① 追放すらされない!
「本当にごめんよ、アリア。神に導かれし運命の出会いに翻弄されてしまった僕を、どうか許してくれ」
「わ、私たちは、もう婚約していて……」
「まだ婚姻はしていない」
「で、でも、私はあなたの、命の恩人のはずでは……?」
ここは、私アリア・スカーレットの未来の旦那様、アンドリュー王子の寝室。私は今、扉を背に押さえ込まれ、ほぼ泣き落とし状態で婚約破棄を迫られている。
少し目線をずらすと、そこのベッドの上には。
今にも泡となって消え入りそうな、かくも儚げな美少女が裸体で毛布にくるまっていた――――。
***
星々がこぼれ落ちそうな夜空のもと、私は紺碧の海をただ静かに眺めている。今宵も王家の豪華客船クルーズにて、王族貴族の面々が晩餐会を満喫中だ。
私もその関係者のひとり。今はパーティーでのあいさつや語らいに疲れ、ひとり甲板に出て夜風に当たっているところ。
そういえば、会場でしばらくアンドリュー様の姿も見られなかった。人だかりの中ですらひときわ輝く、あの方がいなければすぐにでも気が付く。
しかしわざわざ探したりはしない。年がら年じゅう、船上の社交パーティーで花開く人々の集まりだ。王子も気疲れの多いことだろう。
「アリア!」
降りそそぐ月明かりの中、名を呼ばれ私は振り向いた。
「アンドリュー様」
風と共に走り来た彼、アンドリュー王子はずいぶん着崩した風体でいる。それでも溢れる気品ただよい、十分に見目うるわしい。
やはりお疲れだったようだ、自室でお休みになっていたのか。
「どうされました? お休みになっていなくて良いのです?」
どうしたのか聞いてはみたけれど、本当は分かってる。ここで私とふたりきり、ゆっくり語り合おうと、来てくれたのだろう。彼はとても可愛らしい人だ。
「こっちへ来て、アリア」
「え?」
何の前置きもなく、彼は私の手を取り駆け出した。
どちらへ向かうの?とは聞くまでもなく、私は知る。その順路の先には、王子の寝室。
まさかこれは。もしやこれは。
今宵私は、王子の白く美しい指になぞられ、そのスレンダーで引き締まる胸に包まれ、とうとう少女を脱ぎ捨てるとかいう……そんな感じのめくるめく何かが起こるのだ。
いったいどうなるんだろう?
でも、いつでも心の準備はできております。婚約者ですから!
私の手を引いて寝室に入った彼は、突然、背後の扉に私をドンっと押し込めた。
王子の寝室と言っても船上のものなので、そこはいくぶん狭く、調度品も最小限であるが、馴れそめの雰囲気としては十分だ。
「ああああの、私、実地経験はございませんが、教育係にすべて教わり予習は完璧にこなしておりますのでっ」
「アリア、僕たちの婚約を解消させて欲しい」
「そそそそれからパーティーの前にちゃんと身体を隅々まで拭いておきましたので、パーティーで多少汗をかいてしまいましたが、それも意外と趣深いものと聞き及んでおりますし……って、え??」
今、彼は何て?
「嵐の日、難破した船から投げ出され気を失っていた僕を、君が海岸で見つけその癒しの力で介抱してくれた。君あっての今の僕だけれど、もう心に嘘はつけない」
迫ってきていた彼は、そう言いながら後退りした。すると私の視界に、奥のベッドの上で、もこっと存在する何がが見えた。
そこから更に奥へと目をやると、枕元にブロンドの頭……。
「抗えない恋に焦がれてしまった。可愛い彼女しか、もはや僕の目には映らないんだ」
彼がベッド脇に移動したら、ベッドの上のその人物が気付いたか、おもむろに上半身を起こす。
驚くほど透けるような白い肌に、天使のような愛らしい顔立ちの少女。
彼女は確か、王子が一月前、海辺で倒れていたところを保護したという……。
一応紹介はされていた。彼女は声が出せないとかで身元不明のまま、それが分かるまで彼が庇護するという話であったが。
「で、でも、そちらのお方の出自は、まだ分からないのでございましょう?」
「出自が何だ。この滾る情熱の前で、そんな障壁など存在しない」
「あなたはおっしゃいました。命の恩人である私を、生涯大切にすると」
「生涯にわたり感謝する。しかしこうなった以上、婚約状態を続けていても」
こうなった以上って、勝手にそうなったのでしょう! 私自身は何も変わっていません!
「あと、君の方からこの婚約を白紙にしたということにしておいてくれ」
「は? どういう意味ですか?」
「そうでなければ、これから婚約し次期王妃となる彼女にあらぬ疑いがかかるだろう」
もはや疑惑だらけの女じゃありませんか!
「君は心の美しい聖女の家の出なんだろう? 声を失った哀れな彼女のことを、思いやってくれるよね?」
思いやりを要求されてしまった……。なんて理不尽なの。ああ、頭が働かない。
「申し訳ないと思っているのは本当なんだ。だから君にすぐ出ていってとは言わないよ。ここで引き続きパーティー三昧の暮らしを続け、よきパートナーと巡り合っておくれ。紹介できる人がいるといいのだけど。うん、一応探してみるよ」
「は、はぁ、ありがとうございます……」
え? えっ??
「じゃあ今はここから出ていってくれ」
私は笑顔の彼にぺいっと放り出された。
「なにこれ……」
青天のへきれき、藪から棒、寝耳に水、信じられない、こんなのありえない。
私の、代々受け継がれし“聖女の力”を使ってがっつり手に入れたはずの王子様。
絶対に取り返してやる!!
***
私は、領地のほとんどが森林という零細な男爵家の娘、アリア・スカーレット17歳。身分、容姿、芸術的才能、世渡り能力、どれをとってもごく並の令嬢である。
ひとつだけ、よくいる華やかなご令嬢方より抜きんでた技能があるとすれば、治癒の力を持つ者の血を受け継いでいることだ。
古来より人々は、手をかざすだけで傷や病を緩和する治癒力を有難がり、我々を聖女と呼び尊んでいた。
元来この聖女の血は、貴族階級のものではない。平民だった私の母が鹿狩りに出かけた貴族の父と、たまたま出逢って恋に落ちた。そこで貴族兼聖女の誕生だ。
きっと母も、元から貴族になるとかそんな野望があったわけではない。村で人々の看護をし、慎ましく生計を営む先祖代々からの暮らし、それで十分だっただろう。
しかし図らずも貴族の男性に愛され、平民にしてみればプリンセスのような、華々しい生活が突として舞い込み、彼女の価値観は変わったのだ。
「娘にもぜひプリンセスになってほしい。それが女の幸せだから」と。
私は成長過程でそんな彼女の暗示を存分にかけられ、ある日、聖女の家に代々伝わる“神秘の鏡”に尋ねた。
「鏡よ、鏡。どうすれば私、プリンセスになれるかしら!?」
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