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第肆拾漆話 第二次世界大戦開戦

1942年までの年表(大まかな年表)

1920年

1月10日  国際連盟設立

日本・アメリカ・イギリスを始めとした第一次世界大戦の戦勝国を主に常任理事国とし、加盟国は敗戦国だろうと、社会主義国家だろうと関係なかった。(アメリカやイギリスは反対したが日本が強く推し進めたため反論が出来なかった)

11月 特別軍の研究部から出された八八八艦隊計画(戦艦八、巡洋戦艦八、航空母艦八の大艦隊)の第一号艦長門俊工

この長門は史実とは違い前話で話したX4空対空ミサイルの艦取り付け用の対空ミサイルが取り付けてあり、レーダーによるロックなどはできないため、対空砲の代わりのようなものと考えてくれればいい。

1922年

この年はイタリアではファシズムが、ドイツではナチズムが台頭し始めてくる。

中国ではソ連の影響を受け共産主義の北中国。資本主義の南中国に分裂する。日本は積極的に南中国を援助。旧式兵器を売りまくった。

2月6日 ワシントン海軍縮条約

これに対し特別軍は猛反発をしたが、政府の判断としては同盟国なのでと流されてしまい調印してしまった。(比率はアメリカとイギリスと同じ)

船体が出来てしまったがこの条約のせいで破棄せざるを負えなくなったため、特別軍がもらうと引き受けた。(国が正式に認めた国の軍隊ではないのでセコイが問題なかった)

4月3日 ヨシフ・スターリンがソヴィエト連邦共産党書記長に選出

1923年

9月1日 関東大震災

これにより日本経済は大打撃を受けたが、回収していた金銀などを使い財政を立て直した(その他、イギリスやアメリカ、トルコ連合等の援助金)

1925年

1月3日 ベニート・ムッソリーニが独裁を宣言する

1926年

2月 東北帝国大学の八木秀次と宇田新太郎により、未来技術をもとに八木・宇田アンテナ

が完成する

9月8日 日本の支持によりドイツが国際連盟の常任理事国となる

12月25日 大正天皇崩御。摂政裕仁親王が践祚する。昭和と改元(この日から年末まで昭和元年)。

1927年

3月25日 空母赤城完成。空母赤城から八木・宇多アンテナを応用したレーダーが搭載される。

1928年

この年はスターリンが第一次五カ年計画を始めた年だった。日本は1929年世界恐慌が起こると知っているため(未来情報)、その対策もし始めた。

8月27日 パリ不戦条約。日本を含む15ヶ国が調印をした

10月3日 済南事変。山東省を取り返そうと北中国軍が山東省で日本軍と衝突。圧倒的な軍事力の差で、北中国軍は全滅。日本は北中国に侵攻。国連の緊急介入(主にソ連)もしたが、間に合わず北中国の領土全土占領。これに対し国連は不戦条約に反するなどと述べ日本は自衛行為であると 。しかし、自衛行為は認められず・・・。日本はこれにより国連を脱退する。そして中国にいち早く進出した日本とアメリカの対立が始まった。そして日本はトルコ連合以外との同盟関係を破棄した。

1929年  

1月  ヨシフ・スターリンが、レフ・トロツキーを国外追放。スターリンの独裁体制がここに完成。

10月24日 ニューヨーク証券取引所で株価が大暴落。世界恐慌の引き金となる(いわゆる「ブラック・サーズデー」)。日本はこれを機会に、未来情報により、満州の黒竜江省の油田や、北樺太のオハ油田、カムチャッカ地方の石炭や金、雲母、黄鉄鉱、天然ガス、アムール州の石炭や金、プリモルスキー地方の、銅や金鉱石、ニッケル、タングステン、亜鉛、ボロン(ホウ素)、その他の極東地域での石油、天然ガス、石炭、金、銀、ダイヤモンドなどの資源の採掘を始め、たくさんの大企業に渡した。これにより労働者不足になり、失業者にもたくさんの仕事が増え、さらに軍需産業も活発化させ次第に失業者は減り、東京も着々と復興し日本はついにアメリカを超す超大国となった。それと同時に日本にマイカー時代が到来した。同じくソ連も5カ年計画により重工業を発展させ超大国と化した。それに比べアメリカや欧州は世界恐慌にしばらくは縛られ、反共や反日感情が活発化した。

1930年代

1930年1月21日ロンドン軍縮会議。日本政府は欧米諸国との対立を緩和しようと参加したが、これは史実とは違い巡洋艦の制限ではなく、かと言って日本の軍艦の保有量を制限するための会議でもなく、日本の軍隊そのものに制限をかけた会議でありこれを受け入れた。特別軍(紅蓮崎達がいる軍)はせっかく資源を大量に手に入れて軍需産業を活発化させ経済が右上がりになっていたのを止めるつもりかと言ったが、日本政府は条約を破棄しなかった。そのためか、右上がりから直線。そしてだんだんと右下がりになってきてしまったため特別軍は軍事クーデターを起こした。これにより政権は未来から来た人間に移り、ロンドン軍縮条約を破棄。軍事力拡大をし、また右上がりに戻した。この行為は確実に欧米諸国を怒らせた。

5月12日 戦後日本で初めて開発された射撃管制装置FCS-1並の射撃管制装置と宇多・八木アンテナを応用した対空レーダー(イギリスのVHFレーダーみたいなもの)対水上レーダーを取り付けた巡洋艦高雄の進水式

1933年

1月30日 ヒトラーがドイツ首相に就任。ナチス政権獲得

3月23日 ドイツ国会で全権委任法可決され、ナチス独裁が確立

今後日本はさらなる軍拡と技術開発研究を続け、経済成長も右上がりを続け東京という都市は世界一の経済都市となった。そして、アメリカや欧米諸国との対立は日々悪化していく一方、その欧州にも、日本の味方になりうるくにも出てきた。

1937年11月21日 FCS-1を超える射撃管制装置FCS-1.5搭載重巡洋艦利根の進水式

1939年9月1日 ナチス・ドイツ軍とスロバキア軍によるポーランド侵攻により第二次世界大戦勃発。

9月27日 ワルシャワ陥落

1940年

5月10日 ドイツ軍がオランダ王国・ベルギー王国・ルクセンブルク大公国・フランスに侵攻開始。

9月23日 日本はアジア解放の名のもとフランス領インドシナに侵攻

9月27日 日独伊土四国軍事同盟成立(土=トルコ)

そしてこの一年でドイツ軍は侵攻した国全てを占領し降伏させ日本はフランス領インドシナを開放した。それと、日本海軍の艦上戦闘機、防弾性能を強化させた零式艦上戦闘機(五四/六四型+防弾性能UP+馬力UP)が正式採用される。(実際もっと高性能な機体はたくさんあったが戦力欺瞞のため)それと同時に陸海共同制作ジェット戦闘攻撃機火龍のテスト飛行が行われた。

1941年

3月8日 野村駐米大使とハル国務長官が日米交渉開始

4月6日 ナチス・ドイツを始めとする枢軸国がユーゴスラビアとギリシャに侵攻

6月22日 ナチス・ドイツがソヴィエト連邦に対して攻撃開始(独ソ戦開始)

そしてこの後はほぼ史実通りになり、

12月8日 山本長官の支えもあり、ほぼ日本海軍の主導権は特別軍にあり、空母搭載艦載機による攻撃が史実とは違い話が簡単にまとまり作戦内容としては南雲機動部隊の正規空母7隻プラス未来日本軍が持ってきた空母、赤城級2隻を加えた計9隻の空母と1隻のイージス艦、史実では第三戦隊や第八戦隊が出たがFCS-1.5とレーダー、対空ミサイル、51cm砲を用い新たに進化した戦艦大和・武蔵や日本初FCS搭載戦艦長門型戦艦(改修の時に取り付けた)4隻(代わりに扶桑型は建造されてない)の計6隻による戦艦での真珠湾に攻撃を仕掛けた。イージス艦のECMによる電波妨害から始まり、長門型戦艦の主砲弾を改造し誘導爆弾に変えた800キロナパーム弾や誘導爆弾を用いて攻撃を開始した。指揮としては表面上南雲が指揮権を握っていたが実際は特別軍が握っていたため、史実みたいに空母を攻撃しなかったりとかのミスはなかった。

戦艦や巡洋艦、駆逐艦、空母に対しては特別軍の空母赤城に搭載されているF-3と日本軍正規空母の艦載機一部による攻撃。ハワイの基地航空機は日本軍正規空母の艦載機が相手をした。戦艦や巡洋艦、空母などの大きい艦にはアメリカ軍が戦時中にやった反跳爆撃を行い戦艦8隻すべてを沈没させ、石油タンクにはナパーム弾を投下し、航空機に対してもナパーム弾を投下し大火災を引き起こさせた。消化に来ても水をかけると余計に火が強くなるためどうにもならず、最後は紅蓮崎命名「烈火作戦」。名前の由来は6隻の戦艦のナパーム貫通砲弾と空母に余ったナパーム爆弾による島全体を焼き焦がすことからつけられ、作戦内容は残った艦や航空機がある可能性があるためナパーム貫通砲弾とナパーム爆弾による島全体の放火。これにより、残った艦は皆無であり、基地としての能力はゼロと言っていいぐらいまでに叩きのめし、人が生きて暮らす場所としてもゼロと言っても過言ではない状態だった。航空機も全滅し弾薬庫に引火した時は島全体が揺れた。その後アメリカは「民間人を無差別に焼き殺した非人道的な宣戦布告と言う屈辱を浴びた」と言い、アメリカ国民を反日感情で染めた。

それと同時に、フィリピン解放やマレーシア解放の名のもと次々に連合軍を打ち破って行き日本版電撃戦と言われた。


1942年2月日本軍は新たに正式採用化された5式中戦車をフィリピンに投入しコレヒドール島の米軍を降伏させ西太平洋ほぼ全域の権限を手に入れた。

ついでに5式中戦車は、終戦馬路かに作られた(作られてはいないか)5式中戦車をもとにしてある程度装甲を厚く一回り大きく、そして出力の高いエンジンを使い速度をはやくし、油気圧サスペンションを使った戦車である。装備内容は特に変わってはいない。


1942年3月 

この時、インド解放のもとインパール作戦が発案された。

特別軍本部

「東南アジア占領まで時間かかったな」

皮肉そうに語る藤浪翔也に対し

「俺のおかげで史実よりも3カ月は早く進んだんですけど・・・」

と言う紅蓮崎。彼はさらに続け

「先輩は嫌みを言うために来たのではないのでしょう。何用ですか?」

「よくわかっているな。インパール作戦についてだよ。作戦内容は決まっているんだろうな?」

「勿論です。まあ、手始めにイージス艦を送り込み、ECMを作動させたりして、無線妨害したりレーダー妨害して、正規空母に連山(海軍の四発攻撃機)を無理やり乗せ、海軍基地を攻撃する。それと同時にF-3による敵航空機地に対しての攻撃。制空権を取った中での陸軍の侵攻。そして、戦艦大和・武蔵による、ナパーム砲撃。」

「・・・失敗はまずなさそうだが・・・ナパーム好きだな。」

「あれは最強です。森林破壊や何かを燃やすには適しています。爆弾よりもナパームの方が建物が燃えやすいですしね。」

「卑劣だな・・・」


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