれている。


 一瞬、完全に放心したのも束の間、次の瞬間には流石の反応速度で間合いを切ろうとしたロイドだったが、一体どういう剛力で掴まれているものか、ヴィエルに掴まれた木剣はビクともしない。


 間合いを切ろう、飛び退ろうと躍起になっているロイドに向い――ニヤ、とヴィエルの口角が持ち上がった。




「じゃあ……もし俺に力があったら、何を奪われても恨まないんだよな?」




 は――!? と息を呑んだロイドの顔が引きつった。瞬間、ヴィエルの身体を中心に黒い霧のようなものが噴出し、辺りに拡散する。


 凄い、これが、これがヴィエルの、「俺たち」が持った力――。

 その感動が消えないうちに、ヴィエルは思い切り右足を振り上げ、ロイドを真正面から蹴り飛ばした。


 肉を打ち、骨を砕く湿った音が辺りに拡散し、ロイドの身体が宙を飛んだ。地面を転がることもなく吹き飛び、ロイドは決闘を見守っていたモブたちの人垣に真正面から突っ込んだ。


 ワッと人垣が割れ、モブたちの間から悲鳴が上がった。


「おお、これはいい……強い、っていうのはいい気分だな……」


 クス、と笑うと、モブたちがあからさまに怯えた。


「どうした、ロイド。随分無様に寝転がってんじゃねぇかよ。俺は今、滅茶苦茶気分がいいんだ。とっとと立ち上がれ、相手してくれよ」


 小馬鹿にした口調で軽口を叩いたヴィエルを、ロイドは怒り半分、驚愕半分の表情で見た。木剣を杖にし、随分と頼りない感じで立ち上がったロイドが、剣を構えつつ、呻くように問うた。


「お前……! その力、一体何の魔力だ!? 一体なんなんだ、こ、このどす黒いオーラは――!」

「知らねぇよ、いちいち自分の力に名前つけたりなんかしねぇ主義なんだ。……おら、手加減してやるよ。俺はここから一歩も動かねぇ、防御もしねぇ。好きに打ち込んできていいぜ」


 腕をだらりと下げ、無用心に身体を開いたヴィエルに、ロイドの額に脂汗が滲む。


「くっ、随分とナメられたものだな……! 多少魔力が目覚めた程度で俺を手玉に取れると思うなよ! ……おいィィィイイイッ!!」


 怒りの咆哮とともに、ロイドが砲弾のような勢いでヴィエルに斬りかかる。地面スレスレからすり上げた鋒でヴィエルを狙った剣先は、瞬間、ヴィエルの身体から噴出した黒い霧によって鋭く弾かれる。


「んな――!?」


 ロイドのような魔法には詳しくない人間から見ても、それは十分に有り得ないことだとわかった――魔力が魔法的効果を発揮する前に形を為し、物理攻撃を弾くなどということは。


 ロイドが目をひん剥いた瞬間、ヴィエルの身体から放たれる黒い霧が収斂し、一切の光を飲み込む漆黒の剣へと変貌する。一瞬棒立ちになったロイドを、漆黒の剣は何の慈悲もなく薙ぎ払い――再び、ロイドの長身が吹き飛んだ。


「おやおや、もう俺に触れることさえ出来ないっぽいな。参ったな、俺は何も考えちゃいないんだが……魔法ってのはつくづく便利だなぁ!」


 ゲラゲラと嘲るように大笑いしてから、まだ立ち上がることの出来ていないロイドにのしのしと歩み寄ったヴィエルは、髪を鷲掴みにしてその大柄を引きずり起こした。


「ぐ……!?」

「ああ、いい表情だな……お前、リンチ喰らってるときの野良犬の表情って見たことあるか? もうやめてください、お願いします……そういう顔してるぜ、お前」

「な、何だと……!? こ、この……!」

「おっと、まだそんな目ができんのか。こりゃ失敬、お前の頑丈さをナメてたよ……!」


 瞬間、ヴィエルはロイドを掴んだままの右手を大きく振り上げた。ただそれだけで、一八〇センチ以上あるロイドの身体が、まるで小石のように広場の中心へと吹き飛んだ。


 手に絡みついた赤銅色の髪の毛を汚いもののように散らしながら、ヴィエルはわざとゆっくりとした歩みで這いつくばるロイドに歩み寄り、その顔を右足で踏みつけた。


「ぐ……! ぐおぉ……!?」

「あはは、こりゃいい眺めだなぁ。貴族の令息様が地面にお這いつくばりになってやがる。思ったより頑丈で嬉しいよ。これならあと何発かぶちかましてもそう簡単には壊れねぇだろ。あと何発耐えるかな? ――おーいみんな、余興だ、賭けを始めようぜ」


 朗々とした声でヴィエルは衆目に語りかけた。怯えているモブたちに向かって、ヴィエルは笑顔で語りかけた。


「今からコイツが何発俺の攻撃に耐えられるか予想するゲームだ。俺はあと五発って踏んだが――どうかな? みんな、何発に賭ける? 誰かノッてくれ」


 良心の呵責など微塵も感じていない――否、良心など最初から存在しない人間の声。その声はどんな恫喝の声よりもモブたちを恐れさせた。ヴィエルがニコニコと呼びかけても、誰も何も言おうとしない。


「おいおい、何ビビってんだよ? ただの余興だって言ってるだろ。この学園では博打はNGだったか? そんな話は聞いたことがないぜ。みんなノリが悪いな。これじゃ賭けになんねぇじゃねぇか――」




そろそろ完結させます。


ブクマ、★にて評価していただけると

管理人がスライディング土下座で喜びます……!

なにとぞよろしくお願いいたします(暗黒微笑)。

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