上野
この馬鹿みたいに大きな箱の中には俺が見たいものなんてひとつも用意されてない。
「久しぶりだなぁ」
「俺初めてかも」
こいつら2人は話の流れでなんとなく買った500円のチケットを手にして、浮かれてる。朝、東京駅で合流してからずっと、東京の建物のデカさとかシブさとかにやられてる。窓口でおばさんに小銭を渡しているときから、そのへんの観光客が2分前に喋ったような話を、そいつらと同じように引き摺って歩いている。
「中学とかであるでしょ、校外学習とか」
「そん時は自分でチケット買わないだろ。俺は今から自分の意志をもってこの門をくぐるんだよ」
「かっこつけないでよ」
俺たちはこの博物館の中身に興味があるわけじゃない。ただ正面の門から見えた建物がデカかったから近くに行ってみたかっただけだ。金は払ったから中にも入るだろうけど。
「ヒロはどうよ」
「美術館にはよく行く」
これは嘘じゃない。暇な時間ができると、俺は1人で近くの美術館を探して足を運んだ。ケータイで調べてみると美術館は意外といろんなところにあって、俺はバイトや大学の授業終わりに駅から美術館を目指して散歩する。ひと通り絵画やらオブジェやらを見て回った後は、近くのカフェに入って甘いアイスティーを飲む。俺にはこんなの向かねえなと思ってはいるんだけど、なぜかやめられずにいる。
「2人とも、かっこつけすぎ」
「アートにかっこいいも何もないんだよ」
「私も駅前のオブジェとか見入っちゃうときあるんだよね」
「興味ないなら興味ないでいいんだよ。ある感じ出すな」
遠くから見ると綺麗だった石壁は、近づいて見てみると日に焼けたプラスチックみたいに濁った色をしていた。奥まった入口についていたのは安っぽい金属に縁どられたふつうのガラスの自動ドアで、これは映えないなと思った。ドアは開きっぱなしだったけど、中からはむっとした埃っぽい空気が流れていた。俺はなぜか人ん家に踏み入るような気持ちになった。
「明治大正味あるな」
「昔のお金持ちはこんなとこ住んでたのかな」
「ちょっとトイレ行ってくるわ」
俺たちはここに何しに来たんだ?
はじめから展示品を見るつもりはなかったから、仏像だの巻物だのを見ているうちに3人とも眠くなってしまった。順路の途中に置いてある広い黒いソファに座って駄弁って、休憩しながらじゃないと先に進めなかった。
博物館の中は外から見るよりずっと広くて、いくつか大部屋を抜けると自分がどこにいるのかわからなくなった。どの部屋にも古そうなものがたくさん置いてあったけど、どれも知らなかった。
キレイなガラスで囲われて大事そうに飾ってあるものには本当に、本当に興味がわかなくて、最初の方は冗談を言いながら見て回ってたけど、最後の方になると他の客と同じように静かに歩くようになっていた。門の前でチケットを買ってからどれくらいの時間が経ったんだろう。
「興味ねえよ」俺は呟いていた。
「スーツ着た賢そうなおっさんもこの部屋は素通りしてるわ」
「地理の高橋がここに来たらなんて言うかな」
「歴史は専門外だろ」
「それでも多分ずっとなんか喋ってるだろうね」
「考えただけできもいな」
俺は最近空けた右耳のファーストピアスをくるくる触りながら、ソファに座った2人の会話を聞いていた。
パンフレットをもって通り過ぎて行ったおっさんは他の部屋に目当てのものがあるんだろう。あいつは見たいものがあって来たやつだから、俺らとは違う。
「あいつプライド高えからな。それっぽいこと言うために頭使うんだろうよ」
「誰連れてきても眠くなりそうだね」
「いいかんじに楽しくする自信ないわ」
「こういうところって難しいよね、わかんないものが多すぎて」
俺の目は隣の部屋の仏像の前にいる1組のカップルに向いていた。歳は2人とも20代前半くらい。2人そろって博物館デートのためにブラウンでまとめたきれいめカジュアルコーデに身を包んでいる。あのカップルも、俺らとは違う。
俺はここに何しに来たんだ?
俺が駅から歩いたあの道は、知らない喫茶店で飲んでたあの紅茶は、俺が欲したものじゃなかった。ケータイで撮っておいたはずのきれいな女の子の肖像画も、知らない国のデカい風景画も、24時間後にはどこかに消えてなくなった。1回行った美術館には二度と行かなかったし、画家や美術史に詳しくなることもなかった。
俺はただ道に迷っていた。
バイトが終わって、大学の授業が終わって、自分はどこに行けばいいのか分からなくなっていた。気づけばマップの検索欄に知らない美術館の名前を入れて、ナビの言うとおりに経路をなぞって目的地へ向かった。
知らない街をどれだけ歩いても、周りの景色が変わるだけで画面に映った地図の上の矢印は1ミリも動かなかった。俺は結局どこにも行けず、美術館を出た。洒落たカフェのアイスティーが腹を満たすわけもなく、ただ熱くなった俺の喉を冷やすだけだった。
「興味ねえよ」俺は呟いていた。
「あたり強いなあ、好きなラーメン聞いただけじゃん」
「ダイエットでもしてんのか」
「お前らこの話の流れで晩飯をいつもの豚骨ラーメンにするつもりだろ」
俺はダイエットでもしてりゃいいのか。
「なんかあったの」
「用事でも思い出したか」
「博物館出てから全然喋ってないよね」
「そんなんじゃねえよ」
俺にも大事な用事があればよかった。
「話聞いてねえんだったら聞いてるふりすんのやめろよ」
「悪かったよ」
ごめん、俺はみんなが思うようなやつじゃないんだ。
「やっぱりなんかあるんじゃん」
「お前が晩飯に何食べたいかとか、今日何の用事があったかなんて知らねえけどな、話聞いてねえことくらいはすぐわかるぞ」
「え、夜ごはんラーメンじゃダメなの」
「豚骨が特別好きってわけじゃなくてもな、食えばなんだかんだ美味いんだよ。探せばアレより美味いラーメンなんか腐るほどあるだろうけどよ」
「そうだね、私はアレ結構好きだけどなぁ」
「頭のいいやつらはああだこうだ言うけどな、結局人間はどうあがいてもメシ食って寝ることぐらいしかできないんだよ。それすら満足にできないやつもいるくらいにな」
「てか、ラーメン腐らせちゃまずいでしょ」
「なんだかんだ美味くてなんだかんだ食うんだから、無理して冒険する必要ないんだよ。冒険できるのはよっぽどの通か金持ちくらいのもんだろうな」
「ねえねえ、ラーメン腐らせちゃまずいでしょ、ってうまくない?」
「お前ら何言ってるかわかんねえよ」