第肆拾話 世界情勢Ⅱ~第三次世界大戦~
世界情勢Ⅱ
2060年代
日本は確実にアメリカとの戦争への方向へ向かっていた。100年前の戦争ではこれまでにない新しい戦法で奇襲をかけたが、世界中に張り巡らされているアメリカの通信衛星及び偵察衛星、情報収集衛星、早期警戒衛星、更に極秘にアメリカで開発された特殊な人工衛星
「弾道ミサイル衛星」(いわゆるASATである)のせいで、奇襲をかけられないのである
弾道ミサイル衛星の詳細
影のCIAと呼ばれる機関から情報を聞き出した人が言うにはバトルスターと呼ばれていて(名前が良くて勝手につけたらしい)2040年代になれば十分開発可能といわれている兵器である。普通の人工衛星に比べて固定式で、地球が動くと同時に狙った場所を追いかけて動く。つまり一か所に固まるというわけである。そして何らかの異変(例えば、仮想敵国が自国に対しミサイルを発射したら)その衛星からミサイルが発射され敵国の主要施設を破壊する。そのようなシステムだ。ついでに便利そうに見えてこの兵器は非常に厄介で地上での指揮システムは攻撃対象になり、宇宙で画像を撮影し数基の衛星を経由して地上の指揮システムの司令所へ送るには何秒もかかる。そのせいで、敵にばれる可能性が高くなる。もしばれたらローテクな手法でも容易に妨害される可能性がある。そのため、指揮システムのある司令センターは宇宙に作られることになった。
そしてこの軍事衛星が日本やトルコに向けられているのだ。つまり少しでも怪しいそぶりを見せたらドカンだ。(さすがに核は使わないだろうが)ここで日本が考えた事は何だろうか?前話を思い出してほしい。日本は世界で初めて月へと経済進出をした。そこで大量のエネルギーを生産している。しかし、それは表向き。裏では月での軍事基地を作っていたのだ。ここからならASATにミサイルを撃ち込んでも大丈夫だろう。なぜなら、月から撃ったならアメリカが認識不可能だからだ。この事は国家機密にされ、同盟国にも話せない重要なことだった。
そして、2065年12月24日夜クリスマス・イブである。
月から発射されたミサイルはアメリカのASATおよびその他指揮システム、司令センター、早期警戒衛星、偵察衛星、通信衛星など次々に撃破していった。
そのことが確認されてすぐに日本政府はトルコ政府にアメリカとの開戦を伝えた。トルコはもともと事態を予測しておりポーランドへ侵攻する準備はできていたため迅速な対応が出来た。開戦と同時にトルコ率いるイスラームはポーランドへ侵攻した。その頃ドイツ政府にポーランドを西から攻めてくれとのトルコから伝達があった。そして日本率いる東アジア共同体はアメリカの傀儡国家のなった中国をアメリカからの解放の名のもと侵攻し、極超音速弾道ミサイル(これも開発可能といわれている兵器で、時速一万数千キロ)をアメリカの空軍基地に大量に撃ちこんだ。それにプラス真珠湾の第七艦隊占拠のため極超音速機(これも開発可能と指摘されている航空機である)の輸送機バージョンに大量の空挺兵を搭載し、ハワイ占領を図った。この日だから、艦隊は停泊中でアメリカ兵も気を抜いていた。いわゆる真珠湾の再来である。(占拠と破壊という部分で違うが)アメリカはクリスマスなので、事態収拾に時間がかかった。(人工衛星がなくなって地理的現状がつかめなかった)現状を知ったのは夜明けの12月25日午前だった。その頃にはもうポーランドの南はトルコにより占領されていて、それを見てドイツが進行しポーランドの北西を占領していた。もうポーランドは落ちる寸前だった。日本ではアメリカから解放の名のもと中国へ東アジア共同体を使い(主にインド、ベトナムを使って)進行中で、中国軍はほぼ戦闘不能状態だった。真珠湾ではことごとく戦闘機が弾道ミサイルで破壊され、大量の空挺兵で基地は占拠されてきていた。アメリカはこれに対しポーランドへの支援は不可能ではないが、中国では中国軍が戦闘不能状態。ハワイでは増援をしたら民間人まで死者が出る。これはアメリカにとって非常に危険な状態だった。結局アメリカが起こした行動は西欧諸国に対しドイツへの侵攻とポーランド支援その後トルコへの進行、オーストラリアに対し、東南アジアへ侵攻してくれ、ロシアに対し南進してくれと。もうすでに第三次世界大戦の開戦である。西欧諸国はしぶしぶ同意し、翌日にドイツへ侵攻準備を開始したが、その頃もうすでにポーランドという国はなく、ドイツとトルコに分割され、ドイツとトルコ率いるイスラーム(以後トルコ連合と呼ぶ)は西欧諸国の軍事進攻に対抗するために西へ進んでいた。ロシアはアメリカの要請を完全に無視。中国は政府が倒れ、新政府が立てられ東アジア共同体の一員になった。ここに、アジア共同体が出来上がった。
翌日12月26日
ハワイが日本の領土になった日だった。そして第七艦隊のほとんどが日本の物になった。
東南アジアでは、オーストラリア×インドネシア・パプアニューギニア・マレーシア・日本海軍との戦闘が繰り広げられていた。
その翌日12月27日
その頃ヨーロッパでは、ドイツ連邦・トルコ連合とフランス・イギリス中心となるアメリカからの支援を受けた西欧諸国との戦闘の火ぶたが切られた。
圧倒的な陸上支援のもとドイツ連邦とトルコ連合は開戦4ヶ月でイギリスを除くヨーロッパを征服した。
イギリスとは海峡をはさんでいたので弾道ミサイルを送る程度でとどまっていた。
2066年4月20日
一方太平洋では北アメリカ連合・オーストラリア×東アジア共同体との戦争が繰り広げられていた。日本海軍は大量の戦闘機・軍艦・補給物資を真珠湾に運び、日本軍の太平洋本部として置かれていた。(施設はそこまで被害を受けず、被害を受けたのは空軍基地だけだったから)しかしいつまででも黙っているのがアメリカではない。アメリカはすでに新型ASATを開発していた。それは前のASATの弱点である指揮系統の分裂と固定、警戒システムがない等。それを改善させたのを打ち上げた。それと同時に始まった日本軍によるアラスカ侵攻。極超音速弾道ミサイルにより主要施設をことごとく攻撃されたアラスカにい軍隊は無に等しかった。そこで立ち向かったのが北アメリカ連合のカナダだ。
4ヶ月後
2066年8月
太平洋・ヨーロッパ・アラスカでの長期沈着状態を打ち破ったのが日本とアメリカだった。
日本は極超音速爆撃機でカナダ、アメリカの主要都市の無差別爆撃を行った。アメリカは新型ASATによるアジア共同体の主要都市、主要施設のミサイル攻撃。核ではないが新たに弾道ミサイル対応型に作ったデイジーカッター(正式名称BLU-82/B爆弾)を搭載した弾道ミサイルを発射した。次々に主要都市は破壊された。(一発で核並みの威力。核よりは低いが)これにキレたアジア共同体はイギリスにN2爆弾搭載(ロシアからの情報漏れ)弾道ミサイルを撃ち込んだり、リアルIRA(アイルランドの民族主義過激派武装組織。アイルランド島の統一を目指すテロ組織)に武器輸出を行いテロ活動をさせるなど、政治的混乱を起こすなどして、結果的に降伏はしなかったが、イギリスの主要都市に壊滅的な打撃を与えたためイギリスはアメリカから手を引き休戦になった。日本も繰り返し、北アメリカ連合やオーストラリアに爆撃を続けていた。アメリカも負けじと上空からミサイルを発射させていた。そんな状態が続き、2年後
2068年8月
休戦していたイギリスに対し突如侵攻したトルコ連合。そしてアメリカが日本に対し放った一発のミサイル。これがすべての始まりだった。このミサイルは日本の軍事基地。裏では極秘核研究所。核施設が爆破し保存していた核爆弾が爆破。周辺の町には核汚染が広がり、日本政府はアメリカから3度目の核攻撃を受けたと発表。日本では急速な反米がブームになった。これで日本は三度目の核を味わったことになった。(この施設は極秘なのでアメリカも知らないし国民も知らない)報復として極超音速爆撃機による主要都市の水素爆弾による爆撃。これに対しアメリカも負けじとアジア共同体や、ドイツなどのアジア共同体に着いた東欧諸国に放った。もうすでに核による壊滅状態に陥った北アメリカ・アジア共同体・東欧。核ではないが核並みの爆弾や都市が戦場になって被害を受けた西欧諸国・オーストラリア。結果的に停戦になった。
2069年3月 ほぼ無傷な状態で戦争を終えた東京(ミサイル保護のために防衛施設が普通の都市の何百倍もしてあったため被害が少なかった)で講和会議が行われた
東京講和会議 そして皇居で結ばれた皇居条約
・アメリカはアジア共同体を認める
・太平洋の島々をアジア共同体に譲る
・日本にアラスカを譲る
・今後一切の干渉をしない
・アメリカは宇宙からの全面撤退
・ヨーロッパはポーランド以外解放する
・賠償金などはなし
アメリカがこんなの受け付けるはずはないがそれは普通の話だ。今はアメリカ建国以後南北戦争以来の緊急事態だったのだ。核による主要都市の放射能汚染。アラスカの占領。太平洋というシーレーンの封鎖状態。手が負えない状況だった。結局言い方を変えれば日本の一人勝ち(核の被害は受けたが他の国に比べ被害が少なかった)で終わった。