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第伍拾陸話 最終決戦 前編

元々本国以外はお金をかけないようにしていたソ連であったため旧日本でも例外ではなく工場や基地以外はほとんど近代化されていなく、日本奪還計画を思う以上に進んでいった。


1951年6月上旬

大和民族解放戦線は元右翼系ヤクザや元右翼団体などからなる武装組織を大量に吸収し、更に、琉球共和国からくる援軍により、総員は50万名を超え、勢力範囲は中部・近畿・四国・中国地方全域、関東の一部にまで達していた。ソ連軍からくる援軍は原子力潜水艦による海上封鎖により援軍の上陸が拒まれ、物資だけ奪われ兵は海に捨てられていった。


――――根拠地 静岡市・瀬名


「こんなにうまくいくとは思っていなかったぜ。」


「自分もこんなにうまくいくとは思っていませんでしたよ。」


「これからどうするきだ?」


「琉球共和国に残してある第1航空艦隊と2025年の兵器。第1航空艦隊で現在使えるのは大和と武蔵、信濃と量産型空母雲龍改(ソ連から給与された艦上戦闘機を搭載できるように改装した)7隻、2025年の空母赤城と天城、イージス艦5隻、高速ミサイル艇3隻、等。2025年当時の航空機は約210機。F-3が140機。F-3の強襲揚陸艦搭載versionが40機。心神偵察機versionが約30機です。琉球共和国に給与されたMig-29やSu-33と思われる艦上戦闘機は雲龍級の改装費用もそんなに出せなかったため1隻あたりMig-29が約35機もしくはSu-33が約25機。車両は20式戦車が53両。10式戦車が17両。15式機動戦闘車が70両。近接戦闘車が58両。これだけの部隊を九州の鹿児島県に上陸させ、中国地方から福岡へ上陸、四国から宮崎へ上陸。3方向から攻める。東北と関東攻めはまず東京を除く関東を最初に制圧。そのあとに北陸・関東の2方向から直江兼続の奥羽出羽合戦の時みたいに攻めます。その後北海道は攻め込まないで、大和民族解放戦線の大部隊を率いて東京を包囲します。」


ここで渡慎からの質問があった。


「おい、紅蓮崎。質問なんだがちょっといいか?」


「ああ、好きに行ってくれ。藤浪大佐と梶原長官と話した結果だ。」


「なぜ東京を避けた?」


皆さんも不思議に思ったと思う。なぜ東京を避けたのかと。


「ソ連侵攻時、東京にはかなりの軍隊がいるだろうと考えたソ連軍はすぐさまつぶすために大軍団を配備し東京を囲んだ。しかし、もぬけの空だった。その頃はもう日本本土の70パーセントが制圧されていて、動く必要性がなかった。大軍団はその場で待機。東京はソ連占領日本地区での本部となりその周辺は本国並みに整備が行き届き装備も半端なく強い。いきなり攻めたら敗れる。包囲して攻めるべきだと。」


「成程。納得した。」


「では、異論はないな。」


「なしだ。」


「俺たちは関東攻めに行く。関東攻めには俺たちに吸収された右翼団体により作られた反ソ連武装組織の幹部の永島恭一さんも来る。この方はあの永島さんのひ孫にあたる人だ。この人は山梨と静岡の県境での戦いでソ連軍の車両を片っ端から奪い大打撃を与えさせたひとだ。」


「そうか。それは心強いな。」


「よし、みんな行こう。俺達の日本を取り戻すんだ。」


「ああ。」


こうして紅蓮崎たち大和民族解放戦線による日本奪還の最終決戦が始まろうとしていた。


7月5日朝4時 鹿児島湾

――――赤城CIC


「そろそろ上陸準備だ。F-3による九州上陸支援を行う。全機発艦せよ!!」


赤城は大和民族解放戦線所属艦の旗艦であり、また大和民族解放戦線の本当の司令部である。搭乗しているのは、もちろん指揮官である梶原指令長である。


2隻の空母から飛び立ったF-3170機と強襲揚陸艦2隻から飛び立った40機のF-3に加えて雲龍級空母7隻から飛び立ったMig-29が105機。Su-33が100機飛び立った。これらの飛行機は敵のレーダーを破壊したり敵の滑走路を破壊したりなど、使えるものは使うという考え方なので、セコイ攻撃をした。陸軍基地襲撃では兵舎やテントだけ攻撃するなど人的被害を被らせた。


朝4時半 第二次、第三次と攻撃隊を出撃させ、九州全域の航空基地の滑走路を破壊し陸軍基地も襲撃した。それを確認し中国地方、四国、九州湾からの九州同時侵攻が始まった。強襲揚陸艦二隻のウェルドックから放たれたLCACには10式戦車や機動戦闘車等の戦闘車両。その他輸送船の改装揚陸艦にも多数の戦闘車両が搭載されていた。鹿児島から上陸してきた兵士は琉球共和国滞在の解放戦線兵士のすべてである。九州での戦闘は陸上戦だけであり、空中戦は皆無だった。滑走路は破壊され、侵攻してきた兵士に捕獲され、有利になったのは解放戦線であり、援軍が来ない孤立無援の状態でソ連軍は戦っていた。


その頃 本州東北地方


「ひるむな!!日本解放は目の前だ!!敵が放棄した装備は奪い取れ。弾がなくなったら敵から奪い取れ。すべては現地調達しろ!!とにかく進め!!」


こう叫ぶのは東北進行部隊指揮官の永島恭一だ。ついでに現地調達というのは日本解放戦線の合言葉である。ついでにスローガンは日本解放である。


「くそっ!!どれがどれだかわからん。みんな俺達の戦車だからどれを撃てばいいかわからん。」


ソ連軍の戦車兵や歩兵は車両を撃つときに迷ってしまう。それは現地調達のおかげだろう。なにせ使っている兵器が一緒なのだから。そうやって迷っている間に


「どれが敵だかわからん!!おいっ!!そこに植民地兵ども。わしらを囲め!!」


ソ連軍の純粋ロシア人の指揮官は植民地から徴収された歩兵に対し言う。言い方を変えればお前らが盾になれ。と言っているのといっしょだろう。こいつらが死ねばどれが敵だかすぐわかるし、自分自身は死ななくて済む。さすがはロシア人。抜け目がない。


「До свидания(さようなら)」


ふと言った植民地兵。その瞬間植民地兵が一斉射撃をして純粋ロシア軍人を殺した。


「お前らよくやった。」


そう言ったのは渡慎だった。東北地方に移動し植民地兵としてスパイをやっていた。配備された植民地兵にことを話し内通させることに成功。植民地兵は一気に解放戦線に加わり半数以上植民地兵に頼っていたソ連軍は戦線が崩壊し一気に解放戦線がなだれ込み、東北地方を奪還した。


7月12日 九州陥落。ソ連軍は降伏したのである。そして大部隊を北上させ東京へと向かった。日本解放戦線の艦隊は北上し東京湾に入った。東北を制圧した解放戦線は東京関東へ戻り東京を包囲した。修復したコードネームT1両と捕獲した4両の計5両が東京包囲作戦に参加する予定だ。東京包囲作戦には参加航空機は1000機を超え、戦車も1000両は軽く超え、その他重車両も1000両どころではなく、4000両は超え、兵は日本人とその他植民地兵を合わせて百万を超えあり一匹も通らないほどの包囲網になるであろう。



全軍がそろい攻撃が始まったのは1951年7月20日だった。


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