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第肆拾玖話 事態急変

久しぶりの投稿です。これからもまた不定期連載が続きますと思いますがよろしくお願いします。

アンダマン・ニコバル諸島

この諸島はインド洋のベンガル湾南部に位置する。

ここは1942年4月6日現在日本軍が1942年2月に占領してから軍港が作られ、3月に自由インド仮政府が作られてからは自由インド仮政府の領土である。作られた軍港には、セイロン島とアッドゥ環礁を攻撃した部隊が現在補給のため、一時的に停泊している。


「さてと、第一段階は終わったな。」

「まあそうですね。」

上陸許可が下りているのにもかかわらず空母赤城のCICにいるのはいつもの二人。

「亜久斗や慎は準備できているのか?」

「たぶん出来ていますよ。あいつらは陸が専門ですから。」

「お前はオールマイティーだけどな。」

「そんなところっすかねえ。」

そう、現在亜久斗と慎はインパール作戦のためにチャンドラ・ボースとともにラングーンに向かっている。しかしインドを攻めるためには、インド洋の制海権、インド上空の制空権を取っておくのがいい。と言うよりも戦略の基本だ。ドイツのフランス侵攻の時だって、フランス国内の制空権を握っていたからできたこと。

第二段階の作戦としては、インドにおけるイギリスの航空基地(チッタゴンやダッカ等)をインドシナからの陸海共同の航空部隊による爆撃とベンガル湾からの機動部隊による爆撃。その後、陸上部隊による侵攻。これからの流れを簡単にまとめればこんな感じだ。



4月7日 朝

南雲機動部隊は軍港を出港した。

それとほぼ同じ時刻に東南アジアにおける日本の航空基地から多数の航空機(3式戦闘機火燕や連山、深山、零戦等)が離陸し、日本・タイ・インド国民軍の合計10万人弱がラングーンを出た。

航空基地から出た航空機は手始めにチッタゴン爆撃した。もちろん、南雲機動部隊のイージス艦のECMによる電波妨害によりレーダー障害に無線障害。気づいたら、上空に日本軍機がいた。そのような展開でわけも分からずに、チッタゴンの英軍航空基地はボロボロにされその後ラングーンを出た日本軍により占領された。占領した後は滑走路を修理し東南アジアから続々と航空機が回され、チッタゴンに配備された。

それとほぼ同時刻に、南雲機動部隊からは零戦54型が発艦し、ダッカを空襲していた。インド上空の制空権をほぼ手に入れた日本軍がインドを開放するのも時間の問題だ。すでにインド洋の制海権も日本が持っている。インドが独立し、日本と同盟を組むのは状況からしてほぼ100パーセント。そうなれば兵士と軍事物資の半分をインドに頼っているイギリスは危機の追い込まれ、ドイツとの停戦か降伏か、それとも戦い続けるか。どれかを迫られる。イギリスがどれかの選択をしたとしても、インドが独立した時点でイギリスの敗戦も濃くなり、また連合軍の敗戦も濃くなるのは明らかである。しかし、紅蓮崎たち特別軍はこの時まだ気づいていなかった。日本政府が隠している事実を。


翌日、チッタゴンを出た日本陸軍は二手に分かれインパールとダッカを目指していた。それと同時にチッタゴンから日本軍のインパール進撃を支援するために爆撃機や護衛戦闘機が続々と離陸していた。それに付け加え、輸送機に搭載した空挺兵が上空からのインパールの占領も考え輸送機も離陸していた。はっきり言えばインパールへ向かっている陸上部隊は空挺兵がインパールを占領するために囮に近い

イギリス陸軍は数で勝っていたものの、航空機の支援がないため(飛行場を強襲したため)不利なのは確実だった。

戦闘と言えるほどの大規模な戦闘はなく、航空機の連続的な爆撃で物資だけではなく精神的にも披露している兵士が多すぎて、降伏する部隊が相次いだため、インパールはたったの1週間弱で占領し、ダッカもその前に占領できていた。


4月15日

アダマン・ニコバル諸島

赤城CIC

「予定道理の進行だ。これなら十分連合軍に勝てる。問題はドイツだ。インドが解放したらイギリスは戦えないに等しいから全力でソ連軍と戦ってくれれば。まあ、俺達がシベリアに進行すればソ連はドイツどころじゃないけどな。」

「まあ、史実のインパール作戦の二の舞はごめんだぜ」

高笑いする紅蓮崎に思わぬ話が来た。

バシン!!

と大きな音が鳴り響き扉が開いた。

「ハアハアハア。」

「ハアハアハア。」

そこで、息切れを漏らしているのはインパールとダッカを制圧してすぐに戻ってきた渡慎と相良亜久斗である。

「よお、お前ら。息切れして、何かあったのか?」

怪訝顔で二人を覗き込む紅蓮崎は理由が解らなかった。なぜなら、まだ特別軍に話されていなかった日本政府にとっては話したくない事実だったから。

「さっき、イギリス軍の捕虜から聞いた話だ。ドイツが、イタリアが、ヨーロッパにおける枢軸国が、二週間ほど前にソ連軍に降伏した。」

・・・・・・・しばらくの間沈黙状態が続いた。

「どういう意味だ?確か1942年は、11月にスターリングラードでドイツ軍がソ連軍に包囲されたはずでは?」

「未来から来た軍がまだいたんじゃないか?」

「それはおかしい。もしいたとしたら、済南事変で国連軍としてきているはずだ。たとえいたとしても、たった二週間であれだけの土地を西に押し返すのは難しい。」

慎と紅蓮崎の論争中の途中話に割り込んだ亜久斗が

「そうそう、どうやら降伏と言うよりは占領されたらしいぞ。ついでにスターリングラードでの大規模な戦闘は行われていないそうだ。」

「???」

ますます?マークを増やしていく紅蓮崎だった。



5日後

4月20日

インパールから戻ってきた部隊とダッカにいる部隊は合流し、日本・タイ・インド国民軍はインド解放作戦を展開。カルカッタを占領したあと、更に快進撃を続けイギリス軍を蹴散らした。(と言うより、ただ単に戦闘がなかったに近い。)

上で書いたとおり戦闘がなかったというのは、圧倒的な敗北によりインドでのイギリスの立場が低くなりインド国民3億8千万人にも、独立を求めデモや、英軍基地に対するテロ攻撃などが続き、そちらに手間をかけていたため。

結局言うまでもなくインドは解放され初代首相はスバス・チャンドラ・ボースであった。そして、インドは大東亜共栄圏に加盟し、旧式になった一式中戦車や三式中戦車。海軍では二線級の旧式の駆逐艦。航空機は世界的にみればまだまだ問題のなさそうな機体だが日本にとってはもうすでに旧式の零式艦上戦闘機二一型(世界的にみればもう旧式かな?)

を給与した。それとほぼ同じころフィリピンも独立させ、インドネシアもスカルノを首相とし、安全保障条約を結び駐留軍として日本軍は駐留していた。

この二つの国にも同じように旧式の航空機や艦艇、戦車を給与させ大東亜共栄圏に加盟させた。


東アジアではどんどん列強から独立している時、ヨーロッパでは思わぬことが起こっていた。

特別軍が日本政府に聞きだしたところ、ソ連がヨーロッパ全土を占領したという話だった。

ほんの僅かな期間で。驚きである。

4月24日 ソ連アフリカ侵攻。アメリカ軍はこれに対し偵察艦隊を派遣し輸送部隊も出したが、驚きの結果。

偵察艦隊全滅。輸送部隊全滅。その1ヶ月後の5月20日にはソ連によりアフリカが占領されたとの報告だった。


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